無題

恵光

Muho


正法眼蔵随聞記 第5-20                             
 示して云く、古人の云く、「百尺の竿頭にさらに一歩をすすむべし。」と。此の心は、十丈の竿のさきにのぼりて、なを手足をはなちてすなはち身心を放下するが如くすべし。
 是れに付て重々の事あり。今時の人は世をのがれ家を出ぬるに似たれども、其の行履をかんがふればなを実とに出家の遁世にてはなきなり。いわゆる出家と云ふは、第一まづ吾我、名利を離るるべきなり。是れを離れずんば行道は頭燃を払い精進は翹足をしるとも、只無理の勤苦のみにて出離にはあらざるなり。
 大宗国にも、離れ難き恩愛を離れ捨てがたき世財を捨て、叢林にまじはり、祖席をふる人あれども、審細に此の故実を知らずして行ずる故に、道をも悟らず心をも明らめずして、徒らに一期を空く過ごすもあり。
 (中略)
 只身心を仏法に投げ捨てて、更に悟道得法までをも望むことなく修行するを以て、是れを不汚染の行人とは云ふなり。有仏処にもとどまることをえず、無仏の処をも急に走過すると云ふは、此の心ろなり。

 道元禅師が衆僧に向かい、百尺の竿頭の故事を例えに挙げて説法された。
 この故事は、長沙景岑禅師の
「百尺の竿頭、坐低の人、然も得入すと雖も、未だ真ならず。百尺の竿頭、須らく歩を進むべし。十方世界、これ全身。」
 の引用で、修行をして坐禅しつくして、長い長い竿の先に上り詰めた、悟ったと思っていたら、それは真実に悟ったとは言えない。その竿の先からさらに歩を進めるべきだ。自身の周りにあるもの全てが、自分自身、である。周りに在るありとおらゆるものを、私と同じように悟りに導く努力を行い続けることを伝えている。

 道元禅師は百尺の竿頭から一歩進める心境の例えについて修行の真意を伝えている。
 約30メートルの竿の先に上り詰めた後、さらにその竿の先から一歩を踏み出すべきと。
 30メートルの竿の先に立ちさらに一歩進めれば、真っ逆さまに転落してしまう。落ちたら痛いだろうとか、死ぬ恐れを感じて怖くてとても一歩踏み出すことはできない。だがそこを手足を放ち、身も心もにも執着せず手放しなさいと。そうしなければ真実の仏道修行はできない、真実を掴むことはできないと。
 身も心もにも執着せず手放すとは、「出家と云ふは、第一まづ吾我、名利を離るるべきなり。」と言っている。
 吾我を離れるとは「私」という小我を離れて、周りの人、者すべてに対して「すべてが私自身」という大我の立場で物事が観れることを意味していると思う。
 このことを自覚していなければ、どんなに一生懸命に修行していても、それは無意味な時間を過ごすだけだと。
 この「百尺の竿頭」の故事については安泰寺に来てからも何度となく聞き、教えられてきた。私はこれを、自分が無理だできないと思った時こそ断念しないでやってみることだと理解していた。
 例えば、典座修行で、時間が無いからできないと諦めて、長いあいだ取り入れてなかったメニューを接心典座の時間の猶予がない状況で挑戦してみた。このメ入―で定刻に合わせることは難しいと不安に思いながらも振り払って挑戦した。以外にもできた。という経験がある。
 典座は定刻に最適な最高の状態で食事を供するという使命がある。安泰寺の冬は寒い、冷たすぎて味がしないくらい寒い。蠟八接心が終わるまではストーブを使わないのが安泰寺の流儀である。そんな中、冷蔵庫より寒い中で時間に合わせて10数人分の料理を温かい状態で食べて頂くようにしなければいけない。(と私が思っているだけかもしれないが・・・)特別な保温システムがあればいいが、温まるものといえばかまどの火くらいで、電気オーブンもあるが電力の都合で炊飯器との併用はできないし、皿を温める量にも限界がある。調理する時間を合わせても盛り付け時間も考慮すると時間と場所を選べない。皿と料理をアツアツにして盛り付けても食べる時には冷めてしまう。どんなことをしても皮肉にも冷めてしまうというのが現状である。どうせ冷めてしまうからやっても無駄だという思いもある。それより、時間に間に合わせて、ギリギリでバタバタして大きなストレスを感じなくて済むようにゆとりをもって準備すればいいと。しかしその反面、早朝の寒い本堂で2時間もジッと座っているだけで、冷えきっている皆の姿を思い浮かべると、何とか温めてあげたい、ほんのチョットでも冷たい食べ物で震えさせてはいけないという思いが湧いてくる。実際その時になると、そんなこと考える余地もなく結局、全力で可能な限りを尽くしてやっている。やらざるを得ない性分なのである。
 また、典座だから毎日の電気柵のチェックはできないと思う時、本当にできないのか?楽をしたいのではないか?と自分に問う。典座で忙しいということを言い訳にしているようで、やりくりしてやってみる。すると以外とできる。相棒が典座の時には一人で電気柵チェックをする。数年前は毎日一人でやっていた。できないことはないと。
 大きな丸太を運ぶ作務がある。若い男子3人に依頼した。ところが早々に「人力では無理だ、チェンソーで切ってもらわないと」と言ってきた。「頭と体を使わないと運べない!!私がやる。」と一喝して若い男子二人を連れて運んだ。
 人に頼っていては安泰寺を創造することはできない、と思い何でも自分でやろうとしていた。
 ところが、昨年のこと、典座見習いについていた若い男子に「コダワラナクテイインジャナイデスカ?」と言われた。自分の都合を振り払って、百尺の竿頭にさらに一歩を進んでいたつもりだった。しかし自分の都合を振り払っているどころか、自分のこだわりにしがみついているというのだ。
 今年夏にトラクターの運転を誤って、トラクターの下敷きになった。幸い軽い肋骨骨折だけで、死ぬこともなく、入院の必要もなくその後も安泰寺で過ごしていた。ちょうど次のサイクルでは典座の予定だったが、できないため前サイクル典座していた人はが引き続き典座をすることになった。肋骨骨折は見た目は痛々しそうには見えないし、やろうと思えば意外と動ける。やろうと思わないだけだと、怪我をして何もできない私が安泰寺に居るのが申し訳ないという思いが先走り、忙しく、ストレスフルな典座番を少しでも手伝わなければという思いで、アレコレ手伝おうとしていた。「テーブルセッティングできそうだからしようか」と声かけた時、「あのねぇ~ キミがやっていたら、ボクが交代した意味がなくなるじゃないか。」「でも、少しは動けるし…」「キミはトラクターの下敷きになった、ボクはならなかった。キミが休まなければ、交代した意味がなくなる!!」と言われた。その時、ハッとした。私は私の思いを通して、周りの配慮に配慮することなく我を張っていたんだと。
 しおらしく部屋に戻って布団を敷いて寝ていた。それでも私は「草取りくらいならできる」とか「これくらいなら」と作務にもやたら顔出していた。
この休むという効果を知ったのはそれから一ヶ月以上してからだった。骨折の回復は約4週間くらいと医師から言われており、3週間目に診察に行ったあと順調な回復とのことだったので、それまで控えていた力仕事をいきなりはじめた。ところが、以外にも痛みを以前より感じるようになった。そんなハズはないと、思いつつ穴倉から土を運び出す作業をやっていた。でもどうしても自由に身体を使うことができず、若い男子に大半をやってもらって、監督するのみだった。それから10日あまりが過ぎて、その痛みが徐々になくなった時、からだがすごく軽く、楽になるのを感じた。痛みできなかったくしゃみも何の躊躇もなく平気でできるようになった。腕を上げても肉が離れ骨に何かが挟まるようなイヤな気配もなく気持ちよくウ~ンとのびできる。からだが回復するとはこう言うことだと思った。
 骨折が治るまでは、肩を動かすことができなかった。腕をピッタリと脇腹にくっつけておかないと痛くなる気がするので肩をすくめてジ~っとしていた。それはあたかも、私の思いを頑なに大事に守っている私の姿のように感じた。
 「百尺の竿頭にさらに一歩をすすむべし。」と思って一歩進めているつもりが、いつの間にか竿頭の先にしがみついているといことに気が付くのである。

 吾我を離れるとは自分の利益、名利欲だけならず、私のために行うのか、それともその状況に最適だから行うのかという判断だと私は思う。それは誰かのために、何かのために行うということでもない。行った結果、自分のためになることもあり、誰かのためになることもあるが、行う時には目の前にある状況に誠心誠意をもって対応しているかどうかということではないだろうか。これが道元禅師の云う「只」ということではないかと思う。ちなみに誠意とは改めて辞書を見てみると、私利私欲を離れて、正直に熱心にことにあたる心とある。まさしくそのとうりである。
 自分を投げ打って必死でやっているつもりでも、周りの歩調に合っていない場合がある。それをどれだけ察知し、いつも軌道修正し続けられるかということのように思う。周囲に目覚めること、師匠から日々教えられていることでもあった。
 道元禅師の示しているとうり、私はこれまで「行道は頭燃を払い精進は翹足をしるとも、只無理の勤苦のみ」に終始していたようである。
周りから多くのことを気づかされる安泰寺修行である。
                             恵光 拝