〜参 禅 者 心 得〜

何をしに来るのか

 安泰寺は仏菩薩の道場であり、真面目な求道者の集う叢林である。

 ここでの坐禅や作務などは生活の一部分として行われているのではなく、むしろ一日二十四時間の生活は生きた禅の現れでなければならない。こうした毎日の生活の中で表現されるべき命の働き以外には、安泰寺の修行、禅仏教の教え、宗教的な生き方等は一切ない。また安泰寺で精神的な指導や心の安らぎ、浮世を離れた山の静けさや大自然に適った共同生活、真実の道や永遠の幸福のようなものを望んでいても、こういったものは皆無である。

 安泰寺は自分自身の人生を菩薩修行として創造していく場所に他ならない。修行者は和合し、仲良く生活しなければならないのは勿論だが、他の援助を期待したり、教育されたりすることはないので、自分の修行は自分でしなければならない。いちばん大事なことは自分の方へ仏道を引き寄せるのではなく、自分の身も思いをも仏道の方へ投げ入れることだが、そのためには先ず自分は何のために安泰寺に来たのか、ここで何を修行しようとしているのか、をハッキリさせなければならない。

 自分が今生きているこの瞬間の命のほかに期待するものがあれば、必ず失望するであろう。自分をも人をも誤魔化さずに、私は一体何をしにここへ来たのか、と自分に問うてみられたい。


安泰寺の坐禅堂