【帰命】
〜よく見、よく聞き、ハッキリと言え〜

〜2月号〜

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理想と現実
今の息を今息しつつ
(大人の修行 その10)
 三回にわたって、初めて安泰寺に上山したときに受けた印象などを振り返ってみました。私が大学生の頃に持っていた「ZEN」のイメージと安泰寺の実生活が全く違っていたのは、以前述べたとおりです。特に雲水が坐禅中に絶えず居眠りしているという現実は私の坐禅に対する崇高な理想とはかなりカケハナレテいました。

 さて、私は他人の短所を見つけることは得意なのですが、自分自身の短所となりますと、なかなか気付きません。また、自分の持っている理想を「外」に向かって追い求めるのも常ですが、目の前にある現実のどこにもその理想が見つからないと、つい「外」のせいにし、周りの人のせいにします。現実の中に理想を実現させるのは「他」でもなく、自分自身でなければならないという当然のことをいつの間にか忘れてしまいます。「安泰寺をオマエが創るのだ」という言葉で宮浦老師が私や他の弟子に目を覚ましてもらおうとしていたのも、その極めて簡単なことだと思います。しかし、そこがわからないのですから、現実に失望して自分のおかれている環境を憎むか、現実に妥協して、自分の理想を捨てしまうようなことをします。いうまでもなく、どちらからも大人の修行の工夫は出てまいりません。

 坐禅中の居眠りの場合、その工夫は先ず二つの気付きから始まらなければなりません。まずは「自分が寝ているのだ」という事実に気付くこと。そして次には「寝ているのは、他でもなく、自分自身なのだ」ということ。
 どちらも当たり前のように聞こえると思いますが、このことに気付かない人は実に多すぎます。先月も触れたエピソードですが、暁天坐禅中でイビキが特にうるさく響いていたある日の夕べのティーミーティングの時、宮浦老師は一言「坐禅とイネムリは違うぞ、マチガウナ!」と吐きました。ティーミーティングが終わって、イビキをかいていた張本人が「アレは誰のことだろう?僕は最近居眠りしている人を見てないけどな?」というつぶやきを漏らしましたが、「それはアンタだからでしょう!」と仲間に言われて、「え?そうか?!まぁ、そんなもんか・・・しょうがないなぁ」とまるでよそ事のように問題をずらしました。自分が本当にグッスリ寝ていますと、それに気付かないのは自然かもしれません。ところが、それにわざわざ師匠から気付かされていた本人は安泰寺を去ってから、

 「沢木門下で指導を受けました。そこで仰られたことは、黙って坐れと。一呼吸とかそう言うこととか数息感というようなことは禁じられていましたから、ですからよく睡魔に襲われたり、雑念にまみれたり、ある時には心が落ちつくことがあるんですが、接心が終わるとぐたーっとなることの繰り返しでした。まあそう言うものかなと思って、・・・」
 「ですから問題は只管打坐ということがどういうものなのか、はっきり知らないと言うことが問題だと思います。だからそれをはっきりさせるためには、まず一番の手だてが師匠だと思うんです。」
 「ですから道元禅師の仰った普勧坐禅儀の言葉というものが、修行の実践方法として身近に受け取るのではなく、高邁な理屈の世界、論理の世界にしてしまうことの差だと思うのです。そのことをはっきり自覚できる手だてがないと、いつまで経っても心の決着は付かないと思います。ちょうど幼稚園の子供が大学へ行って勉強するようなものじゃないかと思うんですね。」

 といった言葉で安泰寺での自分の修行を振り返っていますが、この言葉の中に私たちは幼稚な修行態度と大人の修行態度の違いを見出さなければなりません。そうしなければ、私たちも同じ落とし穴に落ちてしまうことでしょう。

 先ず、沢木門下で「一呼吸とか」「そういうこととか」「数息感」とかが禁じられているとのことですが、そんなことは勿論ありません。安泰寺ではこのホームページでもみれる「沢木門下」の坐禅の仕方という指南書も使われていますが、その中では沢木老師はなんと瑩山禅師の言葉を引いているのではありませんか。

 「気の散乱する場合は鼻端もしくは臍下丹田に置く。或いは出入の息を数えるもよい。」

 また、これもこのホームページで全文をご覧になれますが、内山老師の言葉の中にある

 「一生の息を、その時その時、いま息しつつ初めて生きていくのですから、いわんやナマのいのちを生きるのも当然そういうものだとして「アタマで考えてしまう」のではなく、「いのちとして」受け取ればこそ、自分のナマのいのちを生きる姿勢もキマリます。その時こそが「一生参学の大事ここにをはりぬ」であると同時に、本当の祇管打坐の修行が始まる時です」

 という教えも、決して「高邁な理屈」ではなく、まさに「修行の実践方法として身近に受け取る」べく今のナマの「一呼吸」の話であることは言うまでもないはずです。なのに、どうして「只管打坐ということがどういうものなのかハッキリさせてもらえなかった」のだから「睡魔に襲われたり、雑念にまみれたり」していたと言えるのでしょうか。冗談ではありません。第一、繰り返して申しあげますが、居眠りしたり雑念をこいだりしているのは他でもなく自分自身であり、決して「睡魔」のせいにしてみたり、師匠の指導がなかったせいだと言てみたりしてはなりません。そもそも、その指導が本当になかったのか、それとも自分に都合が悪かったから聞かなかっただけなのか、ということも考えなければなりません。

 では、彼はこんな簡単なことさえ知らなかったのでしょうか。そうではありません。頭ではよく理解していたのですが、残念ながら身をもって行ずるところまでにはいたりませんでした。実は当時の安泰寺の雲水の間に「只管打坐って何や」「いかなるかこれ仏道修行」といった問題ほど盛んに議論された話題はありません。特にこの先輩は人一倍の問題意識を持って、絶えず問い直していたはずです。その証拠は今も安泰寺文集の中に残っていますが、それをまた次号で検討したいと思います。



  (続く・堂頭)


早朝の風景




桶屋の致富譚
(T.F.・にわとり係り・27歳)
高校生のとき、黒田にコジマ電機に連れて行かれました。ウォークマンを買うので一緒に選んでくれと言うのです。いくつか店頭に並んでいる物のうち、2つに候補を絞りましたが、そのどちらを取るかで黒田は悩み続けました。値段も同じ、色も同じ、ただ機能に弱冠の違いがある程度でしたが、黒田はひたすら「どっちだろう、どっちにしよう」と繰り返すばかりです。私はふと名案を思いつき、「あのさ、値段も色も一緒なら、どっちを取ってもいいってことだろ。迷うことないよ」と提案したところ、黒田は驚いて「お前頭いいな、でもだから悩んでんだろ」と答えました。私は「頭いいな」と言われたのでたいそう喜び、そのまま一時間余りウォークマン売場で立ちつくす黒田を見守りました。でも結局自分の存在意義が見えなくなったので、「だけどウォークマン買ってどうするの」と尋ねたら、「いや、明日陸上大会でヒマだから、これで何か聞いてようかと思って」とのことでした。馬鹿らしいので私は先に帰り、黒田はそのまま店内で悩み続け、そして結局どちらも買わなかったそうです。それから10年後、黒田は立派にマンガ家のアシスタントを辞め、マルイの書店で働きながら実家で平穏な日々を送り、一方私は会社をクビになった反動でネットをやりまくり、挙句、転がり込んだココでも寝坊をしたり、極上の創作料理を飯台に供したりして悩み続けています。つまり、若いうちに悩んでおくのは大切なことだということです。それがいかに些細な悩みであっても、若いうちに経験しておけば解決力がつくのです。黒田の場合、飽きっぽいと言ってしまえばそれまでですが、それでもウォークマンに対する激しい執着を手放すことで、後にゴルフ漫画の背景を描き続ける生活に見切りをつけ、自分なりの軌道を確保することができたのでした。あの時黒田を見捨てた私は、本当に頭がよかったのでしょうか。ところで、そんな黒田は彼女だけは手放せないようです。


本堂の前で雪を溶かす


雪で埋もれている堆肥の山




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