〜2001年10月〜 流転番外・安泰寺文集用原稿 |
馬耳東風 | 九月十三日の深夜、大阪城公園にテントを二つ張る。以降、オレの書斎とベッドルームになる。 翌朝、隣の家に挨拶に行く。 「こちらにテントを張ってもよろしいでしょうか」 「オォ、かまわぬよ」 下げていた一升瓶の効果か、ニコニコと返事してくれる。 その日から、オレはホームレスの見習いをさせてもらっている。 というと、聞こえはいいが、格好をつけて威張っていられる立場ではない。周りの家々のベテランたちにはむしろ、ホームレスの恥と思われているのではなかろうか。 なにしろ、登山用のテントが二つ、大阪城公園の見晴らしの一番いいところで並んでいる。中古で買ったマウンテンバイクもあれば、新しく買った携帯電話もある。洗濯はコインランドリで済まし、二日おきに銭湯にも行く。 まぁ、しかし、木造作りの玄関の前に花の植鉢を飾ったり、愛犬を飼ったり、発電機を動かして冷蔵庫やテレビを使っている先輩もおられるから、多少の贅沢をしても軽蔑されることはないようだ。 それより、このままでは佛罰が当たるのではないか、と心配でならない、というのは嘘だが、全くありえない話でもない。 安泰寺を下りた際にいただいた言葉、 「不良者以外なら何をやってもいいぞ」 を早速破って、水を得た魚のごとく大阪の都心の無方地帯で失われていた楽園を再発見し、禁断の果実(?)を食い荒らしてよかろうか。 子供の頃から、オレがこういう生き方にあこがれていたのを、師匠が見破っていたのだろうか。 ギリシャの哲学者の中に、幸せのあり方を追求した人は多かったが、ヘドンの純粋な快楽主義とエピクルの、「物ではなく、自分を楽しむ」という、具体的にはもうひとつ分からない、洗練された快楽主義のほか、ディオゲネスという人はいた。この人について、子供の頃に聞いた話しか知らないが、一生タルの中に過ごしたらしい。いわば、西洋ではのホームレスの元祖かもしれない。一時、そのあたりの支配者かだれかの耳にディオゲネスのうわさが入って、たずねに行った。 「オマエは欲を持たないまま、幸せだというが、本当かいよ。欲しいものがあれば、なんでもやってやるぞ。」 タルの前で日向ぼっこしていたディオゲネスは言う。 「何でもやってくれるなら、そこをちょっとどいてくれないかなぁ。日が当たらないのだ。」 無欲ではなく、少欲を貫いた彼はまさにタルを知っていた。ガキのオレがこの話を聞いて以来、一日の生活費をどこまで下げられるか、細かい計算でコメカミに力を入れた。 その緊張した頑張りも、今はやめた。コインランドリの洗濯機の中に服を放り投げて、銭湯に行く。脱衣所でケイタイを充電し、ゆっくりと湯船に浸かってから、洗濯物をドライヤーに移す。今度すぐ隣の「玉出」に入る。最初パチンコ屋と思って入ったのだが(そう、オレは実、パチプロにもあこがれていたのだ)、スーパーだった。 「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、ありがとうございます。スーパー玉出、スーパー玉出、安売りのスーパー玉出、日本一の安売りスーパー玉出でございます。どこよりも、より良い商品を、よりやすく、をモットーに、販売いたしております。」 という録音の声に励まされ、七十八円のライス、二十八円の豆腐、三十五円のコロッケを購入。遅く行けば、値段が一円まで下がることもある。気分爽快。「スーパー玉出、スーパー玉出・・・」と、小さく歌いながら、洗濯物を担いで帰路につく。 人間に生まれてきてよかった、と生まれてはじめて思う。しかし、油断してはならぬ。 公衆便所にはってある、 「差別をやめて、明るい社会を!差別的な落書きに気づいたら、すぐ大阪市に連絡を」 を見て、さすがの「ピース&リバティ」の大阪では落書きも一味違うのか、どんなやつを読ませてくれるのか、と、楽しみにしながら便所に入ると、何のことはない、 「うまい女のうんこ らーめんにいれたらうまかった」 といったような、当たり障りのない落書きしか許されないではないか。馬鹿馬鹿しい。 軽い気持ちになって、公園の管理人を単なる便所掃除人夫として見下ったのがいけなかったのか、この間オレのテントに一枚の「告」が配られていた。 「この物件、公園管理上支障になる」というから「至急除去せよ」だと。でなければ「当市で処分する」。 ベテランに言わせれば 「気にすることはない」 果たして大丈夫だろうか。とうとう楽園から追い出されるのか。 本当は全然心配していない。 あっ、坐禅会のことを書くのを忘れた。www.geocities.com/rutenkaiに詳しい。 |
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