Buddha Blackboard

star_aux安泰寺は曹洞宗の寺院であり、道元禅師の教えを純粋に行じるために設けられた修行道場です。 日本人と外国人が切磋琢磨しながら自給自足を営み、坐禅を中心とした修行生活を送っています。 一年を通して坐禅(年間1800時間)に専念できるように、生活は簡素で質実です。檀家を一切とらず、田畑を耕して米と野菜を栽培し、竈(かまど)の燃料となる薪は山から原木を切り出して割っています。12月~3月、雪で外部との往来ができない冬季は坐禅と教学に充実した雪安居が続きます。 悟りを求めることなく、修行がそのまま悟りである仏道を今、日々の生活の中で実践しようとしています。

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典座教訓(4回目の輪講・越智の当番)、2017年1月23日

典座教訓の全文はこちら: antaiji.org/archives/jap/ten.shtml

今日のテキストの原文は:

 又嘉定(かてい)十六年、癸未(きび)、五月中。慶元の舶裏(はくり)に在りて、倭使頭説話(せつた)次、一老僧有り來。年六十許歳(ばかり)。一直に便ち舶裏に到り、和客に問ふて倭椹(わじん)を討(たず)ね買う。
 山僧他を請(しょう)して茶を喫せしむ。佗の所在を問へば、便ち是れ阿育王山の典座なり。
 佗云く、「吾は是れ西蜀の人なり。郷を離るること四十年を得たり。今年是れ六十一歳。向來粗ぼ諸方の叢林を歴(へ)たり。先年權(か)りに孤雲裏に住し、育王を討ね得て掛搭(かた)し、胡亂に過ぐ。
 然あるに去年解夏(かいげ)了(りょう)。本寺の典座に充てらる。明日五日なれども、一供(く)渾(すべ)て好喫無し。麺汁を做(つく)らんと要するに、未だ椹(じん)の在らざる有り。仍(よっ)て特特として來る。椹を討ね買いて、十方の雲衲に供養せんとす」と。
 山僧佗に問ふ、「幾ばく時か彼(かしこ)を離れし」。座云く、「齋了(さいりょう)」。
 山僧云く、「育王這裏を去ること多少の路か有る」。座云く、「三十四五里」。山僧云く、「幾ばく時か寺裏に廻り去るや」。座云く、如今(いま)椹を買ひ了らば便ち行(さら)ん」。
 山僧云く、「今日期せずして相ひ會し、且つ舶裏に在て説話(せった)す。豈に好結縁(こうけつえん)に非ざらんや。道元典座禪師を供養せん」。
 座云く、「不可なり。明日の供養、吾れ若し管せずんば、便ち不是(ふぜ)にし了(おわ)らん」。
 山僧云く、「寺裏何ぞ同事の者齋粥を理會する無からんや。典座一位、不在なりとも、什麼(なん)の欠闕(かんけつ)か有らん」。
 座云く、「吾れ老年に此の職を掌(つかさど)る。及ち耄及(ぼうぎゅう)の辨道なり。何を以て佗に讓る可けんや。又た來る時未だ一夜宿の暇を請はず」。
 山僧又典座に問ふ、「座尊年、何ぞ坐禪辨道し、古人の話頭を看せざる。煩く典座に充て、只管に作務す、甚(なん)の好事か有る」と。
 座大笑して云く、「外国の好人、未だ辨道を了得せず。未だ文字を知得せざること在り」と。
 山僧佗の恁地(かくのごとき)の話を聞き、忽然として發慚驚心(ほつざんきょうしん)して、便ち佗に問ふ、「如何にあらんか是れ文字。如何にあらんか是れ辨道」と。
 座云く、「若も問處を蹉過せずんば、豈に其の人に非ざらんや」と。
 山僧當時(そのかみ)不會(ふえ)。
 座云く、若し未だ了得せずんば、佗時(たじ)後日、育王山に到れ。一番文字の道理を商量し去ること在らん」と。
 恁地(かくのごとく)話(かた)り了って、便ち座を起って云く、「日晏(く)れ了(な)ん忙(いそ)ぎ去(いな)ん」と。便ち歸り去れり。

越智につづいて、フェルナンダが奥村正博老師の英語訳を読み上げます:

ネットでも、典座教訓の英訳がご覧になれます。奥村正博老師とは別バージョンです:
Instructions for the Cook (Stanford translation)
INSTRUCTIONS FOR THE TENZO (translated by Anzan Hoshin & Yasuda Joshu)

有名な「シイタケ典座」のエピソードです。
ここより、越智の説明:

後半の原文です:

 同年七月、山僧天童に掛錫(かしゃく)す。時に彼の典座來りて得相見して云く、「解夏了(かいげりょう)に典座を退き、郷に歸り去らんとす。適(たまた)ま兄弟(ひんでい)の老子が在りと説くを箇裏に聞く。如何ぞ來りて相見せざらんや」と。山僧喜踊(きゆう)感激して、佗を接して説話(せった)するの次で前日舶裏に在りし文字辨道の因縁を説き出す。
 典座云く、「文字を學ぶ者は、文字の故を知らんことを爲(ほっ)す。辨道を務る者は、辨道の故を(冖+月)(うけが)わんことを要す」と。
 山僧佗に問う、「如何にあらんか是れ文字」。座云く、「一二三四五」。
 又問う、「如何にあらんか是れ辨道」。座云く、「(彳+扁)界會て藏さず」と。
 其の餘の説話(せった)、多般(たはん)有りと雖も、今緑せざる所なり。
 山僧聊(いささ)か文字を知り、辨道を了するは、及ち彼の典座の大恩なり。
 向來一段の事、先師全公に説似す。公甚だ隨喜するのみ。
 山僧後に雪竇の頌有り僧に示して「一字七字三五字。萬像窮め來るに據(よ)りどころ爲(あら)ず。夜深(ふ)け月白うして滄溟に下り、驪珠(りじゅ)を捜り得るは多許(そこばく)か有る」と云を看る。
 前年彼の典座の云ふ所と、今日雪竇の示す所と、自ら相ひ符合す。彌(いよいよ)知る彼の典座は是れ眞の道人なることを。
 然あれば則ち從來看る所の文字は、是れ一二三四五なり。今日看る所の文字も、亦た六七八九十なり。
 後來の兄弟(ひんでい)、這頭從り那頭を看了し、那頭從り這頭を看了す。恁(かくのごとき)功夫を作さば、便ち文字上の一味禪を了得し去らん。
 若し是の如くならずんば、諸方の五味禪の毒を被りて、僧食を排辨するに、未だ好手たることを得(う)べからざらん。
 誠に夫れ當職は先聞現證(せんもんげんしょう)。眼に在り耳に在り。文字有り道理有り。正的(しょうてき)と謂つべきか。
 縱(すで)に粥飯頭の名を忝(かたじけの)うせば、心術も亦た之に同ずべきなり。

ここより、再びフェルナンダが奥村正博老師の英語訳を読み上げます:

最後に、「四弘誓願」を称えます:

衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど) – 「生きとし生ける者をすべて救おう」という誓願
煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん) – 「煩悩は尽きることがないが、すべて断とう」という誓願
法門無量誓願智(ほうもんむりょうせいがんち) – 「法門は計り知れないが、すべて知ろう」という誓願
仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう) – 「仏道に終わりがないが、かならず成仏しよう」という誓願

https://ja.wikipedia.org/wiki/誓願を参照。

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