Monthly Archives: October 2013

キャンプファイヤー、2013年10月30日

麦の播種と 安泰寺森林グループで安全講習、そして温泉で慰労会、2013年10月29日

この日は麦の播種から始まりました。オーストリアの「アマデウス」という品種です。

 

10時から、緑公社の三人の先生がこられ、安泰寺森林グループのために安全講習を行ってくれました。住民参加型里山林再生事業の一環です。まずは口頭の説明から:

 

理屈ではないので、さっそく山へ移動しました。まず講師先生に実物見本を見せてもらいました。大きな杉の木はものの数分に倒れました。

 

実技のレッスンは、チェーンソーを持ったことがあるというアメリカン人の通完から行われました。

 

次は安泰寺森林グループのリーダー、恵光さんの番でした。

 

そして安泰寺の「ナンバーツー」(?)、愚聖さん。このあたりから、調子が崩れ始めてしまいました。

 

愚聖さんが担当していた木を、講師先生の三名に人力でようやく倒してもらいました。

 

新人のたけおくんが、先輩たちに包丁さばきならぬチェーンソーさばきを見せつけます。愚聖先輩いわく「君、なかなかうまいね」

 

スピリチュアル系の慈念くんの番。案の定、これも不発で終わってしまいました。

最後は雄大くんの出番。安泰寺で一番ピカピカしている彼こそ、ズバッと倒してくれるはずでしたが・・・。

さて、この日の講習会が終わったあとには、稲刈りの慰労会も兼ねて湯村温泉のリフレっしパークに行ってきました。

東司(とうす)の汲み取り、2013年10月27日

禅寺には不思議な専門用語がたくさん使われています。「東司(とうす)」という言葉もその一つです。
日本でもっとも古くかつ大きい東司は京都の東福寺にあります。現在は坐禅堂として使われていますが、「東司」のもともとの意味は「トイレ」なのです。
昔は数百名もの修行僧がいたようで、あれだけ大きな建物が必要だったのでしょう。ところが、東福寺の東司も永平寺の東司も、山門の西側に位置しています。
なぜ「東司」なのか。諸説があるようですが、こちらの推測が面白いです:「禅寺のトイレ:なぜ東司、西浄か」

今はほとんどの禅寺の東司は水洗トイレに変わりました。永平寺も東福寺もその例外ではありません。
しかし安泰寺では今も「ぽつん東司」ですので、定期的に汲み取りをしなければなりません。その「こえ」は畑や田んぼの大事な肥料になります。
今日は慈念さんが人参の追肥のために、タンクから人糞を汲み取っています。

 

ほかの作務は、田んぼにわらやヌカ、そしておが屑を入れる作業、庭の手入れ、柿の収穫などが行われています。
天才メカニックのトビくんは今日も機械をいじっています。アドリアンさんとふたりでブルドーザのブレーキを直し、キャタピラーを掃除しています:

 

連日の雨、一日摂心、2013年10月25日

台風の影響で、今日も終日雨が降っていました。
今年はなぜか、摂心と放参日に雨が多く、作務の日はそうでもないから助かっています。過去には摂心中に晴れて、いざ田畑を耕そうとしたら雨が降り出すという逆のパターンもありましたが、今年は修行者たちの日頃の行いがいいのでしょうか。
それはともかく、今日も一日、雨の音を聞きながらの摂心でした。
 

 

 

 
最後の坐禅が終わったあとには、皆が「普同参拝」をしてから、一斉に本堂をさり、台所に向かいます。直堂は皆を見送ってから、蝋燭の火を消して、扉を締めて、皆に遅れないように急ぎます。

マキ作務、2013年10月23日

典座の薪ストックが底をついたため、今日は久しぶりに丸太切りを行いました。丸太はブルドーザの裏に保管しています。

 

通完さんと二人で大きな丸太を丸鋸で切ります。かまどで使う巻の長さの目安はだいたい25センチです。これを「玉切り」といいます。

 

その「玉」をアドリアン、ダニエル、ジェラルドとたけおくんが台所用に細かく割っています。

 

玉切りのあと、第二倉庫の中でトビくんはベアリングの壊れていたトラクターの耕運機を直しています。

 

その横で、通完さんはご愛用のチェーンソーの目立てをしています。

 

安泰寺では7時半から作務が始まりますが、10時にはいよいよ「ティータイム」です。この日はマキ作務の他に、先日刈った稲を束ねる作業やそばの取り入れ作業等が行われました。

稲刈り後の大放参(おおぼうさん)、2013年10月21日

毎年、田植えが終わったあとと稲刈りが終わったあとには、寺が完全に休む「大放参(おおぼうさん)」があります。その日には坐禅も掃除も、もちろん作務もありません。典座当番すらなく、台所では皆が和気藹々で自由に料理しています。

朝日と浴びながら、通完さん、シュッテフィーさん、アドリアンさんとダニエルさんが「エニアグラム」という性格論について議論しています。安泰寺の外国人はやはり議論好きでしょうか。

横で坐っていながら、仲間の議論に耳を貸さないのはエニアグラムでいえば「情熱家(タイプ7)」の見本であるトビさんです。「楽天家・好奇心旺盛・自由人・飽きっぽい」というのがその性格だそうです。

安泰寺の庭に貼ってあるスラックラインをわたっているトビさん。

トビさんの真似をしようとしている無方堂頭。まだまだ修行が足りませんね。

稲刈り、最後の一枚:古代米、2013年10月19日

神嘗祭、2013年10月17日

渋谷の神主フローリアン・ウィルチコさんに、安泰寺の本堂で収穫祭を司ってもらいました。読み上げている祝詞は彼の自作だそうです。の
儀式のあとは、今年ハツの新米を里芋のとろろといただきました。美味しかったです。

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    本の紹介:星覚著「坐ればわかる」と内山興正著「いのちの問答」、2013年10月16日

本の紹介:星覚著「坐ればわかる」と内山興正著「いのちの問答」、2013年10月16日

献本された二冊を紹介します。一冊目を書いた星覚さんは山陰生まれで、今はベルリンで活躍しています。私とはベクトルが真逆に向いている方ですが、これから注目したい禅僧の一人です。
ネット上の情報は:
彼岸寺 http://higan.net/apps/mt-cp.cgi?__mode=view&blog_id=58&id=25
ベルリンの「雲堂」のFB https://www.facebook.com/undoinberlin
雲水喫茶 http://unsui.net/

日本でも、定期的に「禅の旅」を開催しています: http://www.higan.net/topics/2013/09/1011.html

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坐ればわかる


身体と心が美しくなる禅の作法


内山興正老師いのちの問答

内山老師のその他の本:

坐禅の意味と実際―生命の実物を生きる

道元禅師・沢木興道老師一筋に生き抜いた内山興正老師が、禅を求める欧米人のために、平易に説いた坐禅入門書。アタマの中の“思い”を手放し、生命の実物に目覚めて生きる深い坐禅の内的体験も明かす。名著『生命の実物』に「道元禅師の祇管打坐」を加えて新装改訂。
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自己―ある禅僧の心の遍歴

いのちがけの恋、真実を求めての若き日の苦悩、恋人・妻の死、そして出家。悟りをも求めないという道元禅師の説いた坐禅への疑い・葛藤、…。七転八倒の心の遍歴とともに、たどり致いた道元・沢木興道の「祇管打坐(しかんたざ)」の禅と、女学生に説いたキリスト教の話を併載。1965年柏樹社刊の復刊。

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観音経・十句観音経を味わう

観音に願いをかけ妻子を失った若き日、南無観世音菩薩と念じた辛い山仕事の日々、その自らの体験を経て、ついに禅者が出逢った観音の正体とは。

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正法眼蔵八大人覚を味わう

八大人覚とは、大人(だいにん・おとな)として覚り知るべき(少欲・知足など)八っのことの意で、ブッダ最後の教えといわれています。
その教えを、日本曹洞宗の開祖・道元禅師もまた『正法眼蔵』の一巻として書き遺しました。

本書で内山老師がユーモアを交えて平易に「大人の修行」の原点を解き明かす。原文はこちらでご覧になれます。

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正法眼蔵生死を味わう

生死の中に仏あれば生死なし。つまり生死の何から何までが仏なのだから、生死というものはないということです。すべて一切、天地一杯、生も死もひっくるめたものが、仏なのです。

道元の原文は、ストレートで分かり易い、詩的な情感漂う、900字足らずの散文です。

内山興正師著の本書は,『生死』を若い女性向きに分かり易く解説した物で気難しい古文読解の手引きではなく、内山師自身の生死への処し方を語り掛けた気軽なエッセイと云える。
原文はこちらでご覧になれます。

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正法眼蔵生死を味わう

正法眼蔵現成公案・摩訶般若波羅蜜を味わう

「現成公案」の卷は、いわば正法現蔵の総論であると同時にエキスでもあるとは、古来から言われております。優しい言葉で書かれ短い卷でありながら、その美しいひびきのあるご文章は、分からぬながらもそこに限りない深さを感じさせ、これが誰をもひきつけてやまないのでしょう。よく禅の話と言えば、あっちへすっとびこちへすとびして、人の意表外をつけばいいくらいに考えている人が多いわけですが、少なくともこの卷では決してそんなことはありません。わたしはかねてから仏法とは「分からないからただ座れ」「ただ信ぜよ」というのではなく、本当の宗教としての仏法である限り「仏法とは分からないものだとよく分かったから信ずる」「分からないところがよく分かったから座る」のではなくてはならないといつも言ってきております。(内山興正)
現成公案の原文はこちらでご覧になれます。

AMAZONで注文: 正法眼蔵現成公案・摩訶般若波羅蜜を味わう

正法眼蔵仏性を味わう

仏性とは行きつく処へ行きついた生き方。仏性とは「仏になれる可能性」などという、痛くも痒くもない他人事ではない。道元禅師の『正法眼蔵』の中でも最高峰とされてきた「仏性」の巻の真意を解き明かす。

AMAZONで注文: 正法眼蔵―仏性を味わう

普勧坐禅儀を読む―宗教としての道元禅

仏祖正伝の坐禅とは何か? その真髄を得て帰朝した若き道元の最初の著作「普勧坐禅儀」を、いま現代語で明かす。1977年柏樹社刊に「正法眼蔵に学ぶ生きる態度」「坐禅の中味」の2編を加える。

曹洞禅を行じてる方は、この本と「坐禅の意味と実際―生
命の実物を生きる」を読み、自分の坐禅を一度チェックしてみてはいかが?原文はこちらでご覧になれます。

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普勧坐禅儀を読む―宗教としての道元禅

内山興正法話集・天地一杯の生命(全10枚)[CD]

「どこまでも純粋に、自己のいのちの深さに向かう」

「生きる」ことと徹底的に対峙し、その真実を生涯追及し続けた内山興正師。人生科講義(第一巻~第五巻)では「何のために生きるのか」その真理をひもといて丁寧に解説。お釈迦様の遺言でもあり、道元禅師の遺言でもある『正法眼蔵』「八大人覚」(第六巻~第九巻)は、自らの修業体験も交えて分かりやすく手ほどきしています。貴重な音源である、師の晩年の説法(第十巻)も収録致しました。

※【おことわり】尚、この法話集は古い貴重な音源を使用している為、音質上で一部でお聴き苦しい部分がございます。予めご了承下さい。

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内山興正法話集

擁心さんの輪講:“Zazen is getting comfortable with the fence sticking up your bum”、2013年10月15日

今日も一日摂心でした。毎月の1日~5日の5日摂心の他に、10日・15日・20日・25日が「ミニ摂心」の日です。
朝4時から午後3時まで、9時の朝食をはさんで10炷坐ります。
今日の摂心中には、参加者のうち7名が10時から1炷だけ抜けて、ハザにかけてあった稲を薪小屋に移動しました。今夜こちらを通過する予定の台風から守るためです。

摂心の前夜には正法眼蔵随聞記についての輪行があります。修行者たちが代わりばんこうでテキストを読み上げ、解釈をし、自分の生活を振り返りながら自己を照らしています。
昨日はオーストラリア人の擁心さんの番でした。専門の心理学を活かしながら、様々な話をしてくれました。

正法眼蔵随聞記の英語訳はこちら:
http://global.sotozen-net.or.jp/common_html/zuimonki/03-10.html
http://global.sotozen-net.or.jp/common_html/zuimonki/03-11.html
http://global.sotozen-net.or.jp/common_html/zuimonki/03-12.html