佛家に本(もと)より六知事有り。共に佛子爲(た)りて、同(とも)に佛事を作(な)す。
 就中(なかんづく)典座の一職(いっしき)は、是れ衆僧(しゅぞう)の辨食(べんじき)を掌(つかさど)る。
 『禪苑清規(ぜんねんしんぎ)』に云(いわ)く、「衆僧を供養するが故に典座有り」と。
 古(いにしえ)より道心の師僧、発心の高士(こうし)充て来(きた)の職なり。蓋(けだ)し一色の辨道の猶(ごと)きか。
 若し道心無きは、徒(いたずら)に辛苦を労して畢竟(ひっきょう)益(えき)無し。
 『禪苑清規』に云く。「須(すべから)く道心を運(めぐ)らして、時に随って改変し、大衆をして受用安樂ならしむべし」と。
 昔日(そのかみ)、イ山(いさん)。洞山(どうざん)等之を勤め、其の余の諸大祖師も、曽(かつ)て経来れり。所以(ゆえ)に世俗の食厨子(じきずし)、及び饌夫(せんぷ)等に同じからざる者か。
 山僧在宋の時、暇日、前資勤旧(ぜんしごんきゅう)等に咨問するに、彼等聊(いささ)か見聞(けんもん)を挙(こ)して、山僧の為に説く。此の説似(せつじ)は、古来有道の佛祖の遺す所の骨髄なり。大抵須らく『禪苑清規』を熟見すべし。然して後に須らく勤旧子細之の説を聞くべし。
 所謂(いわゆる)、当職(とうしき)一日夜を経す。先ず斎時罷(さいじは)、都寺(つうす)、監寺(かんす)等の辺(あたり)に就いて、翌日の斎粥の物料を打(た)す。所謂米菜等なり。
 打得し了(お)わらば、之を護惜(ごしゃく)すること眼晴(がんせい)の如くせよ。保寧(ほねい)の勇(ゆう)禪師曰(いわ)く、「眼晴なる常住物を護惜せよ」と。
 之を敬重(きょうじゅう)すること御饌草料(ぎょせんそうりょう)の如くせよ。
 生物熟物(しょうもつじゅくもつ)、倶(とも)に此の意を存せよ。