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典座教訓(4回目の輪講・越智の当番)、2017年1月23日

典座教訓の全文はこちら: antaiji.org/archives/jap/ten.shtml

今日のテキストの原文は:

 又嘉定(かてい)十六年、癸未(きび)、五月中。慶元の舶裏(はくり)に在りて、倭使頭説話(せつた)次、一老僧有り來。年六十許歳(ばかり)。一直に便ち舶裏に到り、和客に問ふて倭椹(わじん)を討(たず)ね買う。
 山僧他を請(しょう)して茶を喫せしむ。佗の所在を問へば、便ち是れ阿育王山の典座なり。
 佗云く、「吾は是れ西蜀の人なり。郷を離るること四十年を得たり。今年是れ六十一歳。向來粗ぼ諸方の叢林を歴(へ)たり。先年權(か)りに孤雲裏に住し、育王を討ね得て掛搭(かた)し、胡亂に過ぐ。
 然あるに去年解夏(かいげ)了(りょう)。本寺の典座に充てらる。明日五日なれども、一供(く)渾(すべ)て好喫無し。麺汁を做(つく)らんと要するに、未だ椹(じん)の在らざる有り。仍(よっ)て特特として來る。椹を討ね買いて、十方の雲衲に供養せんとす」と。
 山僧佗に問ふ、「幾ばく時か彼(かしこ)を離れし」。座云く、「齋了(さいりょう)」。
 山僧云く、「育王這裏を去ること多少の路か有る」。座云く、「三十四五里」。山僧云く、「幾ばく時か寺裏に廻り去るや」。座云く、如今(いま)椹を買ひ了らば便ち行(さら)ん」。
 山僧云く、「今日期せずして相ひ會し、且つ舶裏に在て説話(せった)す。豈に好結縁(こうけつえん)に非ざらんや。道元典座禪師を供養せん」。
 座云く、「不可なり。明日の供養、吾れ若し管せずんば、便ち不是(ふぜ)にし了(おわ)らん」。
 山僧云く、「寺裏何ぞ同事の者齋粥を理會する無からんや。典座一位、不在なりとも、什麼(なん)の欠闕(かんけつ)か有らん」。
 座云く、「吾れ老年に此の職を掌(つかさど)る。及ち耄及(ぼうぎゅう)の辨道なり。何を以て佗に讓る可けんや。又た來る時未だ一夜宿の暇を請はず」。
 山僧又典座に問ふ、「座尊年、何ぞ坐禪辨道し、古人の話頭を看せざる。煩く典座に充て、只管に作務す、甚(なん)の好事か有る」と。
 座大笑して云く、「外国の好人、未だ辨道を了得せず。未だ文字を知得せざること在り」と。
 山僧佗の恁地(かくのごとき)の話を聞き、忽然として發慚驚心(ほつざんきょうしん)して、便ち佗に問ふ、「如何にあらんか是れ文字。如何にあらんか是れ辨道」と。
 座云く、「若も問處を蹉過せずんば、豈に其の人に非ざらんや」と。
 山僧當時(そのかみ)不會(ふえ)。
 座云く、若し未だ了得せずんば、佗時(たじ)後日、育王山に到れ。一番文字の道理を商量し去ること在らん」と。
 恁地(かくのごとく)話(かた)り了って、便ち座を起って云く、「日晏(く)れ了(な)ん忙(いそ)ぎ去(いな)ん」と。便ち歸り去れり。

越智につづいて、フェルナンダが奥村正博老師の英語訳を読み上げます:

ネットでも、典座教訓の英訳がご覧になれます。奥村正博老師とは別バージョンです:
Instructions for the Cook (Stanford translation)
INSTRUCTIONS FOR THE TENZO (translated by Anzan Hoshin & Yasuda Joshu)

有名な「シイタケ典座」のエピソードです。
ここより、越智の説明:

後半の原文です:

 同年七月、山僧天童に掛錫(かしゃく)す。時に彼の典座來りて得相見して云く、「解夏了(かいげりょう)に典座を退き、郷に歸り去らんとす。適(たまた)ま兄弟(ひんでい)の老子が在りと説くを箇裏に聞く。如何ぞ來りて相見せざらんや」と。山僧喜踊(きゆう)感激して、佗を接して説話(せった)するの次で前日舶裏に在りし文字辨道の因縁を説き出す。
 典座云く、「文字を學ぶ者は、文字の故を知らんことを爲(ほっ)す。辨道を務る者は、辨道の故を(冖+月)(うけが)わんことを要す」と。
 山僧佗に問う、「如何にあらんか是れ文字」。座云く、「一二三四五」。
 又問う、「如何にあらんか是れ辨道」。座云く、「(彳+扁)界會て藏さず」と。
 其の餘の説話(せった)、多般(たはん)有りと雖も、今緑せざる所なり。
 山僧聊(いささ)か文字を知り、辨道を了するは、及ち彼の典座の大恩なり。
 向來一段の事、先師全公に説似す。公甚だ隨喜するのみ。
 山僧後に雪竇の頌有り僧に示して「一字七字三五字。萬像窮め來るに據(よ)りどころ爲(あら)ず。夜深(ふ)け月白うして滄溟に下り、驪珠(りじゅ)を捜り得るは多許(そこばく)か有る」と云を看る。
 前年彼の典座の云ふ所と、今日雪竇の示す所と、自ら相ひ符合す。彌(いよいよ)知る彼の典座は是れ眞の道人なることを。
 然あれば則ち從來看る所の文字は、是れ一二三四五なり。今日看る所の文字も、亦た六七八九十なり。
 後來の兄弟(ひんでい)、這頭從り那頭を看了し、那頭從り這頭を看了す。恁(かくのごとき)功夫を作さば、便ち文字上の一味禪を了得し去らん。
 若し是の如くならずんば、諸方の五味禪の毒を被りて、僧食を排辨するに、未だ好手たることを得(う)べからざらん。
 誠に夫れ當職は先聞現證(せんもんげんしょう)。眼に在り耳に在り。文字有り道理有り。正的(しょうてき)と謂つべきか。
 縱(すで)に粥飯頭の名を忝(かたじけの)うせば、心術も亦た之に同ずべきなり。

ここより、再びフェルナンダが奥村正博老師の英語訳を読み上げます:

最後に、「四弘誓願」を称えます:

衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど) – 「生きとし生ける者をすべて救おう」という誓願
煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん) – 「煩悩は尽きることがないが、すべて断とう」という誓願
法門無量誓願智(ほうもんむりょうせいがんち) – 「法門は計り知れないが、すべて知ろう」という誓願
仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう) – 「仏道に終わりがないが、かならず成仏しよう」という誓願

https://ja.wikipedia.org/wiki/誓願を参照。

6年前の思い出

典座教訓(2回目の輪講・遊心の当番)、2017年1月19日

典座教訓の全文はこちら:
antaiji.org/archives/jap/ten.shtml

今日のテキストの原文は:
 粥時の菜を調ふる次に、今日齋時に飯羮等に用うる所の盤桶(ばんつう)並に什物調度(じゅうもつちょうど)を打併(たびゃう)して、精誠浄潔(せいせいじょうけつ)に洗灌(せんかん)し、彼此(ひし)高處(こうじょ)に安ずべきは高處に安じ、低處に安ずべきは低處に安ぜよ。高處は高平に、低處は低平。
 キョウ(木+夾)杓(きょうしゃく)等の類、一切の物色(もつしき)、一等に打併して、眞心(しんしん)に物を鑑(かん)し、輕手(けいしゅ)に取放(しゅほう)す。
 然して後に明日の齋料(さいりょう)を理會(りえ)せよ。先ず米裏に蟲有らんを擇べ。緑豆(りょくず)・糠塵(こうじん)・砂石等、精誠に擇べ。
 米を擇び菜を擇ぶ等の時、行者(あんじゃ)諷經(ぶぎん)して竈公(そうこう)に囘向(えこう)す。
 次に菜羮(さいこう)を擇び物料(もつりょう)を調辨(ちょうべん)す。
 庫司に隨いて打得(たとく)する所の物料は、多少を論ぜず、麁(鹿+鹿+鹿)細(そさい)を管せず、唯だ是れ精誠に辨備するのみ。切に忌(い)む。色を作して口に料物の多少を説くことを。
 竟日(ひねもす)通夜(よもすがら)、物來りて心(むね)に在り、心(むね)歸して物に在り。一等に佗の與(ため)に精勤辨道す。
 三更(さんこう)以前は、明曉(みょうきょう)の事を管し、三更以來は、做粥(さしゅく)の事を管す。
 當日の粥了(おわ)らば、鍋(か)を洗い飯を蒸し羮(こう)を調う。
 齋米(さいべい)を浸(ひた)すが如きは、典座水架(すいか)の邊を離るること莫(な)れ。明眼(めいげん)に親しく見て、一粒(りゅう)を費さず。如法に淘汰せよ。
 鍋に納れて火を燒き飯を蒸す。
 古に云く、「飯を蒸す。鍋頭を自頭と爲し、米を淘る。水は是れ身命なりと知れ」と。
 飯を蒸し了らば、便(すなわ)ち飯ラ(竹+羅)裏(はんらり)に收め、及ち飯桶(はんつう)に收めて、擡槃(ばんだい)の上に安ぜよ。
 菜羮(さいこう)等を調辨(ちょうべん)すること、應に飯を蒸すの時節に當るべし。
 典座親く飯羮(はんこう)調辨の處在を見、或は行者を使い、或は奴子(ぬす)を使い、或は火客(こか)を使い、什物(じゅうもつ)を調えしめよ。
 近來は大寺院に、飯頭(はんじゅう)・羮頭(こうじゅう)有り。然れども是れ典座の使う所なり。
 古時は飯頭羮頭等無く、典座一管(いっかん)す。
 凡(およ)そ物色(もつしき)を調辨するに、凡眼(ぼんがん)を以て觀ること莫れ。凡情を以て念(おも)うこと莫れ。
 一莖艸(いっきょうそう)を拈(ねん)じて、寶王刹(ほうおうせつ)を建て、一微塵(いちみじん)に入いて、大法輪を轉ぜよ。
 所謂(いわゆる)、縱(たと)えフ(艸+甫)菜羮(ふさいこう)を作るの時も、嫌厭輕忽(けんえんきょうこつ)の心を生ずべからず。縱え頭乳羮(ずにゅうこう)を作るの時も、喜躍歓悦(きやくかんえつ)の心を生ずべからず。既に耽著(たんじゃく)無し、何(なん)ぞ惡意(おい)有らん。然らば則ち麁に向うと雖も全く怠慢無く、細(さい)に逢(あ)うと雖も彌(いよいよ)精進有るべし。
 切に物を遂うて心を變ずること莫れ。人に順(したが)いて詞(ことば)を改むるは、是れ道人に非ざるなり。
 勵志至心(しいしん)に、浄潔(じょうけつ)なること古人に勝(まさ)れ、審細(しんさい)なること先老に超えんことを庶幾(こいねがふ)べし。
 其の運心(うんしん)道用(どうゆう)の體(てい)たらくは、古先(こせん)は縱(たと)ひ三錢を得るときは、而(すなわ)ち(艸+甫)菜羮を作るも、今ま吾(わ)れ同く三錢を得るときは、而(すなわ)ち頭乳羮を作らんと。
 此の事難(なん)爲(に)なり。所以(ゆえ)は何(いか)ん。今古殊異(しゅい)にして、天地懸隔(けんかく)なり。豈(あ)に肩を齋(ひと)しくすることを得る者ならんや。
 然れども審細(しんさい)に辨肯(冖+月)するの時は、古人を下視(あし)するの理、定(さだ)んで之れ有り。
 此の理、必然なるすらを、猶(な)お未だ明了ならざるは、思議(しぎ)紛飛(ふんぴ)して、其の野馬(やば)の如く、情念奔馳(ほんち)して、林猿(りんえん)に同じきを卒由(もつて)なり。
 若(も)し彼の猿馬(えんば)をして、一旦(たん)退歩返照(たいほへんしょう)せしめば、自然(じねん)に打成一片(だじょういっぺん)ならん。是れ及(すなわ)ち物の所轉(しょてん)を被(こうむ)るとも、能(よ)く其の物を轉ずるの手段なり。
 此の如く調和浄潔にして、一眼兩眼を失すること勿(なか)れ。
 一莖菜を拈じて丈六の金身と作し。丈六の金身を請して一莖菜を作す。
 神通及び變化、佛事及び利生する者なり。
 已に調ひ調へ了て已に辨じ、辨じ得て那邊(なへん)を看し這邊(しゃへん)に安(お)け。


 

本堂回り、2017年1月16日

「Zen for Nothing」のサウンドトラック&本の紹介: 「別冊サンガジャパン3 マインドフルネス」&「教養としての仏教入門」& 「お寺さん崩壊」、2016年12月27日

2016年にヨーロッパで話題になった映画「Zen for Nothing」のサウンドトラックはポッドキャストという形で公開されました:
ZEN is the biggest lie of all times
安泰寺の日常生活の音(騒音?)の上に、フレッド・フリスやイクエ・モリといった前衛ミュージシャンがインプロヴィゼーションしています。ウェルナー・ペンツェル&茂木綾子さんの作品です。

その昔、「大人の修行」について書いたシリーズがあります:
大人の修行

そのなかでもマインドフルネスの問題点と正しい坐禅について、特に以下のページで触れています:
「マインドフル」なお心、 もう忘れてしまいなさい
心猿意馬
さがしものは何ですか
正しい坐り方
綿屑みたいな顔はみっともない!
坐禅を好きになること

再び。本堂回り&バス停までの道、2016年12月16日

寒波の二日目の様子です。現時点では、まだ車が通れます。

初雪と本堂回り、バス停までの道、2016年12月15日

今日から、本格的な積雪の予報が出ています。

本堂回り、2016年11月24日

この時期の日本海側にとって、典型的な冬型の天気です。もう少しすれば、この雨が雪に変わるはずですが、地元のおじいさんおばあさんの話では、今年はたくさん降るのでは・・・

本堂回り&文集「私が安泰寺に期待すること」、2016年11月19日

11月前半の安泰寺では、晴れたり曇ったりしていますが、後半になると曇ったり降ったりという感じです。ですので、この時期は冬前のラストスパートです。畑では昨日そばを収穫し、今日は最後のかぼちゃを広い、明日以降には里芋、ゴボウ、ニンジン、大根、白菜などを貯蔵する予定です。山では枯れた松を切り倒し、玉切りをし、薪割り作業も進めております。台所のかまどや風呂のボイラーの他には、これらの木を4か月に及ぶ冬安居の間、薪ストーブの燃料として使用します。

さて、今年も 安泰寺文集 をネット配信しています。今年のテーマは「私が安泰寺に期待すること」です。

秋の作務、2016年11月13日