いま自殺しようと思いつめている人へ

内山興正著

uchiyamaいま地球上では人口があり余っているのだし、あなたが死んでも社会としては誰も困る人はいないのですから、自殺されたらいいでしょう。思うに、人々が死にたいと思う動機にはいろいろあるでしょうが、恐らく一生の内には 死んでしまいたくなるほどの苦しみに誰でも出会うのであり、一度も思ったことのない人など世の中にほとんどいないでしょう。

しかし皆、何とかそれに耐えて生きているのは、人間生命の根底において、本能的に生きようという力が働いているからです。このいのちの声に逆らって自殺をはかり、自殺しそこなって、かえってその時、身心に障害を受け、一生それを背負って生きねばならぬ人は世の中に多いです。例えば睡眠薬を多量に飲んだため、一生その時の薬害を受けて苦しまなければならなかったり、あるいはビルから飛び降りたが偶然助かり、しかし一生歩けなくなってしまったとか。

ですから、あなたも自殺する瞬間・・・・・・例えばビルの屋上から飛び降りて下まで落ちる間に、「しまった!自分の深い心の奥底では、自分は生きていたかったのだ。今このまま死にたくない。どうしても死にたくない!!」と絶叫するようなことにはならぬよう、よくよく自分の深層意識の声と相談されてから、自殺の実行をすることにした方がいいと思います。

その点、自殺をなし遂げたという人でも、自然の運命的なものがそれを許したまでのことであって、決してその人の意志が強固だったから自殺をなし遂げたのではないでしょう。
人間の思いの力など、大自然の力の前には全く一徴塵の力でしかないのだと私は思います。むしろわれわれが生きているいのちの底には、何より生きたいという生存本能の力が働いていることこそ根本事実です。

今あなたは疲れ果て、生きる気力を失くしかけていらっしゃる。そんな時ちょっと屋外に出て、今は春で伸び始めている路傍の一本の草にでも目を注ぎ、じっと見つめてごらんになるといいと思います。一本の名も知れぬ草ながら、それなりの「生命力」として力強く成長していっているでしょう。
それでもしこの草から、あなたがあなた自身の中に働いている「生命力」を目覚めさせられるなら、この草一本でも、それなりに本当の「生きる意味」があったと言えましょう。人間の「生きる意味」というのも、そんなものだと思います。

あなたのご両親なり親しい方も、あなたが落ちこんでいるならきっと悲しく思い、心配され、苦しんでおられることと思います。それに反し、あなたがいきいき明るい顔を見せるなら、きっと喜び、そういう方々もいきいきされるに違いありません。とすると、少なくとも身近な人を喜ばせ、いきいきさせる中に、あなたの「生きる意味」もあるわけです。
その点、人間という存在、決してあなた一人ではなく、実は誰でも彼でも心の底に深い悲しみをもっています。この皆のもつ深い悲しみを共に悲しみながら、しかし同時にお互い様、生まれて来、生きている限りは、生命力をもってこれを乗り越えて生きているのです。それでこんな「生命力」をお互いに呼び覚まし合いながら生きるのが、仏教でいう慈悲心、大悲心というものです。

どうぞ、あなたもただ自分一人だけのことを考えて「自分には生きる気力がない」と落ち込んでばかりいず、先ず自分を心配して下さる人が、かえっていきいき勇気づけられるような生き方をする努力すべきです。そこにこそあなた自身の本当の「生きる意味」もあるに違いありません。

とにかく、われわれ自身の中に働いている「生命力」とは、あらゆる困難抵抗を乗り越えていく力であり、草一本にも、われわれ自身の中にみ、確かに事実働いている力なのですから、このいのちの声を一つの根本要因として、われわれの人生を考え直すことこそ、 私は大事と思っています。