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キリスト教、仏教、そして私・その22

「愛こそはすべて」なんて、大嘘!

ョン・レノンとオノ・ヨーコがで結婚したのは一九六九年三月のこと。場所は教会でもチャペルでもなく、イギリス領ジブラルタルの役所でした。ジョンが八歳でヨーコは三六歳、八歳年上の姉さん女房でした。私はまだ一歳になったばかりだったので、当然そのときのことを覚えているわけではないのですが、ベトナム戦争のさなかで学生運動が流行っていた時代です。
ジョンとヨーコはハネムーンを世界平和を宣言するためのいいチャンスだと考えたらしく、「ベッド・イン」と称し、ホテルのスイート・ルームにメディアを招き入れました。のちに発表されたレノンの曲『マインド・ゲームス』のコーラスとして使われている、「メイク・ラヴ・ノット・ウォー」というスローガンは当時の若者たちのあいだに流行っていました。二人は以前、アルバムカバーでも自分たちの裸体をさらけ出して抱き合ったことがあったので、駆けつけていた記者たちはどうやら「平和のためにメイク・ラブ」をするのでは、とワクワクしていたようです。残念ながら、と言っていいかどうかはわかりませんが、その期待は見事に裏切られました。お二人はベッドに坐りながら、延々と平和を語るのみでした。
その時は実は、ジョンにもヨーコにも子供がいました。ジョンには五歳になる息子、ヨーコにもやはり五歳の娘。それぞれ、前の結婚相手が引き取っていました。子供の目に、二人のベッド・インはどう映っていたのでしょうか。
明くる一九七〇年、ジョンは初のソロ・アルバム『ジョンの魂』しました。オープニング曲「マザー」では、自分の子供時代を振り返っています。
「母さん 僕はあなたのものだったけど あなたは僕のものじゃなかった
僕はあなたを求めていたのに あなたは僕を求めてはいなかった
だから 僕はいうんだ あばよ さよなら
父さん あなたは僕を見捨てた 僕はあなたを見捨てなかったのに
僕はあなたを必要としたのに あなたは僕なんか必要としなかった
だから 僕はいうんだ あばよ さよなら」(山本安見 訳)
ジョンは一九四〇年に船員だった父アルフと母ジュリアとの間に生まれました。孤児院の中で育っていた父アルフはジョンの生後まもなく失踪して、母ジュリアも別の男と暮らし始めたため、幼いジョンは親戚にたらい回しにされながら育ったようです。五歳のときに突然戻ってきた父にニュージーランドに連れられそうになったが、追いかけた母は二人をブラックプールで引き止めた。そこで親権をめぐっていさかいになっていた両親は幼いジョンに「お父さんを選ぶか、お母さんを選ぶか」と聞いてみた。ジョンが二度も「お父さん」と答えてから、ジュリアはその場を立ち去ろうとしたが、ジョンは結局泣きながら母親を追いかけて、母の姉の家に戻されてしまった。そして、ジョンが一七歳の時に母親が交通事故でなくなるまで、一緒に暮らすことはなかったそうです。
アルフは一九六四年のある日、突然ビートルズの事務所に現れて、「ジョンのち父です」と自己招待した。一八年ぶりに父にあったジョンの答えは、「あなたは何をしに来たですか」。
いかにジョンが愛に飢えていたかは、やはり『ジョンの魂』に収録されている「ラブ」という曲の歌詞にもよく表れています。
「愛はリアル リアルな愛 愛はフィーリング 愛を感じること 
愛は願い 愛されたいと願うこと」(拙訳)

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しかし「されたい」と言っただけじゃ、愛にはなりません。ヨーコもそういうジョンに愛想をつかせた時期があったようです。当時二二歳だったマネジャーに「あなたならジョンをコントロールできる』と愛人になることを要求したそうです。メイ・パンというその女性によれば、ジョンもまた「ヨーコがそうしろっていうから、そうすることにした」といい、ヨーコが寄りを戻すまでの一年はんのあいだ、一緒に過ごしたそうです。

一九七五年一〇月にヨーコとのあいだに次男のショーン・タローが生まれてと、ジョンはそれまでの自分を反省したからか、音楽業界から身を引いてしまいました。ヨーコがミュージシャンとして活動している間、ジョンはハウス・ハズバンドとして育児に専念しました。イクメンの鏡、ジョン・レノン。
そして一九八〇年、ジョンとしては五年ぶりにリリースした『ダブル・ファンタジー』はヨーコとの共作で、夫婦愛を歌うものでした。しかしこのレコードは彼の遺作となってしまいました。十二月八日を仏教では「成道会」といい、釈尊が悟りを開いた人して記念されていますが、一九八〇年のこの日にジョンは射殺されてしまいました。
 残念ながら、彼の長男ジュリアンには父の愛は伝わってこなかったようです。ジョンが殺されたあとのインタビューでは、息子はこう答えています。
「父が私を愛した? いつの話ですか。ポールはよく遊んでくれましたよ。父よりも、ポールが相手にしてくれましたよ」

日本でも一九七〇年代から「愛は地球を救う」というようなキャッチフレーズが飛び交うようになりました。しかし「愛」と言葉には、人はそれぞれ違った意味を与えます。人類愛もあれば、郷土愛もあります。男女の愛と家族愛があります。同じ家族愛でも、子に対する親の愛と、親に対する子の愛には温度差があるでしょう。ましてや兄弟ともなれば、その格差はなおさら激しい。愛どころか、妬みと憎しみの満ちた家族もあるわけです。愛が単なる性愛を指す場合もあれば、「プラトニック・ラブ」もあります。神の愛からペットの愛まで、知の愛からセックスまでスペクトルこそ広いですが、英語の「ラブ」はその全てをカバーしてしまいます。
言葉は同じでも、愛のベクトルの向きがバラバラだったり、正反対を向いたりします。「君を愛している」といいながら、本当は相手に愛されたいだけということもあります。「好き」という言葉は、好かれたいという本音の裏返しです。それはお互いさまそうなので、いつのまにか「僕が君を愛しているほど、君が僕を愛してくれていないのでは?」という深い亀裂が走ってしまいます。
日本語なら「好きだよ」という一言は、英語で「アイ・ラブ・ユー」になってしまう。主語・動詞・対象語を全部並べておかなければ、その意味は通じません。「ラブ」といっただけでは、誰が誰に好意を持つということは、相手に理解されないのです。そんなことは一々言わなくても通じ合うはずだという人もいるかもしれませんが、意外に通じ合わないのが愛です。言葉にするのも大事ですが、英語やドイツ語のように主語と対象語を明言しなければならない文法では、「自他を分けて考えない」という愛の精神が台無しになってしまいます。むしろ日本語のように行間を読み、相手の気持ちを共有し、言外の意味をくみ取ろうというコミュニケーションに愛の特徴があると思うのですが、それがいつもうまくいくとは限りません。
あるいは「愛」と称して、相手を自分のモノにしたい人もいるでしょう。相手は愛されたくても、モノにはされたくないのです。「あなたをこんなに愛していたのに」と相手を責めてもも、それは愛ではないでしょう。愛の押し売りはストーカー行為です。それは男女の恋愛だけの話ではありません。
親の愛の場合も、同じ問題が起こります。ネグレクトする親もあれば、溺愛する親もいます。しかし子を自分の分身のように愛しているつもりで、実は支配したいだけという場合もあります。逆に、「子供のタメを考えて」といい、子を冷たく突き放している親。幼い時の子供は親を必要としていますが、親がいつまでも「必要にされたい」「支配したい」というなら、子が反抗するのは時間の問題です。子は親の付属物ではないからです。
愛の音痴ともいえる私の中にも、ジョンとヨーコと同じものが多かれ少なかれ流れていると思います。その一方で、彼らが語る「愛と平和」は鬱陶しくてしかたありません。「愛さえあれば」というけど、その愛の押し付けさえなければ、自ずと解決する問題も山ほどあるのです。「愛こそはすべて悪い」というつもりはありませんが、私が問題にしたいのは愛の有り無し以前に、愛の中身なのです。

(ネルケ無方、2014年8月1日)