・帰  命・
[まっさらな自分に立ち返る]
〜1月号〜

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オメデタイこと

 本当にオメデタイことは何か。

 先月は菩薩の行き方について、菩薩は六道に自由に生まれ変わって、一切の衆生を救おうと しているのだ、と書きました。

 六道に生まれ変わることを仏教用語で「流転」と言いますが、下手をすれば「流転」を死ん だ後のことだと勘違いする危険があります。そうではなく、私たちが「今」流転しているのです。
いや、「私たち」ではなく、「流転」が今、行われているのです。

 これを説明するために、そしてこれはどうして「オメデタイ」かを説明するために、去年大阪 城公園から出した元旦の挨拶を以下、リサイクルしたいと思います。

 まず仏教に「四法印」という四つの教えがあります。
1)一切皆苦・私たちの存在は満たされない存在であり、私たちの心は常に満足し切れないよ うにできています。
2)諸行無常・物事は移り変わってゆき、これこそ「流転」の姿です。
3)諸法無我・物事には実態がなく、「私」もなければ「あなた」もありません。現実そのもの につかみ所はありません。
4)涅槃寂静・このつかみ所のない、満たされない現実に、そのまま徹底して落ちつくことで す。

 仏教のこの基盤にたてば、「私が流転して何かに生まれ変わる」というのは無意味です。
 流転する主体が無いからです。あえていうならば、「流転」が「流転」しているのです。
 死んだ後、私たちがどうなるかというより、今ここ生きている私たちのありようがどうなっ ているか、が問題です。「私」というものがあって、この「私」が死んだら別のものに生まれ 変わるのではなく、常に移り変わってゆく現実に沿って生きているのを仮に「私」と呼んでい るだけです。そういう「私」は瞬時に移り変わってゆきます。

 元旦に当たって、今までの自分を捨て去り、新しい自分に変わろうとする願いは、非常に大 事なことであり、そういう大事な機械を与えてくれているお正月も本当に「オメデタイ」です 。実は、元旦だけではなく、私たちが願っても願わなくても、毎日新しい自分に変わりつづけ ています。ただ、そこにハッキリした誓願がなければ、元旦に漠然と願っていたことはすぐ忘 れられ、業に流されるだけです。
 業に流されるのも「流転」の姿。
 誓願を持って、法輪を転じるのも「流転」の姿。
 流転が流転している中、どっちを向いて流転するかが、各々に課せられています。
                                    
(堂頭)


■ 安泰寺と自分 ■ ■■
 私が安泰寺に来て一ヶ月以上経ちました。今振り返るとここでの生活は充実した毎日でした。普段経験出来ないことをたくさんやらせてもらいました。まさかかんじきデビューをするなんて夢にも思いませんでした。一日一日が貴重な財産です。
 ここには自分らしさを持った強い自分を見つめ直すために来ました。でもそういう期待は全然していませんでした。ただ自分を変えたいという気持ちだけがありました。今はというと前と少し違った自分がいます。そのきっかけを安泰寺が与えてくれました。今のこの気持ちを活かしていくかです。安泰寺での生活は無駄じゃなかったんだと思えるようになりたいです。それが安泰寺に対する恩返しだと思っています。
(M・K)


...と思っている。


 本当に大切なものは、失ったり、手元になくなって初めて気がついたりするものだ と思う。
 私は、一生一緒にいたい人にはいつもいじめをする。意地悪心が自動的に働 く。そんなつもりではないけれどいじめられずにはいられないらしい。そしてその人 と離れてしまった今、その人の良さや愛しさが身にしみて分かる。一緒にいないとい う事実を知って、戸惑う自分がいる。涙なんて簡単に流すことが出きる。そして、そ の人の声を聞くだけで胸が踊る、恋する乙女のようになってしまう。なんて自分は愚 かなのだろうと思ってみたりする。

 去年いろいろな人を見た。メディアでも、安泰寺 でも、街中でも。一番可哀想だと思うのは、権力者ぶってる人だ。権力を見せようと してそれに気づかず却って自分の器の小ささやつまらなさを見せているのにそれに気 づかずえらぶる。あほみたいと横目で小ばかにしつつ、哀れんでいる自分がいる。そ れは決して他人事ではない。けれど、去年は自分の弱さや新しい発見ができた私に は、そう言う類の人を冷静に眺めている。今というものが見えない私達は、過去を振 り返らずには生きられない。そうやって前に進んで生きているのだと思う。

 しかし、大事なものを 本当に失ってからではもう遅い。世の中にはお金では買えないものがたくさんある。 お金で買えるものよりもそのほうを人間は本当にほしがっていると思う。私は、一生 一緒にいたい人を本当に大切にしたいと思う。花に水をやるようにその人に愛情を たっぷりあげたいなぁと思う。それが私の今年の抱負。物事なんでも忘れがちな私は この文章をトイレやキッチンなどにはってがんばろう。と思っている。
(ともみ)
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