【帰命】
〜まっさらな自分に立ち返る〜
〜12月号〜

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安泰寺はオマエが創るんだ
(大人の修行 その8)
 安泰寺での初めての夜は私にとっていまだに印象深いものです。田舎の山の中に安泰寺だけがぽつんとあるにもかかわらず、どこからか騒がしげな音楽が聞こえるのです。街の中でさえそんなにうるさいことは希だというのに、初めての夜は一晩中、黒人が“ハレルーヤ!!!ワァーオ!キャーッ!!!”と歌っていました。私はてっきり山の頂上に教会があるのではないかと思っていました。そういうわけでみんなが坐禅中に居眠りするのも一晩中鳴り続ける音楽が原因じゃないかと思ったりもしましたが、みんながみんな居眠りをしているわけではないにしろやはり5人のうち少なくとも3、4人は居眠りするのが常でした。ドイツからはるばる「本物の禅」を経験しに来た私にとって、このことは大変残念なことでした。どうして坐禅中に居眠りができるのだろうという疑問が私の中に湧きあがります。ヨーロッパでは1回の接心に2、300人の人が集まるというのに居眠りしている人はそうそう見つけることができません。安泰寺に来たのは間違いだったのか。ドイツの道場で修行するべきなのだろうかと頭を悩ませました。

 考えてみればその時すでに前住職でのちに私の師匠になった宮浦信雄老師からの教えを忘れていたように思います。彼が一生を終えるまでのなかで私にとってもっとも大切であるその教えを。
 「安泰寺はオマエが創るんだ。『安泰寺』という既製品がここにあるのではない。ここにあるのはオマエが創る安泰寺しかない。」
 この言葉は師匠が安泰寺に初めて上山した人の皆に言っていたようです。安泰寺はオマエが創る。

 だのに、私はもうすでに文句を言いたくなっていました。本堂での居眠りの風景を目の当たりにして、私は安泰寺を批判的な目で見ましたが、それは私が創った安泰寺の裏返しそのものだったのです。もしくは頭の中で描いていた「悟った師匠」と私の助けとなる「出来のいい先輩」へのふわふわとした憧れに対する反面教師的なものだったのかもしれません。一体誰がこの問題の原因なのか、良くも悪くも安泰寺を創っているのは誰なのか、愛と憎しみ、戦争と平和は一体全体誰が作り出しているのかはっきりと分かるまでにしばしの時間がかかりました。と言うよりは真っ先に自分の「修行」の管理すらできない誰かさんには分かるはずもない問題でした。隣に坐っている人のイビキよりも、自分自身の心のありようが問題なのに・・・「オレがここで一生懸命坐禅しているのに、アイツが居眠りしやがって」と、腹を立てるのです。

 接心が終わると夜中の騒音がどこから来ているのか漸く分かりました。ちょうど稲刈りが終わり、当時はもうすでに使われていなかった野球場の向こう側に架けていた新米を、イノシシが毎晩毎晩、山を下りてきて食べるので、そのイノシシを怖がらせるためにラジオを大音量で流していたのです。大音量のラジオから流れる音楽はイノシシを怖がらせる効果はありませんでしたが少なくとも人間を眠らせない効果だけはあったようです。

 安泰寺で生活をするにつれて坐禅中に雲水が居眠りするのにはいくつかの理由があると明らかになってきました。食事以外には休憩もなく、朝の4時から夜の9時まで坐りっぱなしの接心が5日ないし3日間、月に2回も行われます。安泰寺の修行生活の中心はこの接心の他にないと私は思っていました。こんな接心より厳しい修行があるのでしょうか。実は、安泰寺でももっと厳しい修行はいくらでもありました。接心後すぐに分かったことですが、その年は安泰寺への道を流してしまった台風19号が秋雨前線と重なり、約4週間も雨が降り続けました。それは道だけではなく田圃も土砂崩れでなってしまい、生活水をくみ取っているダムは泥や石、木などで溢れんばかり埋め尽くされました。京都で飲んだ水道水も日本の他の都市同様まずいものでしたが、安泰寺の水は驚く程それにもましてひどいものでした。そう、水が茶色だったのです。それは接心後に見たダムで理由が明らかになりました。水道から出ていた「水(?)」はダムに溜まっていた泥でした。

 接心後の3日間はダムの泥や石などの異物を取り除く作業でした。雲水達は早く綺麗な生活水を取り戻したいため、雨はざーざー降り続けても、作務は日がどっぷりと暮れるまで延長されました。接心は足の痛みとの戦いですがそれにもまして作務は地獄でした。作務を3日続ければ放参といわれる「休みの日」がありました。その日は朝晩の坐禅をしていないので「放参」と言われていますが、その代わりに4キロの道なき道を歩いて下り、自転車でさらに12キロ離れた浜坂へ郵便を取りに行ったり醤油や油、トラックやトラクターなどの機械で使うガソリンを買いに行きました。それらの荷物は1人20リットルタンクを二つ背負って再び山を登らなければなりません。こういった「休みの日」のあとは再び作務が続けられ、倒れた木々を切り、薪小屋に運び、それらを典座や風呂用の薪に割ります。 かつての道を補正し、米は脱穀をします。畑での野菜作りは軽作業と見なされ、やはり「休みの日」に回されました。当時は土砂降りの日でさえ屋外で作務をしました。そうして接心の日だけが私たちの休日となったのです。
(続く・堂頭)


俳優無方
(なかなかナイスガイby ET)
安泰寺の生活を「自然」な形で表現しようとしたらおそらく何年もここで生活をしなければならない。これはきっとここで生活した人にしか分からないのではないかと思ったりする。ここは天国?まさか、地獄やで。ここは神秘的?まさかただの山の中の田舎やで。しかしそれは大変なことで、簡単にできるものでは決してない(というよりは人間はラクをして欲しいものを手に入れたい動物なのである)。より近い形で「自然」を装うとすべてが嘘になるというのが面白いところである。坐禅、掃除、食事、作務、すべてのことが普通に行われているはずなのに、Mさん(仮名)は演技をしている。接心でもないのに太鼓を叩き、休憩中に振鈴をふりふりして廊下を駆け抜ける。作務衣にわざわざ着替えて廊下を拭き、用もないのにユンボで穴を掘る。すべてが自然を装った演技である。誰しもが頭に描く理想を再現していると言えばいいのか。そしてMさん(仮名)は寺の住職ではなく、日本で暮らすD人の俳優として世界に羽ばたく(可能性もある)。これはとある国からドキュメンタリーを撮影しに来た風景を見て思ったことであるが、メディアに対しての不信感が積もるだけであった。この世はすべてが嘘で固められた世界なのかと悲しくもがっかりした。真実を追うことは自分を見つめることしかない。確固たる思いが私の中に根づく日もそう遠くはないかもしれない。
(ぶひぶひイノ子)

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