人、舟にのりてゆくに、 めをめぐらして岸をみれば、きしのうつるとあやまる。 目をしたしく舟につくれば、ふねのすすむをしる。
〜 2005年 11月 〜
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乳搾りをする悠心師(1986年)

乳搾り
正しい坐り方 11
(大人の修行・その31)
 沢木老師は身體の整え方の最後に「坐禅にかゝる前に目を洗ひ、足を洗って、爽やかな氣持になって道場に入るがよい」といっています。

瑩山禅師の「坐禅用心記」にも「常に目を濯ひ足を洗ひ身心閑静なるべし」 とありますが、目はよく禅における「悟り・証」、足は「修行」のたとえとして使われています。そして、「不染汚の修証」は道元禅の要です。修行をも、悟りをも汚さないということです。つまり、「悟り」という目的を得るために「修行」という手段を用いるのではなく、修証一等の身心脱落を行ずるのです。しかし、瑩山禅師の言う「常に目を濯ひ足を洗ひ身心閑静なるべし」が単なる宗教哲学ではないことは言うまでもありません。実際に目を洗ひ、足を洗いなさいというのです。ところが、これはいうほど簡単なことではありません。

 6月の「火中の蓮」 で見て来ましたとおり、接心という集中的に坐禅している5日間の間、1日2回の食事の後の30分の休憩を除けば、時間は全くありません。接心中に入浴もできません。夏は冷たいシャワーが浴びられますが、雲水はそんな時間すらありません。というのは、接心中にも各々の係の仕事を果たさなければならないからです。

 顔を洗うことくらい、4時の振鈴より充分前に起きていれば、誰だってできます。ところが、洗面所では足洗えませんし、日中で風呂場で洗いたくても他にやることは山ほどあります。安泰寺に入門した当初、私はさっそく2頭の山羊を任されました。メス山羊の「ゆき」は朝乳を搾り、外へ出して彼女の好きそうな草が生えているところでつなぎます。夕方は再び小屋の中に戻し、乳を搾るのです。毎日一生懸命に彼女の世話を見ているのに、乳を搾るのがくすぐったいせいか、ゆきは足で乳の下におかれているバケツや私の頭をけっ飛ばそうとしているのではありませんか。上の写真で見られる山羊の身体を跨いでの「乳搾りテクニック」を使うと、けっ飛ばされないで済むのですが、山羊が途中で排便欲にでも襲われたらバケツの中に・・・。ですから、私はゆきを横から頭と肩で押さえながら両手で搾ることにしました。彼女の後ろ足は絶えずバケツを蹴ろうとしていますから、左の肘でそれをガードしなければなりません。このテクニックにはバケツの中にうんこが入らないという利点がありますが、代わりに自分の身体が山羊の足で蹴られ、うんこまみれになってしまいます。

 ゆきの世話が済んだ後、オスの「太郎」の所に向かいます。彼は昼も夜も外でつなぎっぱなしでしたが、たまに場所を変えなければ、餌がなくなります。また、山羊はよくロープに足が絡まり、あるいは木の周りをグルグル回ってやがて動けなくなることがあります。人間の「葛藤」にもよく似たもので、少しばかり反対の方へ行けばすぐ自由になれるのに、「メーメー」とうるさく鳴くのです。太郎の助けに急いでいくと、彼もまた強い角で私を攻撃しようとしているのではありませんか。私の身体についている、愛する彼女の体臭が彼を挑発しているのでしょう。とにかく片手で彼の足を自由にし、あるいは木の反対の方へ回しながら、もう片手で自分の身を守らなければなりません。彼はゆきより強いばかりではなく、彼女よりもはるかに臭い!

 やがて台所に戻ったら、搾った乳を竈で火を通して消毒しなければなりません。そして瓶にいれて冷蔵庫に。作業が終わった頃には、身体から自分の汗と山羊の臭いが漂っています。が、30分の休憩は特に過ぎています。足を洗うどころか、歯を磨く暇すらなく、坐禅堂の方へ急がなければなりません。こういう時にシャワーを浴びる時間があれば、私はもちろん、隣に坐っていた雲水達も喜んでいたのでしょう。

 ここはまた「忍辱の婆羅蜜」が問われています。いつも一番坐禅がやりやすいような状況で接心ができるわけではありません。だからこその修行ですが、新米の私は愚痴の多い日々を過ごしました。5日間の接心が過ぎた後、私自身はもちろんのこと、袈裟や衣、坐蒲、蒲団はすべて「山羊臭い」。そうして接心が終わり、5日ぶりに入浴ができますと、はじめて「身心閑静」の境地が味わえます。
(続く・・・堂頭)
安泰寺の坐禅堂


展望台から見下ろす安泰寺
ハイキング
道路工事
無方、展望台にて


彼らに修行の本当の目的を説くのは誰?

私の仏教理解


オウム事件から10年(その9)

 「オウムが仏教ではない」といわれれば、(オウム以外の)仏教徒なら誰でもうなずくはずです。ところが、オウムを異端視しているその張本人がどうか、という問題もあります。そして、そもそも「仏教とは何か」ということがハッキリしなければ、手も足も出ません。
 そこで、私も日本仏教の批判を続ける前に、先ず自分の仏教理解を整理したいと思います。

 同じ仏教でもテラーヴァーダ仏教、大乗仏教、チベット仏教など、色々ありますが、その元祖はいうまでもなく2500年前にインドで生まれ、35才で菩提樹の下で覚り、長い行脚の末80才でなくなった釈尊です。そして釈尊の教えの基本となったのは「苦・無常・無我」の三宝印です。釈尊はまず「一切皆苦」ということに気づき出家されましたが、「一切皆苦」は仏教の出発点のみではなく、実は仏教の終着点でもあります。仏教でいう「苦」とは「物足りない」という意味ですが、人間はたえず物足りよう」と思えば思うほど「物足りない思い」をします。人間とは満足しきれない動物です。いや、人間ばかりではなく、すべての生き物は満足を追い求めながら、満足しきれないように出来ています。そういうふうにできていますから、「物足りない」という思いがあるのはごく当たり前のことであり、それでいいのです。人間の「物足りない」気持ちは「無常」とも関係しています。一時的に「楽しい思い」や「幸せな気分」を味わっても、そういう「楽しさ」や「幸せ」は無常であり、手につかみ取ることは出来ないからです。しかし、「無常」とは決してマイナスなものではなく、あくまで中性です。「諸行無常」といって、釈尊はすべての現象の縁起による移り変わりを説いています。そこに一つとして止まるものはありません。なぜならば、「諸法無我」だからです。物事に実体がなく、縁起によって生じた現象は縁起によって滅してゆくのみです。「私が生きる」「私が死ぬ」・・・この実体をもった「私」自体が幻想にすぎないと釈尊が説いています。仏教の実践はこの「私」という幻想から覚めることを目指します。つまり、仏道は「我」の否定から始まります。

 仏教者が「霊魂」の話を外道として否定する理由もここにあります。無我に生きてこそ仏教の実践が出来るのです。死者にとって仏教は無用であり、仏教にとっても死者は無用です。釈尊は「死後の世界」など一度たりとも相手にしたことはありません。そうです、死んだ人を「ホトケ」と呼びその霊魂を祭り上げることは決して仏教ではありません。土着の風習に「仏教」というレッテルを貼ったにすぎません。仏の教えの替え玉として、その極めて反仏教的な風習が日本で今も幅をきかせているのです。ですから、サリン事件が起こる前に、日本の宗教学者がオウムを「日本の既成仏教よりはるかにまじめな仏教」として評価したのも理解できないわけではありません。  
(続く・・・ネルケ無方)


本堂の前の紅葉

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