【流転】
〜2001年9月〜
第一号

[次号]
坐禅をして、何になるか?
 その答えはハッキリと、坐禅をしても何もならない、ということです。

 われわれ人間は絶えず、何かを求めて生きています。それは金であったり、恋人であったり、学校や会社での成功であったりします。最終的には現在の自分に欠けている「しあわせ」を追いつづけているのでしょう。しかし、一生懸命に「しあわせ」になろうとしている自分は今ここ、この自分の本当の有りようを見失って、自分をいつも留守にしているのではないでしょうか。
 「しあわせ」になろうとしているうちに、「しあわせ」とはいったい何なのか、ということも、今の自分は実に幸せの中にいるのだ、という現実も分からなくなってしまいます。
 いったん、求めることを止めなければなりません。何かになろうとはからって坐るのは坐禅ではありません。正反対に最初からそう言うはからいを止めにして自分を坐禅の中に投げ込んで坐禅に任せれば、始めて坐禅が坐禅として行われます。
 そのとき、自分ではなく、坐禅が坐禅をします。と同時に、自分が始めて本当に自分になり、「自分」をします。

[次号]