〜2001年12月〜 第五号 |
啐啄同時 | ![]() 卵の中からヒナが殻を破って生まれ出よう とする瞬間、内側のヒナのつつきと、外から それを手伝おうとしている親鳥のつつきが ぴったり合って、殻が破れて新しい生命が 誕生します。 この表現は師匠と弟子の問答の仕方、 師弟の互いの働きが合致することに よって生死の大事が解決されるあり様 を示します。 ![]() 道元禅師はこの働きを「感応道交」と いう別の言葉でも表します。 ところが、現実の師弟間ではどうでしょうか。師匠と弟子の 突っ込みの狙い、方向とタイミングが大分ずれていることも しばしばです。自分の生と死に対する疑問どころか、「おは ようございます」の返事すら返してくれない師匠から何が学 べるものか、と言って弟子が腹を立てて、自分の殻の中で 悶々としています。一方師匠は鍵を回しても弟子のエンジン はかからないと言い、エンジンがかかっても、アクセルを踏 めば、ぶっぶっぶっと、すぐまた止まってしまいます。 ![]() 大事故につながらなくても、 朝になって車が消えていたり、 乗り捨てされていたりします。 あるいは、弟子と師匠が互い に我慢し続けていても、弟子 が師匠の「靴の底に付いた チューインガム」に過ぎないかも。 ![]() 格外の志気を持って、弟子は不完全なる師匠に完全なツキ カタをしなければなりません。師匠は、上手な彫師がまがった 木をも傑作に作り上げるように、弟子の成長の全責任を負わな ければなりません。師匠は弟子を育て、弟子は師匠を育てな ければなりませんが、これは凡夫同士の相談ではありません。 私は今、もう一度 「正師は坐禅なり」 という一句を 噛みしめながら、師弟間の本当のあり方を学びたいと思います。 |
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