私の出家


 私は昭和二十三年に徳島県の農家で七人兄弟の末っ子として生まれた。 戦後日本の高度成長と共に何不自由なく育ち、輝かしい未来あることを、あたかも空気あることが当然の如くに感じていた。 工業高校を出、入社後暫くして、初めて自分を見つめた時、それまでの自分が実は日本経済発展の忠実な一兵卒として、知らぬ間に管理社会にがっちり組み入れられていた事に気づいた。 このまま会社に貢献して何の失敗もなければマイホームと部長職で一生を終える、と分かるや急激に熱も覚めてしまった。
 もう二度と此の社会に帰らぬと決心した。そして世界各地を転々と明日をも知れぬ放浪の旅が始まった。 青い鳥を探して・・・
 丸四年の後、しかし世界中何処にも自分の思いを全て満足させる所はない、青い鳥は自分自身であると気づいた途端に、今まで外に向かって、他に向かってばかり求めていた自分が如何に小さなこそ泥根性の持ち主であったか、思えば思う程に恥ずかしくなった。
 同時に肩の荷が下りた様に一気に楽になり自由になった。
 日本に帰るやすぐさまその足でお寺に飛び込んだ。 以前会社をやめた時から出家は念中に有り、仏教のことは何も知らなかったが禅者の生き方には興味があった。
 こうして禅道場である安泰寺に入門した。
 以来今日まで修行の上での苦労困難は数限り無くひるむことも度々だった。 しかし出家を疑ったことは一度として無く、この道に入ったことを本当に良かったと思っている。
 安泰寺にはお寺生まれの坊さんは僅かで私のようないわゆるの出家者が殆どだ。田畑を耕す自給自足の生活をしながら、坐禅と仏教学の毎日だ。 冬の四ヵ月間は二米を越す深雪の中、世俗の紅塵から隔絶されて坐禅三昧に明け暮れる雪安居が続く。
 此の様に書くと私が何か特別な修行をしていて常人でないように思えるかもしれませんが、私とて喜怒哀楽も有れば血も涙も流れています。 その意味では凡夫です。
 また此処はその凡夫が修行によって仏になろうとしたりましな人間になる所でもありません。何かを求めてする修行は乞食行です。お互いが凡夫である。 それを自覚しそこに徹底したところに自ずと、この凡夫で有る自分はいったいどうすればよいのか、何ができるのか、この不完全で到らない凡夫の自分が今出会っているもの、他に対して何がしてあげられるのか、この思い誓願を今此処で実際に行ずる、これが修行であり、仏とも言うのです。
 安泰寺は此の誓願を持った凡夫、つまり仏菩薩の道場です。 二年前から私は此処の堂頭(=住職)に就きましたが、この様な若き求道者が安心して修行のできる道場でありたいと願っています。