他人事


 死は忌まわしい事であるというのが古来からの定着した見方である。まぁそれだけ死というものは突然何の予告も無くやってきてすべてを奪ってしまうからであり、我々の思いの届かぬ出来事であるからである。
 この思いの外の出来事を思いで図るから、悲しかったり、楽しかったりするのはあたりまえなのである。凡夫の悲しさとでも言えばいいのか、この自分の思い程いいかげんのものはない。自分に関係無い所でどんな死が起きようともちっともピンと来ないのである。ところが一度我が身となるとこれは一大事どころではなく、まさに命がけである。
 その我が身から連れ合いとなり、子供となり、家族、親類、知人と遠くなるに従って、次第に情は薄れてゆき、ついにはどうでもよくなるのである。それが証拠に普段己が身やその回りが元気なときはついぞ死なんて考えた事はない。こんな感情は私だけに限ったことなのだろうか。
 しかし仏道を歩む私にとってはそれだけでは済まされないはずである。死をも含めた四苦八苦は仏教を説き起こす根本理念であり、これを深く洞察する事によって始めて仏教者としての自覚、宗教的目覚めが生まれるのである。死というものを単に自己の思いや感情の世界の中で料理しないで、生あるものは決ず滅すという真理の法中においてじっと見つめてゆく、そこには死は最早悲しみでもなく楽しみでもない。時と共に移りゆく現象なのである、この無常こそが仏教で言う苦なのである。
 この死の苦を乗り越えるにはどうすればいいのかというのが仏道なのであって、我々の目指すところなのである。
 しかし今私が、ここで書こうとしているのはその事ではない。凡夫の世界、死によって心痛み、胸も張り裂けんばかりの悲しみや憎しみの渦巻く世界の話なのである。

 ある男が死んだ。妻は突然で始めはどうして良いか分からずおろおろしていたが、やがて我が身の置かれた立場に気づいて、明日からどうして生きてゆこうとあれこれ考える。自殺しようか、子供たちの為にも仕事をしようか、再婚も考え込む。
 高校生の息子は、始めのうちは回りが神妙なのでしおらしくしていたが、しばらくすると別に父親なんていなくても普段と変わりない事に気づく。むしろうるさいのがいなくなって静かでいい。ただ父親がかわいそうに思える。
 中学生の娘は父の死を劇化してしまって自分が小女小説の主人公にでもなったように思い込んで、悲しくはないけれども、ここは一番悲しくしなければと思うのだが、そのうちにこんな馬鹿なことに飽きてくる。その上母親が近頃何かと口実を作っては近寄ってきてマイプライベートタイムに入り込んでくるのがうるさい。
 死んだ男の母親は、ここまで育てたのに自分よりも先に死んでしまって頼りないと思い、嫁が再婚でもしたらますます遠ざかって自分一人の孤独な老後を送らねばならぬ、せめて孫たちだけでも手なづけておきたく思う。

 まぁ一人の男が死んでも、まともに悲しむのはここぐらいである。後の人々、例えば死んだ男の会社の同僚であればライバルが消えて仕事がしやすくなって喜ぶだろうし、隣の奥さんは、他人の不幸であってよかった、うちの亭主に死なれなければいいと思う。
 これらの悲しみも喜びも死そのものに対してでは無く、死というもの、他人の死とか、まだ来ていない死を媒介して己が身の上を思っている。最って言えば、死を己が世界の中に引っ張り込んで料理しているだけなのである。これが妄想である。
 だから始めにも言ったように、死そのものには喜びも悲しみも無いのである。一つの現象を取り出してそれぞれが勝手に色を着けているだけなのである。

 その色付けを私も少なからず他人の死を通してやってきた。私の両親、祖父母、おじおば、先生、親友等々、この三十余年間にそれぞれの私の人生のある時期において、それぞれの人間の死を味わってきたのであるが、不思議と悲しみを味わったことはない。
 私の父や母が死んだ時も、私は悲しいとは全然思わなかった。ただもう少し長生きすれば楽な老後が送れたのにと哀れみの気持ちがあったのは確かである。その他の人々が死んだ時は、ただ年に一度は決ず来る盆と正月が来た位にしか思わなかった。もちろんこれは私の心の内奥の事であって、死の現場にあっては感受性が強い私は他の人々と同じように涙も流れ、胸もつまされたものだが。

 こんな経験の中で、死が美しいと思った事がある。
 それは私がインド北部からカシミールに行く途中に出会った死である。
 険しい山また山の中腹をうねりながらバスは北へ向かっていた。太陽は今にも西の山に入らんとしていた。谷間はもうすでに陰って青い海の底をのぞいているようであった。目をあげると緑の山々の向こうに夕陽を浴びてピンクに染まったヒマラヤがあった。
 ふと谷間に光を見つけてハッとした。私にはそれが茶。。の炎である事がすぐに分かった。静まりかえった海の底のような世界の中にその炎の朱色が不思議なコントラストを見せていた。音も無く輝き昇る炎の近くに一人の老人がしゃがんでおり、その息子だろうか時に炎をつくろっている。また幼い子供が二人立っているのはたぶん息子の子供たちであろう。手を取り合ったままじっと炎を見ていた。その光の影に私は思わずカメラを向けようとしていたが、どういう訳か手が勝手にカメラを離れ胸の上に重ねられてしまった。
 美しかった。おそらくその場面は写真にすれば傑作になっていたであろう。しかしその場面は私の脳裏に記憶されて写真よりも鮮やかに今もある。
 しかし私が今ここで言わんとする美しさはその情景もさることながら、そこにあるドラマ、死者を弔う美しさなのである。
 荼毘に付されているのはおそらく老人の妻であろう。妻の焼けるのをじっとしゃがんでみている老人、その人生を刻んだ面を炎が照らしている。何を思っているだろう。長い間連れ添って苦楽を共にした思い出なのだろうか。そんなこちらの思いは届くすべも無く老人はただじっと炎を見つめている。
 息子は今は何も考えてないかに見える。ただ火が勢いをなくさぬように時々薪を整えている。そのたびに火の粉がパッと舞い上がる。
 幼い二人の子供たちは炎の中に何を見ているのだろう。瞳は輝いている。未来に向かって歩んでいる子供たちに死が分かるはずは無い。いやもうすでに彼らの瞳の中には死の光景を通じて生命の美しさが輝いている。手を取り合ってたたずむ幼い命の中に、死は最早死でもなく、