精霊流しー因縁編ー


 「和尚さん、もうお寺の屋根ば見えとらすけん、汗ば拭いていかんね。」言いながら安さんは楠の老木の根元に腰を下ろして手にしたタオルで首すじを拭い出した。
 急な斜面が墓石で埋めつくされた風頭山、その墓の間を迷路の様に抜けて下りながらの事であった。初七日の法要を済ませての帰り道で、夕方とは言え八月の陽は西に面した坂道に直角に突き刺さってきた。白い程に気怠るそうな長崎の港街が眼下に広がり、左に向ってうねうねと続く山々に挟まれた入江が長く外海に向っていた。

 「あん時もこげん暑かことあった…。」安さんは何か自分に話しかける様に半ば目を閉じていた。その時の安さんの話とは、ずっと昔、十年を一昔と言うなら三昔にもなってしまった原爆の日の出来事であった。
 その日彼の妻と子は爆心地近くに居た。安さんは幼い頃の怪我がもとで足が悪く兵役には行かれずその頃は造船所で働いていた。ピカドンの後で家にとんで帰った安さんが見た最初の光景は黒焦げになって流し場の水瓶にうつ俯した妻の姿であった。しかしそれよりも彼を疑ったのはシンと静まりかえった廃墟の中に響く赤児の泣き声であった。それは黒焦げになった妻の下にある水瓶の中からであった。咄嗟の中で妻が取り得た行動は我が子をその中に入れて己が身で蓋をすることがやっとであった。
 こうして当時一歳半にも満たなかった庸子は、母の命をかけた愛に守られて奇跡的に助けられた。妻も家も、すべて失った安さんにとって庸子はただ一人この世で血を分けた者としてすべてをそれにかけた。生きねばならない、この子の為にも、それだけが安さんの光でもあった。終戦後の苦しい中で、ましてや足の悪い彼にとって幼な児を育てる事は己が死よりも苦しい事であった。

 月日は流れ、それと共にいまわしい出来事も一つ一つ思い出になっていった。庸子も無事成人して、いつしか安さんの元を離れて二児の母親となっていた。
 その庸子を始めて私が見たのは数ヶ月前新緑の美しい頃であった。その時はこんな結末になるとも知らず、ただ葬式の席で出会った、涙にぬれた、夫を亡くした美しい未亡人としてであった。
 後から知った身の上話であるが彼女は恋愛の末、反物や洋服のセールスをする人と結婚した。主人の仕事も順調で幸福な家庭生活の中で子供も生まれた。しかし不幸は予告無しに来たのであった。ある日セールスから戻った夫がこめかみが重いと言ったが、その時は疲れているのだろうと二人とも思っていた、その数日後に夫は商の取引で失敗し多額の借財を負ってしまった。その夜に夫は、頭が痛い、顔が熱いと言って病院に運ばれたが魔の手はすでに幸福を蓋っていた。
 転移性の悪性腫瘍が夫の顔面下に広がりもう手のつけようが無かった。しかし一縷の望みをかけて手術を始めたが転移がひどく、三週間後にこの世を去った。妻子にさよならを告げる意識も帰らないままのさみしい死であった。その死に顔たるや目鼻の位置も分からない程のものすごい手術の跡だった。
 未亡人となった庸子さんは取り乱しながらも何とか野辺の送りを済ませた。しかし悲しみに酔う暇は無かった。残された二人の子供と多額の借財を抱え、病院代も払っていない明日が待っていた。

 そんな身の上の事はつゆ知らず、私は七日ごとの忌中のお経を読みに行きながら、なんて美しい女なのだろうとむしろその事に引かれていた、それは顔立ちが良いとか悪いとか、立居振る舞いが女らしいと言うのでなくて、その身に漂っている神秘的ともいえる美しさであった。それは澄んだ泉の中に沈んでいるエメラルドの様であった、冷たく澄んでしかも暖かい柔らかな、そんな印象を私は感じていた。今にして思えばそれは彼女がその時置かれていた境遇がそうさせたのだろう。
 二・七日、三・七日と過ぎるにつれて焼香者も少なくなり、ケバケバした葬式の飾り物も取り外され家の中が落ち着いてきた。私は法要の後でお茶をいただきながらたあいもない話などした。しかし私も庸子さんもそれは礼儀としての形であるのは分かり切っていた。その時の私は、お茶をいただきながら神秘的な彼女の雰囲気を味わっていたのであり、彼女のほうはたぶん、私の想像だが、その置かれた、どうする事も出来ない身の上を一時でも忘れさせてくれる話し相手として私に対していたのであろう。なぜならば他の人々は借金の取り立てに来るか、悲しみの涙を見せても実は他人の不幸に出合う事によって己が身の幸を味わっている焼香者、周囲に対しての外聞や虚栄だけからの弔問者ばかりであり、何の利害も欲得関係も無い私は、その時の彼女にとって一番心の安らぐ相手だったから。
 お茶を飲みながら私達はお互いの幼い頃の思い出や学生時代の事、同じ世代を送ってきた青春時代などを思いつくままに語った、話に深入りして長居をする事もたびたびだった。しかしなぜか亡くなった主人とか、その時彼女が置かれている立場や身の上などは話題にならなかった。それらは全部後日、安さんから聞かされた事であった。私も彼女に対している時はそんな事は聞きもしなかったし、何よりも青春時代を思い出している庸子さんが一番安らいでいたからだった。
 こうして忌が明ける頃には二人は親しみを増して、まるで幼い頃からの同級生みたいに心安くなっていた。

 忌明けの法要には安さんを始め縁者も集まった。その後のお斎の席で安さんから始めて彼女が借金を負うている事、近くのこの家屋敷も人手に渡る事を聞かされた。そのとたん私は庸子さんが何か別人の、私などの及ばない程の大人であるような気がした。私はその時始めて彼女に対して愛を感じた。彼女に対する同情とか、他への憎しみや怒りが全部一つになった愛情であった。
 そんな私の心の変化など知るよしもない庸子さんではあったが、最早私の見る彼女は以前の庸子さんでは無く、私の心の中に起った愛情というスリットを通して見ている女であった。

 凡夫の心は不思議なものである。ほんの今まで普通の女性としか思ってなかったものが、一度愛情を覚えると、最早それは単なる対照物ではなく、自分の愛の顕現したものなのである。愛した時にはすでにその女性が自分に対しても愛情をいだいて欲しいと思い、自分一人に思いを寄せるものであると思い、死んで欲しくないと思うようになる。もともとそんな事は自分の思いであって、相手がどう思おうと、生きようが、死のうが、そんな事は己の力ではどうすることも出来ないものなのに。しかし人を愛した時には既にその人が生きる事を欲しているのである。その反対に憎む心が起った時には相手が死んで欲しいと願っているのである。他人の生死など元々己が力ではどうすることも出来ないのは分かっていても。
 しかしこの惑の心で凡夫の世界は成り立っているのである。夫婦の間で誰が夫や妻が死んで欲しいと願うか、親子の中で誰が子供の幸せを願わずにおられようか、それと同じように遠く離れたニカラグアや南西アフリカで毎日戦争で何百人も死んでも、そんな事はさしあたってはどうでも良いのである。それよりも自分の愛や憎しみが伝わる身近な事が最っと問題なのである。だから世の中うまくいっているのである。
 この「惑」を離れた所の「道理」の上に立って、なをかつ人を愛する、いや愛さずにはいられない、人を憎む、憎まずにはいられない所に始めて信心とか宗教心というものが生まれるのであって、宗教はそこから始まるのである。

 その後私が庸子さんと会う事はなかった。私はいつも心に止めてはいたが、一家がどこに移ったのか、どうなったのかも、日々の雑事の中に埋もれてしまっていた。
 最後に彼女に会ったのはもうお盆も近くなった頃で、お墓の掃除をすると言ってお寺に寄った。私も暇だったので手伝うことにして二人で裏山に登った。その日も熱い太陽が容赦なく照りつけ、焼けた墓石にふれると痛い程に熱かった。二人とも汗びっしょりになって草を刈り、落葉を集めた。半時間もすると片着いてしまったので一休みする事になり、木陰に並んで腰掛けた。見なれた港街が眼下に広がって、街の騒音がゴーッと底く鈍い音となってはい上ってきた。
 二人は別に話す事もなかった。あきもせずに目の前に広がる景色を見ていた。あちこちで落ち葉を焼く薄紫の煙が立ち昇り、まっすぐ空に消えていった。
 私はその時も彼女がその後どうしているかも聞かなかった。ただこうして元気な姿で私の前に再びあらわれた事実で充分だった。
 汗ばんだ彼女の横顔の中にもそれは読みとられた。その時私は突然奇みょうな事を思った。それは数ヶ月前に亡くした夫の墓掃除をする若い未亡人と、同じ年頃の僧がこうして仲良く腰掛けている光景であった。彼女はそんな私の心の中など知るよしもなく、生まれ育った街の景色を楽しんでいる様子だった。いや、私には、彼女が私の側に居る事で、ある種の安らぎを覚えてくれていると思いたかった。
 何時間も過ぎたのだろうか、日射しが移って木陰を求めて席をずらす程私達はそこにいた。言葉数も少なく、どんな会話をしたのかも今は忘れてしまったが、終わり頃に彼女が言った「私はこんな風に生まれてきたのよね。」と言ったのが今になる程私の心に思い出される。何かの会話の端に出た言葉なのか、それとも己が身上を深く思っての言葉だったのか今となっては知るすべもない。
 思えば短い命を生きた女であった。
 彼女の死を知らされたのは精霊流しの終ったよく朝、まだ祭りの後のうつろさが残っている頃であった。娘一人を残して、幼い男の子を道連れにであった。
 私は彼女の死に対する悲しみよりも、死に追いやった事に対する憤りであった。なぜ死なねばならなかったのか、生きてさえいれば、そんなじれったさが、私の胸を突き上げてはうねり、うねってはぶちあたり、出口を断たれたヘビの様に終日私の胸の中をのたうち回っていた。

 「和尚さん、こげんこつばなるとば思うちょらんかったばってん、しかたなか、もう終ってしもうた…。」安さんは背で大きな息をして、悪い足をかばう様にヨロヨロと立ち上がりながら、遠い彼方に向って言葉を吐いた。「まったく神も仏もあるもんかね。」言いながら坂を下り始めた安さんの後ろにつづきながら、神も仏も無いと言った安さんの言葉の中に、安さんはすでに生死を離れたと私は感じていた。
                     完