私は今何をしているか


 ゴキブリホイホイ、ホイノホイノホイ、また取れた。 「ゴキブリホイホイ」はほんとによく取れる。こうして電灯の消えた内単(調理場)で無事な一日の終わりにホッとして一息入れている。単調な冷凍機の音と殺菌灯の薄紫の光の中にいると、忙しさの中で忘れていた自分がふと心に浮んでくる。…私は今何をしているのだろう…。
 話をゴキブリに戻そう。近頃ゴキブリがよく出るので「ゴキブリホイホイ」を置いた夜も九時を過ぎるとどこからか現われてあちこち這いまわる。
 よく見ていると、彼らの動きはまったく無作為だ。いったい何を求めて動いているのかさっぱりわからない。まあ食物には違いないだろうが、それにしてもすぐ傍においしそうな餌(人間から見て)があっても近づかない。そのうち「ゴキブリホイホイ」の館に近づく、すぐ離れるものもいるがいくつかは中へ突っ込む、もう終わりだ。手足の自由を奪われたゴキブリ程惨めなものはない。
 誰が考えたのか知らないがあの餌はどんなにうまいのだろう。若い雌の匂いでもするのだろうか。いやそれなら雌は捉まらないはずだが。私がここで問題にしているのはその事ではない。次に現われるゴキブリの心境である。先に捉まったものが苦しそうに喘いでいる側へ現われたやつはそんなやつの苦しみなんか意に解しないかのようにまた罠の中程に置かれた餌に向ってゆく、まったくどんな心境なのだろう。仲間が死に直面して喘いでいる最中に出くわしてもまだ目先の餌に心奪われるのだろうか。それ程までにあの餌はゴキブリを魅了するのであろうか。まったく欲に取りつかれたものはこんなものなのだろうか。
 思えば我々人間もゴキブリと対して変わり無いかも知れない。ただ人間のそれが少し複雑に見えるのだけかも知れない。人間の欲なんて本をただせばまったく単純なもので、それを五欲といった昔の人はよく観察したものだ。
 そんな欲がまざまざと現われたのは私がこの本山に来た時だった。単過寮から衆寮にいた頃はただ食べ物だけを思っていた、何でもよいとにかく口に入るものだけを思っていた。僧堂飯台でもいかに早く腹に詰め込むか、そして再進の粥なり飯なりを少しでも多く入れてもらうか。それだけに目を血走らせていた。まさに餓鬼そのものだった。
 代々の衆寮衆がやってきただろうが、洗い物で捨てる味噌汁を飲んだり、飯器にこびりついためし粒をがっついたり、それを丸めておいて夜中にこっそりと食べたり、思えば考えられないような状態におちいっていた。
 今、そう今こうして庫院にいるとよけいそれが奇妙に思える。毎日毎日余って捨てる食物に囲まれていると、ありきたりの食事では満足しなくなってよりめずらしい、変わったものが欲しくなる。
 こういう風に欲望が高等になると共に、またそれとは別の欲が出てくる、今まで頭に浮ばなかった少しでも楽をしたい、自分の時間を持って勉強したい、眠りたい、ゆっくりと一日中外へ出て陽の光を浴びたいと、あれ程までに苦しかった衆寮生活がなんて楽なものだろうと思えるのである。
 まったく自分の都合のいいように欲は変ってゆく、それも体からにじみ出た欲求ならまだしも、多くは頭の中で考えた欲なのである。衆寮時代に腹いっぱい胸が苦しいほど食べた後でも食べ物が目の前にあるとまた手を出した経験は私だけではあるまいと思う。

 話は少しさかのぼるが私が仏道を心の拠り所として生きていこうと決心したのはもう八年も前の事だ。当時の私は出家者などという強い意識も無くただ本などで得たメランコリックな出家者の生活を夢みていたのであった。まあいかなる動機にせよ今日こうして仏道に生きることは本当によかったと思っているが。
 だからといって以前の私と変わった私が今ここにいるわけでもなく、今の私が平安な日々を送っているわけでもなく、今の私が平安な日々を送っているわけでは決してない、むしろ以前にも増して自分の内面との葛藤の渦が浮き彫りになってきた感じがする。
 世を捨て、家を捨て、親兄弟妻子を捨て、地位も名声もというけれどなんのことはないそれは一つの欲であってただそれを他のものに移転したものに過ぎない。私はなる程世を捨て(当時の私は平凡なサラリーマンであった)、結婚をあきらめ、何もかも捨てたつもりでいた。今はどうであろう。なる程そんな事に執着する事は遠のいたがその変わりにまた別の欲が起ってくるのである。
 いわゆる坊主の欲というやつである。
 永平寺の中にいると回りがそんな人々に囲まれているのでふと自分を見失しないそうになる。ここでの話題は、やれ自坊に帰ったら高級車に乗って嫁さんをもらってとか、やれ衣はどんな生地がいい仕立てはこうだとか払子の振り方とかすり足が上手下手だとか。護寺会費を上手に集めるにはどうしたらよいか、そんな話ばかりである。
 そんな中に身を置いているとなぜか自分が貧弱に思えてきたりして、後で我に帰って、たとへ一時にせよなんて私はそんなつまらぬ事に頭を使ったのだろうと思ったりする。
 生き方として仏の道を選んだ私は、それを一つの職業みたいにしてはならない。私が永平寺に来たのはそんな知識や技能を身に着けるのが真の目的ではない、御開山様が御示しになった出家者の生き方(修行道場の有り方)を身に着けたいと念じてきたのである。
 今もそれに変わりはない。
 ゴキブリの話が発展して変なところにえらく力が入ってしまったが、今私は小庫院の菜頭長という役目をやらせてもらっている。
 こう言えばかっこいいが早く言えば永平寺吉祥ホテルのコック長だ。毎日朝の三時から夜の九時十時までぶっ通しで働いている。この文章だって食後の数十分間の休み時間に眠くてとろけ込んでいく私を叱咤しながら走り書きしている。
 衣も着けず、四時の坐禅三時の謹行も無い、昼も夜も無い、ただ薄暗い蛍光灯の灯の下で時計の針に追われて一日が終わる、後は冷たく汗臭い布団の中に這い込むだけだ。
 いったい私は何をしているのだろう。
 吉祥ホテルのコック長と小庫院の菜頭長の違いはどこにあるのであろう。もし私がこの問を忘れたならばどうであろう。
 永平寺の中にあっても一番下界に接しやすく、ともすればその浮世の甘い水に沈みがちな中でこの問に答える為にはよ程の、確固たる自覚がいる。
 頭を丸めたものにとって、「私は今何をしているか」という問はいつも発していなければいけない、そしてその間によって萎縮する自分ではなしに、むしろ一歩踏み出して、自分の今置かれた境遇を現実の出合いとしてむしろ味わうくらいでなければならない。
 その意味では、毎朝朝課に出て半分眠りながら「生死事大無常迅速、小水魚のごとし」などと棒読みしているよりはましである。
 今置かれた私の立場を全うする。そのものに成り切ることが仏道を歩む私の本命だと思う、そうする事により、私の使命である正伝の法灯を受け継ぎ授け渡すことが道得できるのである。