我が脚下ー思案橋ー


 草木も眠る丑満どきとは誰が言葉、ここ思案橋界隈はまだまだ宵の口、赤い灯青い灯小雨に煙り、そぞろ歩きの相合傘が水に漂う浮き草の丸山あたりに花開く。
 上気した体に折りからの小雨が心地よく、ふらりふらりと石畳を登ってやっと山門にたどり着いた。振り返ると脚下には闇と明かりの混沌とした世界が広がっていた。私にはそれが異様な別の世界に思えた。たった今まで自分もその中にいた。その海にうごめくものの一つであったはずなのに、この山門に辿り着くやいなやそれが足元遥か無限に広がる地獄の海に感じられた。思わずある種の悪寒を覚え「ブルッ」と身震い一つした。
 地獄の照り返しに腕時計を透かして見るともう三時を過ぎていた。「振鈴まで後一時間か、悪い夢を見てしまったわい」と呟いた。
 酔いが覚めるにつれてもうろうとした意識の霧が晴れてきた。そもそもこんな事になったのは昨日のことであった。
 お竹さんという女が老衰で死んだ。その初七日の席でお茶を飲みながら故人の事を聞いた。余談だが私も此頃は葬式に出てもあまり感動しなくなった。葬式を仕事として淡々と肩着けるようになった。それが良いか悪いか知らないが、事実私が始めて行った時は、目を赤くした遺族や、参列者の悲しそうな表情に思わず胸が込み上げてきたものであった。その後何回か重ねるうちに馴れというものは恐ろしいもので、無感動になり、ましてや式の演出まで考えるようになってしまった。
 話をお竹さんに戻そう。彼女の古くからの友達であるお梅ばあさんの話はこうである。
 お竹さんは俗にいう「からゆきさん」の一人であった。若い頃をシンガポールやマニラを転々とした。戦争の始まる少し前に長崎に帰り、若い娘の習い事の面倒を見たり、廓の花生けなどをして暮らしてきた。年老いてからは同じ仲間であったお梅ばあさんの世話になっていた。お竹さんの若い頃の写真を見ると、小さくまとまった顔に口が大きい。いや当時の口紅の着け方でそう見えるのかも知れない。当時外地で流行していたのかフリルの着いた胸の大きく開いたブラウスを着けて微笑んでいる写真はなかなか美人である。
 いや私がここで言わんとしているのはその事ではない。彼女の生き方である。色街で生まれ、育ち、死んでいった女の人生である。しかしそこには何の暗さも「生き方としての」苦しみもない。お梅ばあさんの話ではむしろ彼女の人生は幸せそのものだったように思われた。良いパトロンが何人も出来て、場所を変えるとまた新しい旦那が着いたという。さすがに長崎に戻ってからは第一線は退いたがそれでも人当たりの良い姉さんとして若い娘も皆慕ったという。彼女の一生は色街の女としては劇的でも波乱万丈の人生でもない、ごくありふれた、平凡な生き方であった。
 こんな話をするお梅ばあさんその人もまた人の良い円満な顔の持ち主であった。
 いったい私は今まで、水商売と言えば暗い身の上と悲しい物語を背負った女ばかりと思っていた。浮世の波にもまれ流されて必死に生きる姿がイメージとしてあった。
 もちろん彼女も男に泣き、金に引きづられ家庭生活の甘さを夢見てどれ程苦しみ悶えてきたであろうか。しかしそれは色里に生きる者の宿命であって、生き方そのものの苦しみでは無い。言わば職業としての苦労なのであるから、彼女は色街の女に成り切ってそこに何の疑いも挟まない、与えられたこの世での人生を肯定した日暮をして来たのであった。
 そんな女の一生など私に言わせれば、神の力も仏の慈悲も知らない、無明の闇であがいてきた一匹の牝の未路だと言いたかった。がしかし私の心中にはそう簡単に割り切れないもう一つの心があった。
 「無明」「煩悩」の一語で片着けられる世界、小説の世界、文学の世界、人情、愛欲の世界、覚者はこれを「苦」と呼んだ。その苦界で幸せに生きたお竹さん、彼女にとって現世を苦と呼ぼうが楽と呼ぼうがどうでもよい。因果も業報も、三世も善悪も、そんなむつかしい「言葉」なんか知らずに逝ったお竹さんはなんと幸せな女だろうと私は思う。
 私もお竹さんのように何も知らずに死にたかった。業のままに生きる犬畜生のごとく何も知らずに生きたかった。佛。佛と、佛に捉われ引き回されてあがき苦しんでいる私の何と惨めなことか。覚者の言う安楽の境地などとうてい得られそうにない。仏を忘れ去りでもしなければ…………。
 こんな事を思いながらお梅ばあさんとつい話し込んでしまった。帰り際にばあさんは何のおもてなしも出来なかったからと言って、御膳料と車代にといくらかを私の袂に押し込んだ。
 その夜の事であった。開枕過ぎてから私はふらりと外に出た。別にこれという確かな意志も目的も無かったが袂には昼間お梅さんからいただいた御布施があった。灯に魅せられた蝶の様に自然と足は思案橋へ向っていた。そのくせ人目を恐れる臆病猫みたいに暗い所を選んで歩いていたのだった。
 見なれた昼間と違って夜の街はまるで知らない町へ来たようであった。暗く淀んではまた流れ入り混じり合う夜の流れにしばらく身をまかせていたが、やがて並んでいる同じ様な扉の一つを押し開けた。
 「坊主なんかに用は無い。死んだ時だけ来てくれよ抹香臭い」。私に注がれた目の一つ一つがそう言っているように感じられた。
 坊主即死人の後始末。こんな様に固定観念化した世界で、いや私はそんな坊主じゃないと善がっても悲しいかな現実は死人の世話をするのが坊主の役目になってしまった。こんな現実を作ってしまったのは誰あろう。私もその一人なのだから。
 私は黙って腰を下ろした。ウェイトレスの一人がボトルを持って来て水割りを作り始めた。この店は寺の者が出入りする何軒かのうちの一つであることは知っていた。相手も馴れたもので私を退屈させないように調子を合わせてくれる。
 一杯、二杯と重ねるうちに私の心には再び死んだお竹さんが浮びあがって来た。
 「なんばそぎゃんいんきくさい面ばして酒ば飲んじょっとんねん。酒んもったいなかよ。ああそう、あんた坊さんやっせんそぎゃん顔ばしちょっとね。坊さんが笑うたら商売ならんもんね。そいばってん今夜はゆるしてやっせんもっと笑わんね。」
 お竹さんはあの写真で見せた半月を伏せたような目を上目に使って微笑んだ。
 思案橋から銅座を過ぎて、新地を巡って丸山と、袂が空になるまでうろついた。ふと顔にふれる冷たいものに上を見上げると、色里の毒気をいっぱい吸い込んで赤黒く垂れ籠めた空から、小さな小さな光る粒が落ちてきた。それはどこか無限の空の彼方で生まれ、落ちて来て、色街のネオンで照らされてしばらくの間そのありかが知られ、また脚下に消えてゆく摩尼珠であった。しばらくの間我を忘れて、現われては消えて行く摩尼の玉を見ていたが、いつしか空の袖もしっとりと濡れて重くなった。
 見失いそうになる脚下を確かめながら振り返る度に遠くなってゆく丸山の灯にお竹さんの笑顔が重なり、涙雨に霞んではまた流れていった。
                        完。