生きる事の理由付け


 広大な宇宙の事はまだ良く分らない。しかし地球に関しては以下の事を事実として認めてよいだろう。地球上において有機物と呼ばれる物質があり、その中のある物体が活動する時間的な推移において、ある期間を指して人間と呼ぶ。
 分りやすく言えば、人類は生物の一種で脳細胞が秀でている。なる程走っては馬に負け、牽いては牛にかなわず、鳥のように空も飛べぬ人間にもただ一つ思惟する力が群を抜いているという事である。
 この特長が我々人間にとって幸であったか不幸であったか(不幸として考えて見るのも面白い、なぜならばこの「考える」ゆえに人間である私の何と悩み多い事か)しかし幸不幸は別にして事実は思考力が他に優っているのが人間である。ゆえに「考える葦」として自然万物の中に独特の地位を築いてきた。
 この思惟は脳のある細胞集団の分子間に働く電子の移動、すなわち電気信号である。この作用と全く同じ作用なのがコンピューターであり、人間のそれはコンパクトな(現時点)だけである。
 ここまでは今日の科学がおおむね認める事実である。それではだんだんと私の主観に基ずいて話を進めてゆこう。
 なぜこんな事を最初に書いたかと言えば、テーマである人間は生きる事に理由づけしている(ただ生きればいいのに)が、思惟という事がカギであると思われるからである。

 「空の鳥を見よ、播かず刈らず倉に収めずしかるに天の父はこれを養いたまう」
 「野の百合はいかにして育つかを思え、労せず、紡がざるなり。されど我なんぢらに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その洋装この花に一つにも及かざりき」
 「何を食い、何を飲み、何を着けんとて思い煩うな」−マタイ伝の一節である。
 鳥であれ百合であれおよそ生物はすべて、自ずから生きようとする力を備えている、生命力といってもいい。その力が何処から来るのか私は知らない。「神」が与えたといい、ある者は「大宇宙の法則としてただある」と表現している。根本的には、有機物の活動形態で細胞が増殖発達して集合体を作りその活動を盛んにし極限に達すると次第に減衰して、一部の次期の活動分子を残して分解して集合体の活動を停止する。これが生物の一生である。この過程を押し進めていくのが生命力である。
 この生命力によってもろもろの欲望が生ずる、いや欲望というものが別にあるのではなく生命力そのものが欲望である。 鳥にしても、百合にしても、人間でもその活動を維持する為に睡眠も必要だし、食べる事も(植物だって光合成に必要な養分を根から吸収している)性欲も(名称こそ違え植物も種族保存に多大な力を割いている)必要である。
 しかし人間は他に比較して、その特長である思惟する力が抜群な為に欲望もその分だけ複雑なのである。この段の始めに書かれたイエス・キリストの言葉のごとく、鳥や百合のように思いわずらう事なく人間は生きてゆけないのであろうか。

 今日のこの人間世界を見ると様々な欲望が絡み合い渦巻いている。しかしよく観察するとそれらは皆、鳥や百合にもある基本的な生命欲から発しており、ただそれらが人間の思考というスリットを通過する事によって何乗倍にも増幅、偏向され、映し出されて現実の世界の姿として見えるのではなかろうか。
 例えば生命欲と、絵を描きたいという芸術欲とは一見ひどくかけ離れているようであるが実は絵を描きたい↑自己を主張する↑他の個体よりも勝れねばならぬ優性形質、このくらいに短絡できるのではなかろうか。
 なる程芸術欲はいくら競争しても他に害を与えない、むしろその純粋な欲望は素晴らしい絵や音楽となり他を喜ばせる。がその過程を少しでも間違えると泥沼の世界に落ちるのは例をあげる必要もないであろう。
 いかなる欲望もそれが生命欲から発せられた力と純粋さを保っていれば一輪の百合のごとく輝くのである。
 残念ながら現実はソロモン王が支配しているかに見える。これは何も今に始まった事ではない。人類の歴史と共にあるのである。その間、人類はただいたずらに嘆き悲しんでいたのであろうか、いな、どれ程多くの人がソロモン王に立ち向かい自己を明らめて生きてきた事であろう。
 私が師と仰ぐゴータマ・ブッダ・シャカムニもその一人であった。彼はソロモンの世界にあって「理性」を持って立ち向った、思惟する理性によって彼の前に立ちはだかった雲を突き破って真理を見極めた。人間の特長であり欠点にもなりかねない思惟に、思惟をもって答えたのである。
 しかし考えて見ればこの理性というもの程及び難く壊れやすいものはない。若い女を見るとすぐムラムラと来るし、うまい物を見るとすぐ手が出てしまう、とても凡夫には彼のまねは出来ない、所詮「罪を背負ったものなのだ」この自覚の上に立って「神」をよりどころとして歩んだ人もある。

 人間は考える葦である。その考えるゆえに何と苦しみの多き事であろうか。かつて地球の歴史の中にあって恐竜はその自ずからの誇る巨体のゆえに滅び去った。
 歴史はくり返されるのであろうか。