「坐禅を主食として生きる」
なるほど坐禅を生活の中心として生きるというのは、なまくらな私には良いことだと感じた。軸ができるし精神的に帰る場所のようなものとも言えます。
しかしながら我々は米を主食としながらも実にあらゆるものを食らう。
お米をおいしく炊いて食べることは日本人のアイデンティティと言えるだろうが米だけを食って生きているわけではない。味噌汁もあるしうどんもあるしその他諸々のおかずもありゃ団子やら果物やらバジルパスタやケーキなどをば食らう。
といった具合に坐禅以外にも生きていくにはやることはたくさんある。自給自足の安泰寺では尚更そうだ。米が主食、坐禅が主食ならば、味噌汁は典座のことかしら、はたまた畑や田んぼ作業かしら。
安泰寺へ参禅して六ヶ月経つ。多くの経験をさせてもらった。典座、直堂、畑、田んぼ、ダム掃除、チェンソーワーク、薪割り、鹿の解体、壁や屋根の補修、多様なバックボーンやパーソナリティを持った他の参禅者との関わり、エトセトラ。
しかしながらまだ六ヶ月のペーペーである。まだまだやっていないこともいくらでもあるし、狙ってやり続けることもいくらでもある。
きっと主食というのは主食以外のものとの関わり合いの中で成り立つのでしょう。
そういう自給自足の中で種々雑多なことに充実感をもって取り組ませてもらえることは、今までのぐうたら&身勝手な自分を省みて安泰寺にはとても感謝したい。
合掌低頭。
釈尊、道元禅師、堂頭さん、文化的遺伝子を繋げてきた仏祖さんたちや先輩方にも感謝するッス。
合掌低頭。
急な寒さのせいか現在安泰寺では風邪が流行っているようだ。
咳が出てうまく眠れないついでにこの文集を書き始め、時刻は午前零時十八分。
みなさんお体お大事に&おやすみなさい。
外食堂にて。