今から三年前に書いた文章です:
所謂(いわゆる)老心とは、父母の心なり。譬(たと)へば父母の一子を念ふが若(ごと)し。三寶を存念すること、一子を念ふが如くせよ。
貧者窮者(ぐうしゃ)、強(あながち)に一子を愛育す。其の志如何ん。外人識らず。父と作り母と作て方(まさ)に之を識る。(典座教訓)
二月七日の輪講の席でした。この日のテーマは「知事清規」の中で出てくる末山という尼さんの師家と旅中の雲水の問答でした。
「尼さんのくせに、どうして仏法が説けるのか」
という見下った態度の雲水は尼さんに向かって喝する、と本に書いています。
この「喝」の意味について、安泰寺の修行者はああでもない、こうでもないといろいろ私見を述べるのですが、どうもテンションは低いように感じられました。
「どうして、そんな緊張感がないのだ。ここでの修行は君たちの生と死の問題に関わっているのではないか」
みんなを少し驚かせてみようと思って、大きな声で「カーーー!」と叫びました。
三ヶ月間の勉強会は本気になって経典と向き合わなければ、頭も身体も回転しだす前に、冬が終わってしまうことがよくあるのです。ですから、この時点で私のほうから気合を入れたかったのです。
ところが、輪講が終わって方丈に戻ったとたん、喝を入れられたのが他でもなく私でした。
電話が鳴ったのです。
「ただいまから奥さんの緊急手術にかかるので、ご承諾を」
・・・・・・。
六十キロ離れている総合病院のお医者さんの声は、宇宙のはてから聞こえてくる気がしていました。
冬の間、家族は一緒に寺で住めません。バス停から4キロ続く参道が除雪されないため、子供がここから学校に通えないからです。たとえ熱を出しても、お医者さんに見てもらうわけにも行かず、万が一のときでも救急車は飛んできません。そういうわけで、久斗山という山のふもとにある集落で四ヶ月間だけ空き家を借りています。そこで妻と二人の子供が冬を越しているのです。山ほど雪は積もりませんが、多いときはやはり二メートルくらいの積雪があります。ふもとの空き家は雪囲いのせいで真昼間でも中は真っ暗です。吹雪いた夜の明け方には、枕元に雪がちらべっていることも珍しくありません。隙間だらけの雨戸から入ってくるのです。
今年は特別な事情があって、二月の末にネルケ家の第三子が生まれてくるはずでした。ですから、子供の通学に加えて、妻は病院の妊婦検診に行かなければなりませんでした。ところが、記録的な大雪の中、頻繁に病院に通うわけにも行きませんでした。妻は臨月を迎えているときでも、もっぱら雪かきに追われていたようです。
「あなた、私たちを見捨てるつもりなの?そろそろ屋根の雪下ろしもしないと、家中の扉が開け閉めできなくなってしまうわよ。身重の私には無理だよ、もう・・・・・・」
そういえば、二月はじめの5日間接心の最中にも、こういう電話がありました。
「バカをいうなよ、山の上はもっとひどいよ。本堂の屋根は今にも雪の中で消えそうだぜ。約束どおり、十日に山下りるから、それまで辛抱してくれよ。お前も、ちっとは修行しろよ。雪掻きだって、ちょうどいい運動になるんじゃないか」
愛する家族といえども、甘やかしてはいけないと思っていたのです。
二月七日、妻は久しぶりに定期検診を受けるのために雪道を走って、県境を越えて総合病院に行っていました。前週も、またその前々週も、大寒波の影響でいけなかったのです。病院ついてすぐ、「ハラを切らなければ・・・」と告がれました。おなかの中の赤ちゃんは育っていないというのです。子供の学校の迎え、入院の準備などのため、明日にしてくださいと妻はいったん戻ろうとするが、「明日までは持たない、今すぐ手術してもぎりぎりの状態だ」。電話を受けとった私が参禅者を連れて、カンジキを履いて山を降りました。学校で子供を向かえて、電車とタクシーを乗り継いで病院に急ぎました。
妻は酸素マスクの下で寝ていました。声をかけても、麻酔の影響で意識は朦朧していました。赤ちゃんは別の階で、保育器に入れられていました。体中にチューブや電線がつけられていて、かわいそうでした。母も子も、よほどしんどかっただろうな・・・・・・。
所謂(いわゆる)老心とは、父母の心なり。譬(たと)へば父母の一子を念ふが若(ごと)し。三寶を存念すること、一子を念ふが如くせよ。
貧者窮者(ぐうしゃ)、強(あながち)に一子を愛育す。其の志如何ん。外人識らず。父と作り母と作て方(まさ)に之を識る。(典座教訓)
(「老心」と呼ばれている心は、父母の心だ。父母がわが一人子を思うような心だ。仏・法・僧という三宝も、わが子のように大事にしなさい。どんな貧しい人でも、どんな弱い人でも、自分の子を愛してはぐくむではないか。その気持ちは、よそ者にはわからない。父となって、母となって、初めてわかるのだ)
いまさらながら、後悔している自分の情けなさ・・・。
仏道のために、親をも、妻子をも捨てるのは出家の大前提です。寺の住職になってから、私は結婚をし子供ももうけましたが、やはり家族を犠牲にした部分が多かったと感じます。一方、家族がいるため、弟子の面倒をおろそかにし、一出家者としての私の仏道修行の実物見本もお粗末なものでした。ましてや、一在家者としての「父母の一子を念ふ」心すら、持ち合わせていませんでした。
今は妻に代わって、空き家で上の二人の子供と暮らしています。朝ごはんを作ってから子供を学校に送り出す。皿洗いをし、選択をし、雪掻きをする。晩御飯の用意をする。妻と赤ちゃんを見に、他県の病院に通う。子供を学校に迎えにいく。空き家の風呂が使えないため、銭湯につれてから家に帰る。子供が宿題を作っている間に御飯を温める。子供が食べてから歯を磨いて、本読みをして、寝る。そして私は今コタツに入って、「禅生活」の原稿に向かっています。今日も山からビュービューと風が吹き降ろしています。
冬のピークを迎えているお寺に参禅者4人を残しています。雪は二階の窓まで到達しようとしています。山では雪崩が起きています。先日は水のパイプが破損し、台所に水が来ていないというメールがありました。雪を溶かして料理をしているとか。そして午前中は今でも、毎日輪講が行われているはずです。
電話で彼らに送った言葉。
「何はともあれ、怪我をしないように」
万が一のことがない事を祈るばかりです。
矛盾だらけの禅生活は今日も続いています。
(ネルケ無方著 「生きるヒント33」より)