火中の蓮
2007年 5・6月号

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執着の環
オウムから12年 (その16)



おさる親子。

 日本の既成仏教の堕落の一原因として、僧侶の妻帯を取り上げています。日本仏教にとっても、仏道修行道場である安泰寺での私自身の生活においても、家族を持つことはどうして問題であるかを説明する前に、仏道修行者であると同時に、親であり配偶者であることのプラス面について考えたいと思います。仏教の堕落の原因が妻帯にあるのであれば、そういう「プラス面」は果たしてあるのだろうかと疑問に思う人もいるかもしれませんが。

 仏道修行に専念しているはずの僧侶は「出家」を建前とし、結婚しないばかりか、仏の子となり、生まれ育った家庭との縁をも切るのが本来です。中国にはこのような逸話もあります。ある母親は出家してしまった我が子のことが忘れられず、国中を探します。老婆となった彼女の目は不自由ですが、探してもなかなか見つかりません。そこで思いついたのですが、旅人がよく渡し船で渡る川の側で、按摩をしていれば、行脚中の息子もいずれはこの川を渡るでしょう。そして息子の足を揉めば、手の感覚で彼の足の裏に小さい頃からあったアザが分かり、再会できるはずだ、と。母親は何年あの川の側で旅人の足を揉んでいたのでしょうか。ある日、彼はやがて修行仲間と一緒にやってきました。渡り船の出発まで少し時間がありましたので、母親だと分からず老婆に足のマッサージを頼んできました。母親にはすぐ分かった、「あの子だ!」。うれしさで涙を浮かべて久し振りに再会できた息子に声をかけますが、彼は出家の道を踏み外すことを恐れて、ちょうどその時、岸から離れようとしていた渡し船に飛んでゆきます。目の見えない老婆は彼の後を追っていましたが、間に合わず川の中で溺れてしまいます。一緒に船に乗っていた修行の仲間は彼に問いました、「自分の母親をこんな形で殺してもいいのか」と。彼は答えます、「菩薩の狙いは一切衆生の救済だから、母親一人のためにその使命を放置していいものか」と。人間として自分の母親を愛するよりも、菩薩として一切衆生を教化し救済することが大事だ、という強い哲学を彼は持っていたようです。

 正法眼蔵の「出家功徳」の巻には、道元禅師は大般涅槃経から釈尊の言葉を引いています。

 「我れ父母・兄弟・妻子・眷属・知識を棄てて、出家修道す。正に是れ諸の善覚を修集すべき時なり・・・善覚とは、一切衆生を憐愍すること、猶ほ赤子の如し。」

 しかし、「父母・兄弟・妻子・眷属・知識を棄てて」と言っても、実際に釈尊と一緒に出家生活を送っていた修行者たちの多くは釈尊の親戚でした。釈尊の継母も、腹違いの兄弟や従兄弟も、甥や姪っ子、奥さんとの子も妾との子も、釈尊を慕って修行をしていたのです。ですから、釈尊は決して家族・親戚から逃げていたのではありません。釈尊にとっては、家族・親戚と「一切衆生」は別物ではなかったはずです。

 また、「永平清規」の中にはこういう話が出てきます。ある修行僧は長い間、慈明というお坊さんについて修行してきましたが、一向に悟りを開くことができず、救われた気持ちにはなれず、安心できません。師匠に訪ねる度に、「そんな悟りだとか安心だとか、よけいなことを考える暇があるのなら、オマエに任されている仕事を先ずやってこい。忙しいはずだ!」と、相手にしてもらえません。ところが、その師匠の慈明のお寺の近くに、ある女性は住んでいたそうです。「人の之を測ること莫し、所謂慈明婆なり。慈明間に乗じて必ず彼に至る。」・・・人は皆、彼女が一体なにものか分かりませんでしたが、とにかく「慈明婆」というあだ名を付けました。慈明は暇さえあれば彼女のところに通っていたからです。ある日、慈明の説法があるはずなのに、なかなか寺には帰ってきません。弟子はその後を追い、「慈明婆」の家まで尾行します。弟子は疑問に思っていたに違いありません。「俺たちと仏法の話しをする暇がないというのに、毎日あのババのところに行って、何をしているのだろうか。説法よりもババのことは大事なのか」と。そして「慈明婆」の家を覗くと、慈明婆はカマドを炊き、ババはお粥を作っているのではありませんか。そこでまた師匠と弟子の問答が広がれられますが、その後も慈明はやはり婆のところ往き来し、寺に戻っては説法を求められるような毎日を送ることになります。

 ここで興味深いのは、その「慈明婆」の正体ですが、「人の之を測ること莫し」ということですから、たぶん誰も分からなかったでしょう。母親ではないか、という説もあれば、出家する前に結婚していた女性だ、という人もいます。いずれにせよ、昔の中国でも母親を溺死させるようなお坊さんばかりではなかったようです。この慈明和尚のように、寺の中で説法を待っている弟子達の指導と得体の知れない「婆」の面倒見(?)を両立させようとしていたお坊さんの記録もあります。

 それはともかくとして、私の場合は得度する前にお世話になった家族との縁を切らないだけではなく、五年前にお坊さんでありながら結婚もし、子供も二人もうけました。そのため、慈明和尚以上に忙しくなりました。寺のこともやらなければなりません。弟子の指導もしなければなりません。かといって、家族を相手にしないわけにもいけません。さて、僧侶の妻帯の「プラス面」は?

 まず一つ言えるのは、釈尊の言う「一切衆生を憐愍すること、猶ほ赤子の如し。」ですが、赤ん坊を愛することはどういうことかは、本当に自分で赤ちゃんを持ったことのある人でなければ、分からないと言うことです。「赤子の如し憐愍する」というのは、理屈ではないはずです。赤ちゃんが生まれれば、それを理屈抜きに、無条件に愛するのが親です。この経験がなければ、「菩提心」だとか「慈悲心」だとか、なんだかんだ言っても、結局は「一切衆生を憐愍する」ことは空論になりがちです。「赤子の如し」といっても、本当に我が子として愛するのと、我が子「のように」愛するのと、天と地の違いがあります。この「赤子の如し」の「如し」を「ように」として解釈してしまいますと、せっかくの「一切衆生を憐愍する」こともウソになってしまいます。菩薩は、一切のものをまるで我が子のように愛しているのではありません。一切のものを愛することはそのまま我が子を愛することであって、我が子を愛することはそのまま一切のものを愛することです。しかし、この気持ちは子供を持たない人にはなかなか理解できない気がいたします。

 次に言えるのは、子供を持つという事実は一生続くものです。寝ても覚めても、親は親です。結婚を決意し、子供を生めば、この責任から逃げたくても逃げられません。離婚しても、親は親であり、親としての責任があります。出家しても、親は親であり、子は子です。この事実は現実であり、否定のしようはありません。子に対する親の責任と、一切衆生に対する菩薩の責任を比較しますと、比べものにならないくらい親の責任が軽いように見えるかもしれませんが、実はその逆です。「一切衆生を我が子のように愛しよう」という大きな菩提心を起こしても、気が付いたら全然違うことをやっている、「一切衆生」のことを全く考えていないということはよくありますが、親ならそうはいけません。子供は「一切衆生」というような概念と違い、目の前にありますから。

 アメリカで活躍している中国のお坊さんに人は訪ねました。「戦争になったとき、お坊さんは不殺生戒を犯さないために、どうしたらいいでしょうか」と。お坊さんの答えは極めて明快なものでした。「それは簡単だ。戦争の間だけ、還俗すればいいのだ。そうすれば、戒を破れずに済むから」。なるほど、「不殺生戒」という戒律を受けていなければ、人を殺しても「破戒」にはなりません。しかし、「殺人」という事実は変わらないではありませんか。「還俗すれば大丈夫」、そんな都合のいい出家・修行に対する考えがあってはいけないと思います。それだと、出家はその場しのぎの逃げ道になってしまいます。現に、家族に対する責任、社会に対する責任から逃れようとして、出家する人は昔も今も大勢いました。そして、都合によってはまた還俗したり再得度したり・・・それなら、最初から破戒でも何でも覚悟の上で、自分の心の声に忠実に生きることが菩薩であり、大人だと思います。出家はご都合主義ではありません。その辺、出家者は親から見習えることはたくさんあると思います。親だって、その時の都合によって、親になったり親をやめたりできないからです。親は一生親です。菩薩も一生菩薩でなければなりません。

 「親のように一切衆生を憐愍する」のではなく、本当に親がわが子を愛する、この愛は現実です。しかし、実際家族がいれば、きれい事ばかりではありません。子供の世話に疲れたり、夫婦喧嘩になったり、いろいろあります。たまには、修行道場の生活よりも、家庭内の生活が厳しい修行に思えることがあります。が、この家庭生活に対応できず、出家への逃げ道を選ぶのであれば、本当に「仏・菩薩」といえるのでしょうか。むしろ家庭生活を修行の模範とし、家庭を持ちながら修行をする方が仏・菩薩道に適っている気すらいたします。

 ですから、家庭生活における人間関係は菩薩の修行の模範と言えます。家庭と「一切衆生」は対立するものではなく、一切衆生の中核心として家庭があるわけです。そして家庭生活は「一切衆生」ですとか、「発菩提心」ですとか、そういった高い理想以前に生の現実ですし、そこから逃れることはできません。愛し合って結婚したはずの夫婦も、本を正せば凡夫です。家庭はそういう凡夫のぶつかり合いの場でもあります。また夫婦は自分たちのことで必死なのに、そういう親の愛情に飢えている子供たちはそこにいます。絶えず親の注意を引こうとしています。「マイ・プライベート・タイム」など、一分もありません。家庭は決して、自分の思うようになりません。いつも譲り合いをしなければなりません。家庭を持てば、否応なしに菩薩として生きていかなければなりません。毎日は修行です。

 「毎日は修行です」、これは修行の専門道場も同じです。道元禅師は「為公は私曲無きなり」と言いますが、叢林の中では皆のことを考え、皆の役に立たなければなりません。これは僧宝(仏法僧という三宝の一つであるサンガ)に帰依し、僧宝に供養し、僧宝を敬うことです。そのためには「わたくし」というものを特に忘れていなければなりません。しかし、実際はどうなのでしょうか。修行道場ではいくらでも逃げ道があり、本当に主体性を持って仏道を目指している人は少ないです。私はよく「大人の修行」という言葉を使っていますが、「大人の修行」とは自主性・主体性をもって、自分自身の修行に対する責任を先ず持たなければなりません。それから自分自身を忘れて、周りの人たち、全体に目を向けなければなりません。それから、自分の行動の一々が周りの人にどう認識され、どんな影響をおよぼすかという理解力もなくてはなりません。そういうつながりの中で、自分の修行はもちろん、人の修行に対する責任をも感じ、その責任に答えなければなりません。

 こう言った「大人の修行」を安泰寺で目指しているのに、本当はここが大人になりそびれたもののための幼稚園ではないかと思うことすらあります。人のことはもとより、自分のことすら見えていないことは多すぎます。平たく言えば、自分のケツさえ拭けていません。小さい子供のいる家庭ではそうはいかないのです。子供達に鍛えられて、親は菩薩修行を強いられています。本当の大人にならざるを得ません。有り難いことです。

 出家生活はかつて貴族階級から溢れていた暇人の特権でした。一般庶民にはそういう選択筋は閉ざされていました。今のように、誰と結婚をするかと言うことも自由に決めることはできませんでした。今日は結婚するのもしないのも、子供を生むのも生まないのも、離婚をするのも親権を棄てるのも、個人の自由とされていますし、出家者ではなくても配偶者と子供のいない生活を選ぶ人は増えています。どうしてでしょうか。それは家庭を持たないと言うことが一番気が楽だからではないでしょうか。自分のことすらろくにできない現代人の多くにとって、家庭を持つという責任はとても重すぎます。

 ある参禅者に聞かれたことがあります。「あなたはお坊さんなのに、どうして家庭をもっているの?妻と子供がいれば、執着が沸いて 来るではないか?一切の執着を切り捨てるのはお坊さんの修行の目的なのに、どうして妻と子供を愛せますか」と。たしかに、そうです。家庭を持てば、執着があります。そして、その執着を断ち切るのは仏道修行者の目的とされています。そのために出家をし、厳しい修行をします。やがて執着から自由になったら、初めて一切衆生を我が子のように憐愍し、救済することも可能になります。しかし、はたしてこの理屈のとおりでうまくいくのかどうか、私は疑問です。

 むしろ家庭への執着から出発し、子供をいっぱい愛し、妻も愛し、そしてこの愛着の環をドンドン広げて、近いものから遠いものまで、本当に我が子を愛する気持ちで接することができれば・・・そういう願いで私は生きていきたいですし、そういう願いで生きることを菩薩修行だと心得ています。そして菩薩として仏法僧の三宝に帰依し供養しなければならないのは当然ですが、その菩薩修行を可能たらしめる妻・子供達と時には悪戦苦闘しながらも、妻・子供達に感謝する気持ちも忘れないでいたいと思います。菩薩として執着をなくすのではなく、菩薩の執着を無限に広げられていたら、と願っております。

 現実の中では、私の子供は子供のおもちゃでつまらない喧嘩に夢中です。私と妻もまた、つまらないおもちゃで喧嘩しています。「禅に聞け」という沢木老師の名言集の中の「夫婦喧嘩でムシャクシャしているあなたへ」という一章の最後に、ネルケ家の有り様が描かれています。

 「動物園の猿を見ているより、飼いっぱなしの人間を見ておる方がおもしろい。」

(続く・ネルケ無方)

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