・帰  命・
[まっさらな自分に立ち返る]
〜1月号〜

[次号]


玉磨かざれば
光なし

 明けましておめでとうございます。と挨拶はしてみたものの、年は新しくなっても世相はコロッと変わってくれません。お屠蘇の酔いが覚めてみると不況だデフレだと世相は相変わらずです。
 しかし好不況は世の習い、それを理由に自分を嘆いても何の解決にも結びつかないでしょう。そこで新年を迎えた今をチャンスに自己の行動や発想を再考し転換を図ってみるのはどうでしょう。

        「玉は琢磨によりて器となる。人は錬磨によりて仁となる。」と鎌倉時代に禅の教えを広め曹洞宗を開かれた道元禅師はいわれ、つづけて「始めから光のある玉もなければ、はじめからすぐれたはたらきのある人もあるわけではない。必ず切磋せよ、錬磨せよ。自ら卑下して学道を手ぬるくしてはならない。」と私達を励ましておられます。
 私達はみな命を持ってこの世に出てきました。しかしその命を働かせ、輝かせるには錬磨が必要です。この世でたった一度、一人しかいない自分が充実して、本当に納得して生きていたいのは誰しもでしょう。一度きりの人生を思う存分生き、大切にしたいと思うのは私だけでしょうか。もし本当にそれを思うなら、不況だから、時世が悪い社会がどうのなどと他のせいにしたり、私にはそのような強い意思や能力がないなどと卑下している暇もありません。そんな他所事で済まされないのが自分なのですから。

 さてそこで、自分を磨き光らせるにはどうすればよいのでしょうか。
 磨くというからには自分を何かに擦りつけなければなりません。普通自分を良くしようとして経験や学識を取り込むのは良いにしても、それを着て自分を包み覆っていたのでは擦れません。せっかくの宝の持ち腐れになってしまいます。他と直に擦れあい揉みあい、練り磨くところに光り輝きだすのでしょう。
(堂頭)


■ 謹 賀 新 年 ■ ■■
 去年はインターネットのホームページを開いたことにより、それを通じての参禅者が相次ぎました。もちろん国内外を問わず地球規模で参禅があったのはインターネットという新しい伝達手段に負うところです。それにともない安泰寺の生活形態も大きく変わってきたのは当然の成り行きでした。最早日本人にだけ都合の好いやりやすい生活に固執は出来なくなりました。異なった文化、社会を背にした者同士が坐禅修行という共通の目的のため集い生活する新しい実験場になろうとしています。今年はどの様に展開してゆくのかワクワクドキドキ、面白くなってきました。
 そんな訳で今年の安泰寺は従来の禅寺らしい禅寺というイメージとは違う、どの様に違ってゆくのかは分かりませんが、誰でも近づきやすい、より敷居の低いお寺でありたいと思います。しかしそのことは坐禅・仏道を低くするものではありません。かえって余分なものを削ぎ落とした厳粛さ、本質が露になるものと確信しております。本年も皆様の益々の御法愛のほどお願いいたします。
(堂頭)
● 雪 安 居 ● ●●
 多くの参禅者で賑わう安泰寺も、冬のこの時期は深い雪のなか、4キロの参道も不通となり参禅者も訪れる人もなくヒッソリとしています。回りを山に囲まれているので外からの人の往来は勿論、人工の物音も届きません。時折上空を飛ぶ飛行機の鈍い音が現代社会に居ることを気づかせてくれる程度です。そんな雪深い中で私達は修行に余念がありません。

 安居(あんご)とは修行者達が一定期間同じ所に止まり一緒に修行することをいいます。もともとはインド語の雨期の義だそうです。お釈迦様のころから行われている修行生活で、インドでは雨期の3ヶ月間は旅をしたり移動することが難しかったので、その間修行者達は一所に止まって過ごしました。それを雨安居とか安居といって、以来2500年の長きに渡って中国や日本に受け継がれてきたのです。もちろん日本には雨期はありませんが、3ヶ月の集中修行期間として夏安居や冬安居と呼んで修行しているのです。

 安泰寺の雪安居は、雪で物理的に野外活動や出入り移動が出来ないところから、お釈迦様の頃の雨安居と同じ趣旨に沿ったものと言えるでしょう。雪解けの3月末まで屋外での活動はなく、ひたすら坐禅と仏教学だけに専念するのです。

 今年の安居も仏教学は個々人の参究テーマの他に、共同テーマとして典座教訓(てんぞきょうくん)という道元禅師の著作を参究します。典座とは禅寺で食事を作る係、料理係のことで、その心得を書いたものが典座教訓ですが、それは単なる料理人の教訓に止まらず、禅の極地である悟りの働き、ひいては私達の生命の働きの有り様が教えられています。今までにも何回となく毎年のように取り上げられてきたテーマですが、人が変わるたびに新鮮で意外な研究発表があり、何よりもその参究が直ちにここでの生活に結びついているので真剣にならざるを得ないわけです。

 もちろん坐禅が安居の中軸であることは申すまでもありません。外界との接触のない中でひたすら壁に向かい自己に出会い、仏を証する行為が続きます。静けさの中で薪ストーブの小気味よく燃える音、雪の落ちる音、風の舞う音、坐禅の好時節です。                
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