【帰命】
・・・よく見、よく聞き、ハッキリと言え・・・
〜5月号〜

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リクツ抜きに坐ること
(大人の修行 その13)
 坐禅とはまず身体の姿勢を調え、その後に呼吸を調え、そしてその後にいよいよ肝心な心を調えることだと思う人も多いと思いますが、これは大きな間違いです。身体と、呼吸と、心とは、別物ではないからです。身体の姿勢を調えることはそのまま呼吸を調えることでもあり、心を調えることでもあります。ですから、何年坐っても坐禅ができないと言うのであれば、もうすこし変わった呼吸法を試してみたり、心を心でいじくってみたりするよりも、まず身体の姿勢を調えなおすことが大事です。身体を調えることくらい、初心者でもできると思われがちですが、そう思うならば初心に帰ればよいではないでしょうか。呼吸を見たり数えたりするという方法も確かにありますし、「自分は一体何のためにここに来たのか、何のために坐禅しているのか、何のために生まれて来、死んでゆくのか、そういう自分とはそもそも何なのか」という大公案に真正面から取り組むのもいいですが、鶏がエサをつついているような姿勢では何の解答も出てこないのは当たり前です。何年坐っても坐禅ができないと言うのであれば、本当に腰が入っているのか、背筋が伸びているのか、アゴを退いているのか、一度点検してみるといいです。腰が入っていなければ、それを自分で入れ直す。背筋が伸びていなければ、自分で伸ばし直す。そしてアゴを退き、頭のテッペンで天井を突き破るつもりで首筋も伸ばします。

 「坐禅は、われわれのナマ肉でかためたホトケである」と、沢木老師は言いますが、4、5人しかいない寺で、台風で道が流されてしまった後、山の中で新たな歩道を仮設し、出荷する玄米運び下ろし、生活で必要なガソリンや食品等を上げ、暇なときに畑を作り薪を割りしていれば、いざ座蒲団の上に腰を下ろせば、気合いは全く入らず、腰は自ずと抜け、背中は曲がり、つい居眠りをしてしまうのも人間としては自然かもしれません。しかし、ここは大人の勝負の世界です。疲れた身のままで、疲れた「この肉体で行く」工夫はあるはずです。正身端坐という弁道のあり方が問われています。

 肉体で坐る禅であって、決して脳味噌で考える禅ではない・・・この問題は現代の禅宗の問題だけではなく、すでに道元禅師の時代にあった問題だと思います。というのは、道元禅師が中国から坐禅を日本へ伝えたと言われておりますが、その坐禅という修行方法はそれ以前に道元禅師自身が修行していた天台宗などではもう特に知られており、実際に行われていた修行の一つです。しかも、そこには「摩訶止観」という坐禅における心などの調え方をこと細かく、段階的に説明した分厚い経典もあれば、それを分かるいやすく省略した「天台小止観」もありました。

 「摩訶止観」にしても「天台小止観」にしても、道元禅師が中国から帰って書かれた「普勧坐禅儀」よりボリュームは比べられないほど大きいですし、中身も深いと言わなければなりません。まさに「大人向け」の手引き書です。それを道元禅師が若い時分にまさに「眼光紙背に徹する程に」読みあさっていたはずですが、日本では修行に対する疑問は解決されず、中国に渡って初めて坐禅中「身心脱落」し(身も心も坐禅にゆだねたこと)、「手ぶら」で日本に帰ったのち、あえて極めて簡単な「普勧坐禅儀」を著し、それまで日本で行われていた仏教を否定までしました。それは何故だったのでしょうか。道元禅師に言わせれば、それはそれまでの日本仏教が経典の文字面ばかりを追ってき、坐禅という実践方法も頭で理解し、実際に行じたとしても、その実践もまた「ナマ肉でかためたホトケ」という実践ではなく、心で心を理解しようと言う試みであったからではないでしょうか。逆に、天台の仏教学者の目には、道元禅師の「普勧坐禅儀」が屁でもないほどレベルの低い入門書に写っていたでしょう。「耳と肩と對し、鼻と臍と對せしめんことを要す」と言ったような、分かり切ったことではなく、いかに悟りの境涯を会得できるかが彼らの肝心事であったはずです。

 ところが、心で心を理解しようと言うこの試みはどうしても失敗に終わってしまいます。肉体の姿勢に重点を置かないで、心を心だけで調えようと思っても、その心は宙に浮くばかりです。そのために、道元禅師は「普勧坐禅儀」などで坐禅の環境と肉体の姿勢だけを丁寧に説明し、調息と調心を「息は鼻より通ずべし・・・兀兀と坐定して思量箇不思量底なり・・・これ非思量なり」でカタヅケテいますし、沢木老師が「禅は精神ではない、この肉体で行く」と言いきってしまいます。しかし、修行者たちはどうしても「この肉体で行く」前に頭で分かりたいですから戸惑ってしまい、結局身動きがとれなくなります。この現象は安泰寺文集の文書のなかでもよく見受けられます。修行への取り組みは極めて真面目ですが、頭が先行してしまっていますから、身はついていけません(「普勧坐禅儀」のいう「入頭の邊量に逍遙すと雖も、幾ど出身の活路を虧闕す」もそういう状態を言い表しているように思われます)。

 これもまた決して他人事ではなく、私自身が書いた文書についてもそのまま言えることです。例えば去年の6月号で引用した、私がまだ学生だったころに参禅者の手引きとして書いていた

 「(安泰寺では)教育されたりすることはないので、自分の修行は自分でしなければならない。いちばん大事なことは自分の方へ仏道を引き寄せるのではなく、自分の身も思いをも仏道の方へ投げ入れることだが、そのためには先ず自分は何のために安泰寺に来たのか、ここで何を修行しようとしているのか、をハッキリさせなければならない。自分が今生きているこの瞬間の命のほかに期待するものがあれば、必ず失望するであろう。自分をも人をも誤魔化さずに、私は一体何をしにここへ来たのか、と自分に問うてみられたい。」

 という文書も、去年の安泰寺文集の原稿「私の修行」の中で引用した、それより半年前の1992年の文集のために書いていた

 「安泰寺という所では人に修行させてもらえない。自分で道を求め、自分で歩かなければならない。そういう自分の生き方によって修行の場が自然に開いてくる。凡夫の目に見えない真実を見るのは修行の目的ではない。真実は簡単で誰にも見えると思う。「あたりまえのふかさ」である。「ふかさ」はそれを実行する所から生まれる。誰でも自分の中に「お寺」を持っている。ただその「お寺」という修行道場を毎日の生活の中でいかに現前させるかが問題である。どういう風に今、ここで安泰寺を自分で創るのかが問題である。」

 という文書もそうです。 今から思えば、分かっていたようなことを言いながら、本当は何も分かっていなかったのです。言っていること自体は決して間違っていないと思いますが、そこには「行」という裏付けが欠けていました。漠然とした理想を追い求めながら、「禅はリクツじゃない」というリクツにハマっていたに過ぎません。
(続く・堂頭)


あんたいじで・・・
(by K. U.・13歳)
僕はあんたいじで心をきたえて強い男になって家にかえろうと心にきめています。でも座ぜんをしているときにまわりの人はピクリともしないのに僕はモゾモゾ動いてしまう。いつもきたえている人はさすがだなーと思います。さむの時も僕はいつもみなさんの足でまといになってしまうじぶんがなさけない・・・しかし家に帰ったらすこし強い男になれたかなーと自分で思っています。

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