・帰  命・
[まっさらな自分に立ち返る]
〜5月号〜

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安泰寺八世
無外信雄大和尚
 安泰寺の堂頭が除雪中,ブルドーザーで川のなかに転落し,逝去してからもうすでに百ヶ日が経とうとしています。今月の24日に行われる立塔納骨供養の準備で,大衆は忙しく走り回っています。

 また安泰寺の責任役員によって,弟子のネルケ無方が次の堂頭として決められました。

安泰寺を創る

 初めて安泰寺に上がって,師匠にあったのは12年前,台風19号で参道が流されていたあとだった。久斗山に「独坐」しているこの場所にすぐ魅せられた。そして,来たばかりの私が堂頭さんに最初に言われたのは(みながそう言われるように)「安泰寺をお前が創らなければならない」という一言。安泰寺は他人が創ったものではない。自分が創ったものである。そして,絶えず創りなおさなければならないものである。昨日,自分が創った安泰寺は今日問いなおして,ぶっ壊して,新しく創りなおさなければならない。(無論,この「問いなおす」「ぶっ壊す」という作業も型にはまった真似事にはなれやすいので,「問う」こと自体もまた問い,「壊す」作業自体を壊さなければならない。)

 私は何をしに安泰寺に来たのか。そして今なんでまだここにいるのか。何が私にこんな生活を送らせているのか。他の選択筋はいくらでもあったはず。しかし,私をここまで導いてくれたのは坐禅であり,これからも私は坐禅のために生きていこうと思う。

 坐禅の場所を私が創る。そしてここに坐禅している皆も,それぞれの場所を創らなければならない。昨日の安泰寺はもうない。明日の安泰寺は,明日に任せればよい。今日,私たちがどんな安泰寺を創れるのか。私は安泰寺を創り,問い,壊し,創りなおす。安泰寺によって私は創られ,問われ,壊され,創りなおされる。
(無方)
参禅者のひとことふたこと〜** IMPRESSIONS **
(Y.S./京都/学生)

ここは農耕民族である日本人の原風景を見ているようで心が安らぎました。そして何よりも飯がウマイ!時間があればもっと食っていたかったです。京都からバイクで5時間。考えてみればすぐ近くです。これからまた暇ができたら来ようと思います。その時も安泰寺が今のように,厳しくも居心地のよい所でありますように願いながら筆を置きます。
(M.K./京都/大学生)

安泰寺に来たきっかけは,以前参禅したことのある友人から安泰寺のことを聞き,興味が湧いたからだったのですが,本当の理由というか,心の奥底では,坐禅を組んで自分を見つめ直したい,もっといえば自己を変革したいという欲求があったのだと思います。そしていざ坐禅…。
無になるどころか,雑念と痛み,そして時間との戦いでした。最初にここに来る前に勝手に空想していた「坐禅をして空っぽになった自分」というイメージが,実際の大権で妄想だったことを思い知らされました。痛みばかりで,ともて無我なんて自分にはムツカシイ。「無方さんは痛みを感じたりしないんですか?」という質問に,無方さんは答えて次のように言われました。(正確ぢゃないかもしれない…)
 「今も痛みを感じるし,坐禅の際中,いろんなことが頭をよぎる。でも,何の痛みも苦しみも感じない坐禅なんて果たして楽しいんだろうか?人は,何の苦しみもない楽しみだけに満たされた生活を夢みるけど,そんな人生を生きて本当に満たされるだろうか?痛みや苦しみ,不幸を伴って生きてこそ,生きる甲斐があるんじゃない。」
励まされることばでした。下山してからも辛さを感じたとき,何度となく思い返すと思います。
(A.K./東京/会社員)

飾っても誤魔化そうとしても,どうせばれている…素裸になる感じは心地よいなと開山堂で改めて思う。ありがとうございました。
5年振りの春の安泰寺が呼んでくれている様で,ついつい一日延ばして滞在。忙しい中,すっかり甘えさせて頂いた皆様,どうもありがとう!
久斗山にも登れて嬉しかった。あの海も山なみも風も絶品でした。月を見ながらの歌も鳥の声もカエルの歌もetc…  物事は移ろい,そして新しい息吹が育っている。わからないことはわからないまま,酔っている時は酔ったまま…。明日花ざかりの久斗山を後にします。どうもありがとう。皆様がどうぞ,お健やかであられます様に。それではまた!
(ともみ)

そもそも自分とは何なのか。分からない。過去をふりかえって自分がうかぶのか。未来を予見して自分を創造するのか。いいや,結局はなるようにしかならない。日常のつみかさねが自分なんだろう。しかしながら,そんな日常の中にも,大きな,それはとても,大きな選択をしなければならないらしく,どうやら今が,まさにその時であるようだ。さあて,どうするかな。


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