・帰 命・ [まっさらな自分に立ち返る] |
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〜5月号〜 |
安泰寺八世 無外信雄大和尚 |
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参禅者のひとことふたこと〜** IMPRESSIONS ** |
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(Y.S./京都/学生) ここは農耕民族である日本人の原風景を見ているようで心が安らぎました。そして何よりも飯がウマイ!時間があればもっと食っていたかったです。京都からバイクで5時間。考えてみればすぐ近くです。これからまた暇ができたら来ようと思います。その時も安泰寺が今のように,厳しくも居心地のよい所でありますように願いながら筆を置きます。 (M.K./京都/大学生) 安泰寺に来たきっかけは,以前参禅したことのある友人から安泰寺のことを聞き,興味が湧いたからだったのですが,本当の理由というか,心の奥底では,坐禅を組んで自分を見つめ直したい,もっといえば自己を変革したいという欲求があったのだと思います。そしていざ坐禅…。 無になるどころか,雑念と痛み,そして時間との戦いでした。最初にここに来る前に勝手に空想していた「坐禅をして空っぽになった自分」というイメージが,実際の大権で妄想だったことを思い知らされました。痛みばかりで,ともて無我なんて自分にはムツカシイ。「無方さんは痛みを感じたりしないんですか?」という質問に,無方さんは答えて次のように言われました。(正確ぢゃないかもしれない…) 「今も痛みを感じるし,坐禅の際中,いろんなことが頭をよぎる。でも,何の痛みも苦しみも感じない坐禅なんて果たして楽しいんだろうか?人は,何の苦しみもない楽しみだけに満たされた生活を夢みるけど,そんな人生を生きて本当に満たされるだろうか?痛みや苦しみ,不幸を伴って生きてこそ,生きる甲斐があるんじゃない。」 励まされることばでした。下山してからも辛さを感じたとき,何度となく思い返すと思います。 (A.K./東京/会社員) 飾っても誤魔化そうとしても,どうせばれている…素裸になる感じは心地よいなと開山堂で改めて思う。ありがとうございました。 5年振りの春の安泰寺が呼んでくれている様で,ついつい一日延ばして滞在。忙しい中,すっかり甘えさせて頂いた皆様,どうもありがとう! 久斗山にも登れて嬉しかった。あの海も山なみも風も絶品でした。月を見ながらの歌も鳥の声もカエルの歌もetc… 物事は移ろい,そして新しい息吹が育っている。わからないことはわからないまま,酔っている時は酔ったまま…。明日花ざかりの久斗山を後にします。どうもありがとう。皆様がどうぞ,お健やかであられます様に。それではまた! (ともみ) そもそも自分とは何なのか。分からない。過去をふりかえって自分がうかぶのか。未来を予見して自分を創造するのか。いいや,結局はなるようにしかならない。日常のつみかさねが自分なんだろう。しかしながら,そんな日常の中にも,大きな,それはとても,大きな選択をしなければならないらしく,どうやら今が,まさにその時であるようだ。さあて,どうするかな。 |