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・帰 命・
[まっさらな自分に立ち返る] |
〜7月号〜 |
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お寺の言葉でよく「如常」(にょじょう)とか「如法」(にょほう)とか言います。「如
常」・・・いつものように、いつも通り、という意味でしょうか。
夜、皆が集まって一日
を振り返っているときによく「今日は如常でした」などといいますが、それはいつものよ
うに朝五時から二時間の坐禅をし、朝食を食べ、掃除を済ましてから外での作務をしてか
ら、風呂に入って夕御飯のあとまた二時間の坐禅という差定を指します。
こうして「今日
も如常でした、今日も如常でした」というふうに日々が過ぎてゆくのですが、はたして日
一日の「如常」はあるのか、とつくづく感じます。今朝の坐禅と今夜の坐禅、同じ二時間
でもその中身は全く違います。今日の坐禅と明日の坐禅と昨日の坐禅とは、ぜんぜん別な
ものです。「常の如く」のような坐禅などあり得るはずはありません。
毎日の作務ももち
ろん同じです。今日でなければできない作務はいっぱいあります。「今」草を取らなけれ
ば、稲は育ちません。この晴れ間に畑を耕耘しなければ、いつ耕せるのか、分かりません
。台所の薪も底をつきましたので、雨の日を狙って薪割り・・・常に臨機応変しつつ、今
何をしなければ・・・、と問わなければなりません。そしてそこに「如常」という答えは
まず出てこないはずです。
今の息は今しか出来ませんし、この今の息は掛け替えのない尊
いものです。
また、「如法、如法」ともよく言われますが、「法」とはまさにこの掛け替えのない、自
分が今ここに生きている一瞬の命のことですから、それを「如法」という概念で固められ
るはずはありません。比較できない、この無常の現実を「法」というのですから。
今日の坐禅、今日しか出来ない坐禅にこの「非如常」の法を見いだし、この法に問われて
ゆきたいと思います。
(堂頭)
<私の修行>
私は29歳の日本人ですが、この年齢になるまで日本の文化・宗教にあまり目を向けていませ
んでした。このお寺に来る半年位前に、ネパール、タイ、そして自然の豊かな土地で生活
している友人宅を訪れ、アジア、その中の日本に非常に愛着を抱き始めました。
禅は中国から日本に齎らされましたが、どちらかというと農民に支持され貴族は華厳経
などを好んでいたようです。
安泰寺は日本の自然の中で自給自足の為、今私が日常参禅で行なっているのは主に農作
業などが中心です。
晩年の道元は自然をこよなく愛したそうですが、禅という厳しく自らに嘘のつけない行
の中にあって、外国人参禅者が「禅の生活は全てが芸術的だ」とか「美しい」という感想
に対して、美化しすぎるという批判があり、それはまた新しい「 」を作っているだけだ
という禅師の話を読みました。私も決して新しく強固な「 」を作るまいと思っていたに
もかかわらず、単純に美しい自然とこの場所で坐禅ができる事に感謝しています。安泰寺
は紫陽花寺です。 (熊谷)
人生とはほんまにおかしいというか、何がおこるかわからへんとつくづく思います。生
まれも育ちも大阪のまんまん中で、夜あそび大スキ、仕事はハードロックカフェのウェト
レスと外人がいっぱい来るバーのバーテン。そんな私はこのくそ田舎の安泰寺で生活する
とはまさに夢とも思わなかったのであります。大学を出て1年間、イギリスにゆくお金を
ためようと、バイト三昧であった毎日のなかで、この安泰寺に8年ほどいたMさん(仮名
)と、e-mailを通じて知りあい、O公園(仮所)の坐禅会に参加をしたのがコトの起こり
でした。嗚呼。そのemailも文字化けしていて読めなかったのをわざわざ転送して読
んだのですが、もしその作業をしていなかったら私はここにはいなかったと思うのです。
坐禅会も朝の6時からあったので夜の’蛾’であった私にとって無縁のことだと思ってい
ました。とあるクラブオ−ルの帰り、青白けた朝空の下、ミナミの街を一人で歩いていて
人生このままじゃあかんと危機感を覚えたために、その足でO公園(仮所)までチャリを
走らせたのでありました。今はともかくこのくそ田舎の安泰寺で毎日泣きながらも生活さ
せていただいております。皿より重いものを持ったことがないし、鍬が何かも分からない
ので毎日が驚きと苦労の連続ですが浜坂を歩けば老若男女問わず皆ワタシをウットリ(?
)と見つめちょっとしたミスコン気分が味わえます。毎日泣き叫び、鼻水をたらしながら
大阪へ帰ろうかと思うのですがなんやかんやで2ヵ月ここにいるのです。ここにいること
が私の修行なのでしょう。多分。わからへんけど。 (ともみ)
。
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