*帰命*
まっさらな自分に立ち返る
〜9月号〜

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公案

 禅宗では仏法の道理を「公案」で表すことがあります。ところが、この公案は問題定義の 形をとることが多いです。例えばこのような公案があります。
 人が木に登って、手も足も使わず、口で枝をくわえてぶら下がり、木の下の人は、「一言 でもいいから、救いの言葉を下さい」と言った時、もし答えなければその人を黙殺してし まうし、もし答えれば木から落ちて自らの命を失ってしまう。では、どうするか。
 一見、非現実的な設定ですが、こういう「どうにもならない」状況に色々な形で出くわす ことは誰でもあると思います。どうにもならない自分自身をどうするか、というのが公案 です。どうしてもいけないからこそ、裏を返せば何をしてもいいはずです。自由自在に仏 法を現具させることこそ、この公案の狙いです。では、どうしたらこの公案に答えられる かと言いますと、公案には最初から「答え」がある筈がないのです。何を言っても、何を しても駄目だからこそ、何をしてもいいのですが、その「何をしてもいい」の「何」を「 どう」するかがやはり問題でなくてはなりませんし、解決を見つけて「これでいい」とい う問題のなくなった、安定した状態はありません。
 「どうにもならぬ、今、どうするか」という問題こそ仏法です。「こうしたらどうにかな るではないか」というのは仏法ではないのです。「これでいい」と思ったら、それを蹴っ 飛ばすのが禅。
 ところが、公案の「答え」を見つけて、たくさんの公案をどんどん「通る」ことが禅修行 の目的であって、そのために坐禅をするのだ、という間違った考え方があります。また、 1700の公案を全部通ってしまえば「修行が終わる」とも言われたりします。
 そうではありません。公案に答えもなければ、修行に終わりもありません。そして坐禅は 公案を解くための手段ではなく、むしろ禅修行において坐禅はそのまま最大の公案ほかな りません。「坐禅したら、それでおしまい」と言われるのは、そういう意味だと思います 。
 しかし、気をつけなければこの「坐禅したらオシマイ」というのも「坐禅さえすれば、そ れでいい」ということになってしまいます。それでは折角の、自分が今生きている「どう にもならい」大問題にあってはいけない半端な解決を与えているのではないでしょうか。 しかし、坐禅しても、解決にはなりません。それは坐禅がそもそも解決ではなく、問題そ のものだからです。どうにもならぬ、自分が・今・生きている・この現実、をどうするか 、というのが仏法であり、この仏法を体を持って現具させることが坐禅です。
 私たちが自分で坐禅をしている間、自分の問題が解決したくて落ちつくことはないでしょ う。仏法が自ら仏法を表し、坐禅が自ら坐禅しているとき、始めて「なにをどうしても」 現前する自由自在な働きに覚めるのです。
(堂頭)
参禅者のひとことふたこと ** IMPRESSIONS **
とりとめもない駄文
(K.T./神奈川/大学生/20歳)

 無念無想の境地に到りつけません。20歳である今、自分自身をコントロールすることで 精一杯です。ただ10日あまりの修行の中で、日常生活すべてにおいて禅宗は・・・とい うことがわかりました。
 一般的生活ではいつも生産性が求められ、目的のある行動が必要とされているのに対して 、修行のために修行するといった、目的と行動が一致している禅宗の生活は考えさせられ ました。
 自分自身を見つめ直すという逃げてしまいそうなことも、ここでの生活は考えるきっかけ ・時間になりました。
 禅宗で悟入は難しい。ブッダも親鸞もニーチェも人生を深く考えたけれど救われはしませ んでしたが、誰もが体も使って人生の意義なんてもの考える必要があると思います。
悲劇のヒロインパート** ともみのつぶやき**

とうとうやってしまった。あれは確か午後4時頃。急に思いついたもんだからそれは大変 だった。圧力鍋で玄米なんて炊いてる場合じゃない。優雅に鮭なんて焼いてる場合じゃな い。早く、早くここから逃げ出さねば。あぁぁ胸が苦しい。誰か助けてくれ。もしくは崖 からつきおとしてくれぇぇ。そう思うが早いか、トロイ私が驚くような速さで小汚い服を 脱ぎ捨て、愛用の便所スリッパを脱ぎ捨てて都会あつらえなジ−ンズに着替えて、スニ− カ−を履いた。この時は本当に必死で難しい事なんていっさい考えないでとりあえず安泰 寺から逃げることのみだった。坐禅も作務も典座も嫌だと、生きていることさえ嫌だと思 った時期だった。大阪に帰って、友達や家族にあってもこの苦しさは免れないと分かって いても、いても立ってもいられない。ハヤクニゲロという呪文が私の頭のなかで円周率並 みにぐるぐるぐるぐる無限に回りつづけていた。もしそれがナムシャカムニブツだったら 尼さんになっていたにちがいない。ともかく、荷物をまとめて本格的に脱出の用意をした 。今まで何度か脱出を試みた事はあったが、今回は本気である。しかし。しかしだ。この 本気の脱出作戦も未遂に終わった。皆を驚かせるだけ驚かして困惑させ心配させたのにな ぁ。自分自身が抱える悩みや、苦しみを他のモノのせいにできたらどれだけ楽だろうか。 でも結局自分を創造するのも、自分を改造するのも自分次第なのである。恋が女を綺麗に するというけど、それも自分パワ−の賜物である。恋がきっかけになったというだけで。 とにかく現実から逃げないこと。この世のなか、自分次第で天国にも地獄にもなりうるの だから。


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