【火中の蓮】
〜2007年 2月号〜

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仏道との出会い(IV)
(オウムから12年・その14)



22才の時、初めて安泰寺に上山。先輩の永流さんと。ハナノキはまだ細かった。

 私がドイツの高校を卒業して、直接に日本に渡り禅僧になるべきか、まず大学を経てから日本の寺に入門すべきか、しばらく悩みました。ドイツでは小学校に入学してから高校を卒業するまで13年間かかります。日本やアメリカより一年間長いですから、高校を卒業した時点ではもうすでに19才です。徴兵制がありますから、そのあとは二年弱の軍隊訓練があり、大学も日本でいう普通の卒業(アメリカのB.A.)がなく、いったん入学すれば修士課程を得るまで卒業できません。ですから、30才前後まで大学に残る学生も決して珍しくありません。が、私にはそんな時間がないと思いました。すぐにでも日本に渡って、禅僧になりたかったのです。しかし、最初に坐禅を教えてくれた先生の一言で大学に入学することになりまし、「まず手に職をつけておけ」と。

 ドイツの高校の卒業は6月ですが、大学は4月と10月とどちらでも入学できます。当時は西ベルリンに住んでいれば、軍隊に行かなくても済みましたので、まずベルリンで下宿を見つけて住所を移しました。それから秋までの三ヶ月間を日本で過ごして、少しでも日本の文化に触れて、禅の心に学びたいと思いました。行った先は栃木県でのホームステーでした。ところが、私を受け入れてくれた宇都宮市のSさんのお宅は、熱心なキリスト教の信者でした。若かった私が日本に「禅の心」を託して、大いに期待していたと同じように、Sさん達もまたキリスト教の「本場」からきた私に期待していたようです。彼らに教会に連れてもらい、ミサの後には心配そうに聞かれました。「どうですか、日本のキリスト教は?ドイツと同じですか、それとも違いますか?ドイツの方はやはりしっかりしています?」。私には答えようがありませんでした。おそらくドイツよりも日本のクリスチャンがしっかりしているとも思えましたが、そもそもは私はキリスト教にうんざりして日本に来ていましたので、日本のキリスト教ではなく、日本の禅が知りたかったのです。しかし、「お寺に行きたい、坐禅がしたい」と頼んでも、今度はSさんが「そんなものはつまらないよ、坐禅なんかしなくてもいい。あなたの国のキリスト教の方は優れている」と聡そうとしていました。また、日本文化なら何でも知りたいと思っていた私が、尺八や琴の音楽を聴きたいというと、Sさんはとうとう我慢できなくなったのか、ベートーベンのレコードをかけて「若い者よ、これこそ本当の音楽だ、黙って聞き入りなさい!」と起こります。お互い、がっかりしていたようです。

 仏教に無関心だったのは、Sさんだけではありませんでした。若い日本人に仏教のことを聞いても、大概は「知らない、興味ない」というだけでした。「おかしいな、ここは『禅の国』、金閣寺や銀閣寺の建つ日本ではないか」と思いましたが、誰も取り合ってくれません。坐禅のできるお寺を探しても、なかなか見つかりません。宇都宮市にあった一か寺と、ヒッチハイクして行った京都の龍泉庵という寺だけで坐禅ができました。他のお寺は檀家寺として硬く門を閉めていたか、観光寺として入場料を取って石庭を案内してくれたかです。

 当時は不思議でなりませんでしたか、今から思えば、仏教に対する日本人の無関心は良く分かるような気がいたします。日本の仏教は西洋のキリスト教と同じくらい、あるいはそれ以上に堕落しているからです。お坊さんはもはや一般の人に仏教を広める聖職ではなく、単にお寺の管理人兼葬式法要を執り行うサービス業に成り下がってしまいました。ですから、若い日本人が既成仏教に救いを求めないのも、不思議でも何でもなく、あたりまえのことです。それは、若い日本人が自分の生き方に悩み苦しんでいないからではなく、お坊さんが悩み苦しみを超えた生き方を提唱しないからです。実際、私と同じような悩みを抱えた日本人は多くいると思います。「どう生きたらよいか、分からない。なんのための人生か。そもそも、自分とは何か・・・」頭の中ではそう悩みながら、自分を身体を忘れてしまっています。とくにインターネットや携帯電話の普及により、自分のアタマと親指一本しか使わなくなった日本人も多くないでしょうか。今の宗教家も教育家も生き方どころか、身体の大事さすら教えてくれません。オウムに入信してしまった若者もそういった問題を抱えていたのではないでしょうか。オウム事件を他人事と思えない理由はここにあります。ドイツに生まれてきた私はたまたま日本の禅との縁が出来て、人生の方向が決まり、最終的に救われましたが、せっかく日本で生まれてきた青年達はどうして坐禅との縁がないのでしょうか。

 オウム信者の大部分は最初にオウムのヨガ教室を通して、「なぜだか全く分からないが、自分の世界が変わる」というような体験をしているらしいです。ヨガも坐禅も、その基本は「身心一如」ですから、身体を整えれば、心も整ってくるわけです。そういう体験を普段してこなかった若者を、オウムはヨガを使って簡単にだませたのです。もし彼らが若いときに坐禅であっていたら、違う道に進み優秀な宗教家になり得たかもしれません。しかし、学校や家庭ではもとより、地域の寺院でも宗教的な常識は全く教えられておらず、日本人はカルト集団に対して無免疫状態です。曹洞宗の仏教大学である駒沢大学ですら、学生の間で新興宗教が流行っているそうですから、一般市民が既成仏教に無関心のは、仕方ないことかもしれません。伽藍の維持ばかり考えていて、優秀な若者達をカルト集団に入信させた日本のお坊さんの責任は大きいと思います。

 私が大学に入ってから安泰寺で入門するまでの道程に興味のある方は、「大人の修行」シリーズの中の「その7」「その8」「その9」をご参照ください。次回から、日本のお坊さんはいつ仏の教えを実践しなくなり、どうして仏法を説かなくなったのか、その原因を考えたいと思います。

(続く・堂頭)


坐禅との出会い



メキシコ南部の遺跡や自然風景。 俺たちは何処へ向かっているのだろうか。



いったい俺は何処に向かっているのだろうか、そんな自分への問いです。

 あの頃の私は迷いの旅を続けていた。その理由とは如何に生きるかという永遠の問いの答えを探していた。そして何処で野垂れ死にしても構わないという覚悟は二十歳の頃から在った。考古学を学んでいる友人がメキシコ湾岸のベラクルスで古代遺跡の発掘の仕事をしていてその手伝いを十日ほどした後、メキシコ北部の≪温泉≫という意味を持つアグアスカリエンテスという町に向けてバスのたびを続けていた。乗用車を製造している日系企業でお誘いがあり、その場所がアグアスカリエンテスだった。以前にも同じような仕事に携わったことがあり、その時は他には選択肢がないように感じられた。乾いた大地に砂埃を巻き上げて走るバスのなかからは右手にメキシコ最高峰の五千メートル級の山々が見え、海岸の熱帯雨林の湿度はもうそこにはなかった。一人のメキシコ人女性が私の席の隣に座り、話し掛けてくれた。彼女は坐禅をしていてしきりに禅の素晴らしさについて語ってくれた。しかし私は聞くだけで自分の国の宗教に対して何も答えることができなかった。

 結局メキシコでの仕事は求めることなく辞退し、日本に戻ることに決めた。坐禅を学びたいという欲求は心の奥底にしまっていてその出会いから一年以上が経った後、私は東北の片田舎での生活に慣れてきたところだった。友人の勧めでコンサートに連れて行ってもらったときにものすごく低い声で歌っている人がいて聞いてみると隣町の和尚さんだった。それまで先達が見つからなかった自分にとってその出会いは自分を変える瞬間だった。

 坊主が憎ければ袈裟まで憎い、という言葉を日本人のキリスト教徒から聞いたことが在ったけれども、それまでの私自身は日本仏教に対して求める対象ではなかった。私は宗教や瞑想、坐禅といったものに偏見を持ち、あまり関わりたくないと思っていた。私の世代はカルト集団の社会的影響もあって、宗教のことに対して口を開くことはあまり好ましくないように感じていた。しかし幼い頃から宗教的な何かに対しては興味、そして畏敬の念を感じていたのも事実だった。カトリックの巡礼の道を自転車で走ったり、カトリック教会がやっている孤児院でボランティアを学生の頃経験したり、真昼の教会の静けさが好きで色々な教会を見物したり、プロテスタントの教会で説教を聴いたりすることはあった。キリスト教に対しては求めたものの、感じる対象にはならなかった。しかしながら教会の前で胸に十字を切る信仰心をもつ人たちの姿を眺めるのはやはり感動的だと感じたし、仏像の前で丁寧に合掌している姿に胸を打たれたりしたこともあった。

 数々の出会いが縁で坐禅を知ることができた。最初に色々な作法を丁寧に教えてもらい、なぜこんなに合掌しなければいけないのか、右回りじゃないといけないのかという疑問はあったものの、初めて座った感想としては自分自身が透明になっていくような気がした。常に外部的条件を求めていた自分を発見することにつながり、以前から抱えていたある種の偏見を取り去るのには時間がかかったけれども坐禅というものに親しんでいきたいと思ったのは最初の坐禅の経験が基になっている。今ではその出会いに感謝している。

(合掌・荒木陽平)

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