【火中の蓮】
~2007年 12月号~

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足を組む(4)

Crossing the legs

正しい坐り方18 (大人の修行・その38)
 7月号では、坐禅を組むときに「足を太腿の上にのせる際、どれくらい深くのせるべきか」ということを問題にしました。そのときの結論は「可能であれば、足の指先が実際に太腿の外側まで来るように、工夫した方がいいと思います。そうすれば、両膝と尾てい骨は正三角形の形になり、一番安定した姿勢で坐禅が組めます。そして、身体の姿勢が安定をすれば、心も安定してきます」ということでした。勿論、右の写真のように、足の先が太腿からはみ出るまでのせる必要はないでしょう。 crossing the legs  坐禅の説明書の写真やイラスト、インターネット上の情報や実際の仏像などを見た場合、見本となるような組み方ではないことが多いようです。先日、棚を整理したときに、曹洞宗の「坐禅作法」というパンフレットが出てきました。これは在家の方々を相手にした印刷物だと思われます。その印刷に必要なお金は曹洞宗宗費から出されているのではないでしょうか。それはともかく、坐禅は曹洞宗の一番大事な行事のはずですから、そのやり方をこういったパンフレットで世間にも広く知らせることはいいことです(元々、修行僧にも教えるべきですが)。
crossing the legs  「坐禅の作法」からのイラストです。左の方は「結跏趺坐」だそうです。右も、上の方は(1)「結跏趺坐」と、下の方は(2)「半跏趺坐」と書いてありますが、どう見ても足は太腿の外側にたっしていないどころか、太腿の上にすらのっていません。これではただのアグラではないでしょうか。ところが、イラストの横のテキストはちゃんと「足の組み方は、右の足を左のももの上に深くのせ・・・」となっています。このパンフレットを作成した人は、その矛盾に気付かないでしょうか。それとも「てきとうでいいや」という気持ちで作られてしまったのでしょうか。編集は「曹洞宗教化部」となっており、発行所は「曹洞宗宗務庁」です。いずれにせよ、こんな坐り方ですと、すぐに下の足が痛くなるはずです。とても一炷(安泰寺では約1時間)の坐禅が坐れる姿勢ではありません。 crossing the legs
crossing the legs  問題は、高い金でせっかくこういったパンフレットを作るのであれば、どうして実際に坐禅が組めるモデルさんを捜さないか、ということです。

 右と左はギャグのような写真ですが、こちらも実在している曹洞宗のパンフレットの写真です。私は来年40才になりますが、生まれてこの方ネクタイを締めたことがありません。ですから、ネクタイで坐禅をするのはどういう気持ちか存じませんが、見るからにして息苦しい感じがします。澤木老師は「衣服はキチンと着けて帯はなるべく寛く結ぶがよい。襟元が押さへつけられる様だったり、腹が窮屈だったりしてはいけない」と書いていますが、和服ではなくても、トレーニングウェアーなど、足の組みやすい服で坐った方がいいでしょう。わざわざネクタイで自分の首を、ベルトで腹を絞めることはないでしょう、と私は思います。

 曹洞宗宗務庁の国際布教師がヨーロッパやアメリカへ出掛けるときは、たいがいスーツとネクタイにカバンといったサラリーマン姿で行きますが、向こうの禅センターで布教されるべき外人達は着物の上に衣を着、その上また袈裟をつけて待っています。衣がない場合は、互い作務衣です。なぜ欧米人はお坊さんの格好をし、講義している日本人の「国際布教師」が洋服なのか、お互いで不思議がられることがしばしばです。
 私自身は決して洋服が嫌いではありません。それどころか、安泰寺では作務のときなどほとんどTシャツにジーパンといった洋服姿です(あるいは鳶姿も多いですが)。それは作務衣よりも洋服や鳶が安いからです。また、山の仕事などをしますと、どうしても和服の方は枝に引っかかってしまい、怪我しやすいものです。ですから、和服にこだわっていませんが、坐禅の場合は着物と衣が非常に理に適っています。その中で足も組みやすいですし、袖に腕が乗っかかり、手も組みやすいです。襟元が絞められることもありませんし、全体的に何か大きな物に抱擁されている気分になれます。洋服ですと、なかなかそういう気持ちにはなりにくいものです。

 それにしても、この写真のモデルは上のイラストの女性よりも頑張っているように見えます。足はもう少しももの上まで着ていますが、やはり太腿の外側にはたっしていません。また、左右搖振(坐禅に入る前に、上半身を左右に動かすこと)のとき、もうすでに膝が宙に浮いています。ということは、両膝で体をささえておらず、姿勢が安定していないということです(澤木老師いわく「岩にあわびがひっついたように両膝をピッタリと座蒲団の上にひっつける。・・・両膝と尻とで十分に身の端正を保ち安定するようにする。膝頭が浮いたら坐蒲を高くしてみる。」)。宗務庁のほうでは、本当に足の組める人は一人もいないのでしょうか?
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 生身の人間が完璧な姿勢で坐るのが不可能に決まっています。誰にも何らかの体の癖があり、背骨が真っ直ぐでなかったり、体が厳密に左右対称でなかったりします。が、こういう印刷物のイラストのときくらい、テキストの説明に矛盾しないような坐り方をしてもらいたいものです。

 では、生身の人間ではなく、仏像ならどうでしょうか。菩提樹の下、釈尊が組んだ坐禅が今の我々の坐禅の見本のはずです。ところが、菩提樹の下の釈尊の像を見ますと、体のゆがみが目立ちます。六年間の長い苦行の疲れのためでしょうか、右あるいは左へ傾いています。足も決して正三角形ではありあません。膝とお尻はほとんど一直線にあります。

 足の組み方の左右の関係ですが、菩提樹の下の釈尊は左足の上に右足を組んでいます。これはほとんどの仏像も同じですが、道元禅師は普勸坐禪儀などで「右の足を以て左の腿の上に安じ、左の足を右の腿の上に安ず」と書き、つまり右足の上に左足を勧めているというより、「左が上」という足の組み方にしか言及していません。
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 坐禅の見本とならない姿勢の悪例として有名なのは、右の鎌倉大仏です。明らかに猫背で坐っており、首を垂らしています。坐禅中は
 「両方の膝頭をズンとさげて座蒲団を押さえ、背骨をグンと真っ直ぐに伸ばす。・・・尻の穴が後方に向くように尻をグッと後方に突き出し、下腹の内臓にジックリと力を込めてソッと下に落とした気持ちになる。腰の周りに気を充実させる。ジッと坐っていると腰の当たりがポカポカして来るくらいになる。  頭は天井を突き上げる意気で首筋を伸ばす。顎は耳の後ろの皮が痛くなるくらいにグッと引く。・・・首が前の方にガックリしていたり、仰向けになってはならぬ。」(澤木老師の坐禅の仕方より)
 はずですが、この仏さんはむしろ腰が抜けているように見えます。実際にこの姿勢で坐禅していれば、すぐ居眠りに落ちてしまうのでしょう。

 しかし、これに理由があります。鎌倉大仏は阿弥陀さんであり、自分の足下に集まっている一切衆生を憐れむため、顔と上半身を見ている我々の方へ向けてくれています。正身端坐の坐禅とは違います。
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crossing the legs  右と左の仏像も、坐禅を目指す者には決してお勧めできないような足の組み方をしています。芸実作品としての価値はともかく、実践の見本にはなりません。足はやはりもっと深くのせ、正三角形を狙うべきです。 crossing the legs crossing the legs
crossing the legs  安泰寺にあるこの2人の仏さんについても、同様のことが言えます。左の方は金属のゴミを溶接されて作られたものです。足は組んでおらず、姿勢に安定感はありません。右の方は観光客用のおみやげです。こちらは半跏趺坐を組んでいますが、一見安定しているように受けられます。が、右足は左足のももではなく、膝の上に来ています。実際にこの姿勢で長時間坐れば、上の右足も、下で押さえられている左足もかなりいたくなるはずです。その幸せそうな微笑みは長続きしないでしょう。 crossing the legs
(続く・堂頭)

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