【流転】
〜2002年2月〜
第八号

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続流転流転

 今までの「流転」のなかで私は「流転」、「手放し」と「損=悟り」の話を延々と繰り返してきました。面白い事に、そんな話が自分の身にも降りかかってくるとは思っても見ませんでした。
 大阪に来て、四ヶ月間ほぼ毎日インターネットカフェに通い、沢木老師の「禅に聞け」という本をドイツ語に訳してホームページに載せてきましたが、その翻訳は一月の十日にようやく完成しました。ところが、一仕事が終わって、ほっとしていたら、十一日の朝に電話がかかりました。
 「おまえのホームページ、ないよ!」
 まさか、そんなはずはないと思いましたが、インターネットカフェに駆けつけて実際に見ていたら、ホームページは本当に、無い。どうしてないか、よく分かりませんが、とにかく四ヶ月かけて訳した「禅に聞け」も、その他すべてが消えてしまいました。
 まぁ、自分の体の一部分がなくなったわけでもなければ、親しい人がなくなったわけでもありません。金さえ失っていません。なくなったのは「バーチャル」なもの、何百万BYTEのホームページだけです。それでも、私は汗を流して目を疑いました。自分でパソコンを持っていませんから、フロッピーにコピーなど一切とりませんでした。四ヶ月の仕事も、それを一月中にドイツで出版すると言う約束も、すべて水の泡になってしまいました。なるほど、流転とは、手放しと損とはこんなものか、おかげさまで実感できて、いい勉強になりました。思えば、こんなことが起こるのは、はじめから分かっているはずです。

 また、お正月に公園でプレハブの坐禅堂を建てました。十八畳のしっかりした床とあまりしっかりしていない壁と透明トタンの屋根で出来ています。いずれ撤去されるのは覚悟の上で建てましたが、いざ建つと、撤去されるのはやはり恐くなり、手に入れたものが手放したくなくなります。テントに住んでいた頃は安心できていたのに・・・今年はサッカーのワールドカップもあり、いつまでも公園で気楽な生活をさせてもらうはずがありません。バーチャルなホームページが一夜にして消えてしまったと同じように現実の「ホーム」も近いうちには消えてしまうはずです。

分かってはいるのですが、イヤです。しかし、お釈迦様の教えでさえ、永遠に語り継げられることはない、とお釈迦様ご自身はお教えになったそうです。最初に滅びるのが教えの中身であり、形だけの僧侶が形だけの法事を勤めるという、現在の仏教の有様をお釈迦様は二千五百年まえにもうすでに的確に予言されました。そしてこの形だけの仏教さえ跡形なく消えるといわれています。そんな中で、「おれの四か月の仕事がなくなった」などと、ため息をつくのは、われながら情けなさすぎます。
 滅びつつある仏教の新たな一コマを今のうちに創造したいと思います。

 

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