打ち込むことがないと言う無気力な人へ
内山興正著
どんなしがない一本の草でも、やはり上に向かって伸び成長する力をもっています。同 じようにわれわれ人間の場合にも、誰でもそのもっている生命力において働こうという力 をもって生きているのではないでしょうか。
この本来の生命力で働こうという力の発現を妨げ無気力にしてしまうのは、何かやり出 してもいつも自分の思うようにはいかず壁にぶつかり、それで「オモシロクナイ」と投げ 出してしまうからでしょう。壁にぶつかったら壁を乗り越えて進む力こそ、本来の生命力 であるわけですが、幼児や子供の頃とくに親に甘やかされたり、あるいは鍵っ子で、可愛 がられる代わりにお小遣いをタッブリ与えられたり・・・つまり何らかの意味で、本当の生 命力を発現することを学ばずして育った人に多いようです。
その点近頃では、独立すべき年齢になっても打ち込んでやる仕事をもたず、無気力で毎日ぶらぶら「何かオモシロイことはないか、何かオモシロイことはないか」と言いながら 暮らす若者が増えているようですが、もし親があなたに一生暮らすに充分な財産を残して くれるのなら、一生無気力に何もせずに暮らしてもいいでしょう。人間どう生きねばなら ないということはないのですから。
ただし社会は変動することもあり、今は一生暮らすに充分な財産と思っていても、経済 変動などでその財産が三文の値打ちもなくなる時もあり、あるいはたとえ一生を不自由な く暮らせても、世の中を一人で生きる自信がなくて生きることは、心細く淋しい限りであ るということも考えておくべきです。
とにかく自分を生きるのは自分以外にありません。この絶対事実をよくよく思い、あな たの人生を向上させるのも自分もち、堕落させるのも自分もちであることだけは、いよい よ知っておくべきです。