流転海47号

安泰寺文集・平成22年度


陽一郎 (大船渡市 58歳 擬岩デザイナー)


 八月二十九日、猛暑の遠野マラソンを走ってゴールインした後、意識を失って倒れた。
 今年の遠野マラソンは水木しげるが「遠野物語」を漫画に描いたことも有ってか熊本から青森まで各地のランナーが集まり沿道の声援も気温と同様に高まっていた。
 とにかく、ゴール手前一〇〇メートル辺りから身体中が炎に包まれたように熱くなり、何とかゴールにたどり着いた瞬間、頭に火の玉が宿ったようにさえ思えた。気が付いた時は床の上に敷いたマットに寝かされ、首に氷枕、膝下に氷袋が有り、ユニフォームや靴、靴下が脱がされていた。側に若い女性がいて、丁寧に汗を拭いてくれている。「先生」と側に立っている男性に声を掛けたので二人は医師と看護師だとわかった。それにしても意識が戻ってからの数秒間は、自分が今どこで何をしているのかわからなかった。「血圧を測ります」と看護師に促され、「先生、八十と五十です」という声を聞いて初めて、自分が危険な状態になっていて二人の適切な応急処置が無ければ終わっていたことがわかった。あとで送られてきた記録表を見ると当日、午前十一時の気温は三十五・五度となっていた。出場した十キロの部は十時二十五分スタートだったからゴールする頃は、燃えるような熱さになっていたはずだ。体温が異常に上がり最後の百メートルで高温に包まれ、あっというまに熱中症になったのだろう。医師と看護師の素早い処置のおかげで何とか体温が下がり意識が戻ることができた。
 さて、どのくらい時間が経過したのだろう。笑顔の看護師さんからスポーツドリンクを渡され、「先生が、もう大丈夫と言っていますよ」と言われて、やっと笑顔が戻った。二人に何度も何度も頭を下げてから歩き始めると未だ四、五人のランナーがマットに寝かされ応急処置を受けていた。私は「ありがとう」と心の中で呟きながらロッカールームに向かった。運動中にせよ夜間にせよ、家族でも友人でも出来れば医療スタッフのような人がすぐそばにいて素早く対応出来なければ、熱中症は非情に危険だと言うことが身をもってよくわかった一日だった。熱中症は記憶の問題も起こすのか、車で帰ろうとした際、座席に座ってしばらくの間、マニュアル車の発進がわからなくなっていた。


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