流転海47号

安泰寺文集・平成22年度


たもみ (安泰寺 今の気分はナインティーン 専業主)


 国道を右へ曲がり、車のヘッドライトを上に向けると道沿いの反射板が一斉に道しるべのように暗闇の中でぽつぽつと光る。その有り様はまるで閉じていた目が一斉に開いたような感じで、これから自分がまるで闇に向かって吸い込まれていくような気分になる。物事は突然に起こる。予想もしていなかったことも。
 秋も深まる十一月、白い猫が突然、寺にたどり着いた。これまでも猫は何度か寺で姿を見せたことはあるものの、居つくことはなかったのだが、その猫はもうだめぇーこうさーんみたいな感じで、人間にすがりひれ伏しエサをねだった。あまりに人なつっこくやせ細っていたので、みんなかわいがった。その様相と態度から女子であると勝手に判断され、りぼんと名付けられた。その一年くらいあとに猫を飼っている人が来たとき、私はりぼんを指し出し、この子って男?女?と聞くと、しりのアナの下に付いてる珠か膣かよく分からなかったブッタイが実は珠だったということで、男子だと判別された。寺の男子にそれを告げたところ心なしか残念がっているように感じた。まぁそれはともかく。今年の2月の末だったか、麓に住む私と子供は寺を目指して週末の朝に雪が残る道を上った。山の陰になっているところはいまだ大人の膝下くらいまで雪があり、車ではまだ上れそうにない。暖かい雨が3日もざざーっと降ればするりと溶けてしまいそうな、春を感じる気候である。所々真っ白な雪の下からは鮮やかな黄緑色が覗き、頬に感じる空気は冷たくても、あぁ、今年も終わったわとほっとする清々しい気分だ。とは言っても、オリンピック後の選手が「次のオリンピックでは…」と終わった瞬間に次が始まっているように、私の場合も冬の終わりは次の冬へのカウントダウンの始まりである。3人で山を登り、りぼんに会えるなーとか、フキノトウやなーとかぺちゃくちゃ喋りながらいつもは車でざっと通る道を一歩一歩踏みしめる。数年前、雪の中を子供を抱えて上ったことをふと思い出し、文句を言いながらも自分の足で上る子供の成長を感じつつ、ひたすら寺を目指す。杉林を通り、山門の階段を上れば一面の銀世界に見慣れた景色が目の前に広がる。部屋に入ると薪ストーブの温もりに身体も心も張りつめていた緊張がじゅわっと解けていく。久々に見たりぼんは相変わらずで、なんでアタイをほっておいたのさーといわんばかりににゃーにゃーにゃーにゃー言ってた。冬前からちょろっと来ていた茶色のふわふわの毛の猫も一緒に冬を越したらしく、まだまだ人間との距離はしっかり取りながらも時折姿を見せた。窓からの景色は見慣れいるはずなのに明るく広く開けて、白い雪に覆われいやに眩しく目に映る。りぼんとひとしきり遊んだあとに寺を下りる。今度はいつ来れるかなーといいつつ、チェーンソーで木を切るという相方とりぼんと出発した。途中、山門下あたりでりぼんは足を止めたので、メグがだっこして雪解け水に濡れた道を歩く。きーんとした静けさの中にちょろちょろと水の流れる音が聞こえる。名残惜しいものの、もうすぐ帰ってこれるからと自分を奮い立たせてずんずん坂を下っていく。ジャ、オレハココデキヲキルカラと雪の重みで倒れた木があるところで相方とりぼんと別れた。振りかえるとりぼんが相方の肩に乗ってこっちを見ていた。バイバイ、また今度……
 その日の夜に無事についたわよーと寺に電話を掛けたおりに、相方にりぼんはいるかと訪ねたらサーシラナイ、ダイジョーブダイジョーブとお得意の台詞を吐いた。どうやら木を切っててりぼんは山に入ったらしい。ちょ、ちょっと、帰る時にりぼーんいくでぇーとか言わんかったわけ?と聞くと、アーダイジョーブソノウチカエッテクルワハハハハと呑気に答えた。半ばいらつきながらもどうすることも出来ないのでとりあえずその場は電話を切った。次の日の午後、りぼんのことが気にかかったのでまた電話して確認したら、アーソーカー、マダカエッテナイワー。ソノウチカエッテクルンジャナイノーと無責任な事を言う。山には熊とか獣がたくさんだし、伊達男気味なりぼんはそんな中で生き残れないんじゃないかと心配しつつ、三日経っても帰らないと言うので、子供を幼稚園に見送ってから一人で寺に上ることにした。雪が残る中、一人でこの道を上るのは結婚前以来だわーと思いながら、獣が出てきたらいやなので、とりあえず一人で喋ることにした。あー寒いーとか、お腹空いたわーとかヤバイ雨降りそうとか、この有り様を他人が見たら完全にリアル劇団ひとり状態でヤバイ人だろうなーと思いながら上る。一人なので案外さくさく上れてあっという間に中間点に着いた。りぼんがはぐれたとされる1キロほど手前のことである。もう一人言のネタもつきたし、衝動的にりぼーんと叫ぶ。コンサートできゃー!アンソニー!という勢いで今度は一人ライブハウス状態である。事前に飼い猫はなわばりの外に出て道に迷ったら、はぐれた時点でじーっとしていることがあると調べてあったので、山の中まで入るわけにもいかない私はとりあえずでかい声でりぼーん!と叫びまくった。少し歩いてはりぼーん!と立ち止まり、また歩いてはりぼーん。昔はいらっしゃいませぇーと叫んでたなぁと思い出しつつ、りぼーん。たまには寂しくなって、アンソニー!お腹空いたと思いつつりぼーん…無反応でかえってワターシココデヒートリデースということがいやに強調されて心が折れそうになる。いつしか相方が木を切った、りぼんとはぐれたポイントに辿り着き、立ち止まってりぼーん…と叫ぶ。もう死んじゃってるかも、獣に食べられたかもと、昔妊娠中に寺に寄りつきつつあったクロネコが飼ってた犬に食べられたことを思い出し、りぼーん…そしたらにゃーと出てきた。あまりに下調べしたとおりだったので思わず笑ってしまったが、にゃーと駆け寄る姿を見て、ほっとして涙が出た。ぎゅーっとだっこして、もーあんたー心配してんでとその場にへたり込み、前の年の事を思い出しながら、もう、うちの男どもは人を心配させやがるとりぼんを抱っこして寺に向かった。空はどんよりと曇り、雨が降りそうであったが、家に帰ったら相方にひれ伏してもらおうじゃねぇかと意気揚々、息は切れ切れ、心は晴れ晴れな春先のある一日であった。えっ、前の年の事って?それはまた来年!へぇそうなんだー。


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