流転海49号

安泰寺文集・平成24年度



琢磨


    Antaiji

 安泰寺に来て一番驚いたのは、接心中の朝ごはんのときに隣の白人さんがいきなり自家製納豆の器に手を伸ばして溶いてご飯にかけ、がつがつと食べ始めた光景だった。

 中学のときにオリエンテーリングと称してオーストラリアなどから来られる美人教師を給食に招き、外国人がみんなと同じものを食べるのをみんなで囲んで見ていたが、そのうちの誰かが、「船見、納豆好きか聞いてみて」というので英語で「あなたはNATTOが好きですか?」と聞いたら「オフコース!」とのことだったので、みんな「じゃあ俺の納豆も食べてください」と美人教師に複数の納豆パックが寄せられて彼女が当惑するという一幕が脳裏をよぎった。

 と同時につまり、「この状況だと食べないと死ぬけど、食べないということがないように豊富な品揃えを一種の美食感覚で玄米といただき、お残しが発生しないくらいの勢いで平らげるんだな」という感じの直感が沸いた。これを一言で言って「ただ食べる」などと言うのだろうか。

 そもそも接心にいきなり飛び込んだので、「坐禅中に寝るな」、「静かに歩け」、「早く食べろ」、「自己責任」といった規則を無言で叩き込まれた。そう、坐禅リーダーのでかい人がスンとも言わず、態度ひとつで圧力をかけてくるのだ。坐禅堂とでかい人はみるみる恐怖の代名詞になり、じゃあなぜそこで逃げなかったかというと1.ここがどこだかわからない、2.東京のアパートを引き払い、実家の父から「ちゃんとするまで帰ってくるな」と言われているので、帰るところがない、という絶望的状況だった。

 一週間で背骨がCの字になるほど頑張った後は、なんとなく受験戦争が終わった後のようになし崩し的に楽になり、サトイモの水煮から始まってにんじん、キャベツ、野草、麺類、果てはてんぷらと、己の食欲の命ずるままに調理して供出してただ食べる、という食道楽が続いた。納豆には二度とお目にかかれなかったが、なんとなく目指すところは接心中の珍味佳肴の数々だった。いずれ典座などと呼ばれるようになり、時間厳守、引継ぎの掃除を徹底して、などの規則にまったくついていけず、また「てんぷらは難しいからピーナッツ入りのかき揚げにしよう」と言った珍案が採択されるに及んで、心のどこかで「やる気」が薄れ、ミスター典座長と喧嘩して逃げ出したのだった。

 それでも、外国人が多かったおかげで少し考えれば言いたいことは言えるようになったし、そもそも人が少なかったので人生について熟考できた。あのころのおかげで「俺はネットなんかなくても平気ですが」と胸を張って言える。坐禅も続けている。ただ、ストレスから逃げる癖は克服できず、酒量も多目ということで、今日この後板橋のアルコール病棟に移住することになっている。

 安泰寺と同様何の前知識も偏見もないが、頑張って来ようと思う。


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