安泰寺

A N T A I J I

あなたという岩の上に、わたしの教会を建てよう
キリスト教、仏教、そして私・その4




  「親愛なるシスターズ・アンド・ブラザーズ、こんばんは。ご存知の通り、今回のコンクラーヴェの責務は、新たなローマ司教を見つけることでした。そして、私の枢機卿の兄弟たちはそれを地球のはてまで探しに行かざるを得なかったようです。」

  この方が新しい法王に選出されるのは、誰も創造していなかったようです。八年前には、ベネディクトの唯一のライバルとして噂されていましたが、今回のコンクラーヴェでブラジル人、カナダ人、イタリア人、アフリカ人、いろいろな枢機卿の名前が飛び交っていましたが、アルゼンチン出身のホルヘ・マリオ・ベルゴリオはどちらかといえば、アウトサイダーでした。七十八歳という年齢で、やや高齢のため、カトリック教会が必要としている改革をやり遂げる力を持っているかどうか、心配ではありますが、期待したいところです。

  新しい法王の名前は「フランチェスコ」です。アメリカ大陸の法王は歴史上はじめてです。ヨーロッパ出身ではない法王が選出されたのは、実は一二〇〇年ぶりです。八世紀に法王に選ばれたグレゴリウス三世は、シリア出身でしたから、ヨーロッパ中心の考えの中では「オリエント」つまりアジアの人でした。また、今回のコンクラーヴェの前にはアフリカ出身の法王の誕生も噂されましたが、実は過去に三人も、アフリカ出身の法王がいたのです。彼らは「バチカンが隠しているブラック・ポープたち」とも言われていますが、アフリカ出身はすなわちブラックを意味していません。

  権力から距離を置いているイエズス会の法王も、今回は初めてです。法王の名前の由来も、イエズス会の「フランシスコ・ザビエル」とは無関係ではないはずですが、それよりも「裸のキリストに裸で従う」をモットーに、中世のカトリック教会の改革家「アッシジのフランチェスコ」の影響が強いでしょう。

  日本のメディアやウィキペディアでは、新法王の名前が「フランチェスコ1世」となっていますが、これは間違いです。「ジュニア」が誕生しないうちには、「シニア」といわないと同様、「フランチェスコ2世」の代まで、今の法王の名前はただ「フランチェスコ」です。「1世」はつきません。

  聖人のフランチェスコ同様、新しい法王は贅沢を嫌い、ブエノスアイレス大司教時代でも他の大司教のようにリムジンを使わず、バスで仕事に通い、アパート暮らしをし、自炊をしていたそうです。とにかく、謙虚な方らしいです。選出された後に、サン・ピエトロ大聖堂の前に集まった多くの人々に挨拶する際にも、手を高く挙げたりしないで、なんとおじぎをしたそうです。そして「法王」や「教皇」と名乗らず「ローマ司教」として挨拶したわけです。

  そうなのです。正しくは「ローマ司教」なのです。その司教が不可謬【ふかびゅう】なる教皇として認められているのも、最近のカトリック教会のみで、それ以外のキリスト教では特に権威を持っていません。これからは、もう少し詳しくキリスト教の教会の成り立ちとドグマの発展を、公会議の歴史を中心に追って行きたいと思います。

  「イエスが聖書の中で説かれた教えを信じる宗教」をキリスト教だと思っている人もいるかもしれませんが、特に発祥して間もないころのキリスト教の教義はまだほとんど定まっていませんでした。善悪の問題、人間の自由、イエスの立場、肝心な神さまについてでさえ、いろいろな見解があり、なかなかまとまらなかったようです。そこで頻繁に行われるようになったのが、「教会会議」です。「使徒」と呼ばれているキリスト教の宣教師の先駆者がエルサレムで最初に会議したのは紀元五〇年より早い時点だとされています。その頃には、新約聖書の一番大事とされている「福音書」すら、まだ書かれていません(諸説ありますが、一番成立が早いとされているマルコによる福音でも紀元七〇年前後、マタイとルカが八〇〜九〇年、イオハネは一〇〇年ごろに福音書を著したとされています)。

  この最初の会議の狙いは、ユダヤ教クリスチャンと異邦人のクリスチャンの溝を埋めることでした。「ユダヤ教クリスチャン」は変な言葉に聞こえるかもしれませんが、その当時はクリスチャンたちがまだユダヤ教の一派と思われていたため、むしろ「ユダヤ教徒ではクリスチャン」の立場が弱かったようです。なにしろ、イエス自身が生涯、ユダヤ教徒でした。ですから、当時のキリスト教徒には決して「私たちはユダヤ教と違う」という意識がなかったようです。むしろ、「私たちが信仰しているイエスこそ、ユダヤ教のメシア(救世主)だ」と主張していたから、他のユダヤ教徒からやや過激的な「ユダヤ教の新興宗教」くらいに思われていたのでしょう。この新興宗教の布教も、最初はもっぱらユダヤ教徒を相手に行われていたはずです。なにしろ「ユダヤ教のメシア」の教えですから。
  ところが、本場のイスラエルのほかの地でも、パウロという人をはじめイエスを救世主と信じその教えを広める使徒が現れてきます。彼らはとうぜんユダヤ教徒ではなく、イスラエルから見れば「異邦人」を相手に宣教していたわけです。そこで一番問題になってきたことが「クリスチャンの条件」でした。
  クリスチャンになるために、クリスチャンとして認められるために、どの条件を充たせばよいのか?
  ユダヤ教には昔から、「割礼」といって若い男の子の陰茎包皮を切除するという習慣がありました。今ではユダヤ教やイスラム教圏を越えて、衛生の理由からアフリカやアメリカにも広く行われているようですが、当時の「異邦人」の中にはその習慣がありませんでした。そこでとうぜん、「異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきだ」と主張する保守的なユダヤ教徒が現れました。その時のことは聖書の「使徒行伝」にリアルに書いてあります。そこで発言するのはかつてのイエスの一番弟子、ペトロです。彼の本来の名前はシモンでしたが、イエスには「岩」を意味する「ケファ」というニックネームで呼ばれていたそうです。ペトロというのはそのギリシャ語の名称なのです。

  あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。(マタイ16:18)

  ペトロは生前のイエスの右手といっても過言ではありません。しかし、「岩」を意味するペトロに対して、イエスのこの発言は後ほど大きな問題を生み出すことになり、教会の大分裂を引き起こします。詳しくは後述します。

(ネルケ無方、2013年03月14日)

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