安泰寺

A N T A I J I

一体どうして、三位一体?
キリスト教、仏教、そして私・その5



「あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう (マタイ16:18)」



  ペトロはローマで最初の司教として活躍していましたから、バチカンの歴史観では最初の教皇と見なされています。しかし、初期の教会にはまだそんなトップダウン制度もなく、ローマが世界の中心という考えもなかったのです。だからこそ、初会議はローマではなく、エルサレムで開かれるわけです。それはともかく、ペトロのエルサレム会議での発言は次のものでした。
  激しい争論があった後、ペテロが立って言った、「兄弟たちよ、ご承知のとおり、異邦人がわたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようにと、神は初めのころに、諸君の中からわたしをお選びになったのである。そして、人の心をご存じである神は、聖霊をわれわれに賜わったと同様に彼らにも賜わって、彼らに対してあかしをなし、また、その信仰によって彼らの心をきよめ、われわれと彼らとの間に、なんの分けへだてもなさらなかった。しかるに、諸君はなぜ、今われわれの先祖もわれわれ自身も、負いきれなかったくびきをあの弟子たちの首にかけて、神を試みるのか。確かに、主イエスのめぐみによって、われわれは救われるのだと信じるが、彼らとても同様である」。(使徒行伝、15:7〜11)
  つまり、「ユダヤ人であれ異邦人であれ、神を信じるものは神の恵みよってのみ救われる−それ以外の条件は何もない」とペトロが主張していたのです。この主張からキリスト教の普遍的な、爆発的な広がりが始まりました。ところが、教会会議がいつも意見の一致で終わったわけではありません。それが教会の分裂を招いたという例もあります。キリスト教の歴史の最初の一〇〇〇年のうち、「全地公会議」と呼ばれる会議は七回行われました。主催者はいずれも当時の東ローマ帝国の皇帝ですが、招集されたのは「全地」すなわち西ローマ帝国、北アフリカから近東までのすべての教主でした。コンスタンティヌス一世がキリスト教教会の一八〇〇人もの主教に呼びかけて持たされた第一ニカイア公会議は最初の全地公会議でした。その時には三〇〇人の主教が三二五年に現在のトルコのイスタンブールの近くにあるニカイアという町で集まりました。公会議によってその開催地は変わりますが、いずれも東ローマ帝国、現在のトルコに地に開かれました。最初に議論の対象となったのは、三位一体の教えでした。

  三位一体の教えを、ここで私なりに整理してみたいと思います。キリスト教はユダヤ教、そして後のイスラム教と同様、一神教です。神はひとつです。ユダヤ教とイスラム教には三位一体の教えがありませんが、キリスト教の場合は
  創造主である父(それは哲学の存在論でいえば、存在者を存在者たらしめている【存在】そのもの)
  救世主である息子・キリスト(歴史上の人物、ナザレのイエスすなわち一個の存在者)
  この世における神の働きである聖霊(【存在】が存在者を存在者たらしめている、その具現の働き)

  上の三位は三つとも「神」です。神としてはひとつですが、「位」としては違います。どう考えても、整理整頓しにくいドグマです。特にギリシャ哲学の影響の強かった東方の教会のクリスチャンのうちから、どうしてもこのドグマは支持できないという人たちは続出しました。

  「東方」といっても、当時は教会はまだ一つでしたし、ローマ帝国が三九五年に東西に分かれるまで、もちろん一つでした。一つの帝国の中に一つしかない教会ですが、そこには古くからあったギリシャ文明と新しく繁栄したローマ文明が争っていたと創造します。ギリシャ文明はどちらかといえば哲学的、民主的、自由な部分があります。ローマ文明はそれに比して、実証主義、権威主義、トップダウンの趣があります。この二つの世界観の違いは後ほどの公会議のぶっつかりあいにも現れてきます。

  そもそもどうして、キリスト教だけが「三位一体」の教えを採用したのでしょうか。理由はこうではないかと思います。
  キリスト教だけに救世主がいます。そこがユダヤ教やイスラム教徒の大きな違いです。キリスト教の魅力もそこにある、弱点もそこにあると感じています。人間の救世主がどうして魅力的といえば、形も名前もない「唯一神」だけでは、人々の生活の中にまで影響を及ぼすことが難しいからです。人々はやはり、名前のある、形のある神を求めます。そこで、人間の罪を全て背負い、誰よりも人間の苦しみを味わったイエスという神の教えが強烈なパワーを発揮していたと創造します。
  しかし、人間イエスを神に位置づけることによって、神としてのイエスと人間としてのイエスの関係が不明確になってしまいます。存在者はどうして、存在そのものなのか、という哲学的な矛盾が生じてしまうのです。また、人類とイエスの関係、人類と神の関係も不明確になってしまっています。イエスが神なら、イエスを人類の仲間と見なしてよいものでしょうか。また、イエスを産んだマリアの立場はどうなるのか。イエスが「神の子」であったように、私たち人間も神の子どもたちなのか、どうか。

  そもそも、聖書のどこにも「三位一体」の話は出てきませんから「父なる神」、「息子であるイエス」それから無味無臭の「聖霊」が三位一体というたくみに編み出されたドグマの中でおさまるまで、だいぶ時間はかかったはずです。というより、このドグマ自体に最初から無理のあることを感じたクリスチャンも多かったでしょう。何しろ、神さまが唯一なのに、どうして「三位一体」……、とうぜんそういう疑問も生じてきたはずです。それを盛んに言い出したのがアリウス派といわれる人たちでした。
  「神は唯一の創造主である。ならば、イエスといえども子は父の被創造物であり、『一体』とはいえない。さらに、神はロゴス(=聖霊)を用いて世界を創造したが、そのロゴスも厳密に神とは切り離すべきである」
  これに対してイエスの神性を主張する反アリウス派は有利な立場に立っていましたが、公会議が終わった後でもアリウス派を支持する主教はかなりいたようです。そのため六〇年後にもう一度、コンスタンティノポリス(当時の東ローマ帝国の首都、現在のイスタンブールの古代名)で第一コンスタンティノポリス公会議が召集されました。こんどこそアリウス派は致命的な敗北を喫してしまい、「三位一体」の教えは以降のキリスト教の正当な教えとして位置づけされました。これでようやく喧嘩が納まったように見えたのは、つかの間でした。

(ネルケ無方、2013年03月20日)

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