流転海08

安泰寺文集・平成20年度


進 (山口県・59才・会社員)


 今年の夏、7月に富士山を登って来た。

  これは私の長年の夢の一つであった。

  現実は旅行会社の富士山ツアーでの旅行で、しかも山岳ガイドの引率で登った。

  富士山は3,776mの日本一の高さを誇っているわけだが、遠くから眺めると 優美な山が実際に登ると岩だらけの山であり、高度が上がるに連れ潅木もなく、 草もなく、ただ瓦礫の集積のような物になっている。バスの終点である5合目で は元気一杯の私も徐々に疲れ、足取りがだんだんと怪しくなった。途中山腹にあ る山小屋に一泊し、翌日山頂を目指したが、とうとう9合目を過ぎると急に呼吸 困難となり、足が一歩もでなくなった。そこで山岳ガイドに私のリュックを担い でもらい、やっとのことで山頂の鳥居を潜ることができた。まずは成功!

  今回の山登りツアーは28名で10歳の子供から70歳を超えるような老人まで の雑多な集団であったが、富士山を登りたいという共通の意思は同じであったろ う。そして登り終えると、またそれぞれの感慨もいろいろあったのであろう。

  現実は急斜面をひたすら登るだけであり、下界は雲海の下にあり、あるのは青い 空と白い雲ばかりであった。しかも5合目から上には水は全くなく、水の補給は すべてペットボトルを購入するだけである。山小屋は寝返りも出来ぬほどのス ペースだけであり、食事はすべてレトルトであった。しかも山頂近くになると空 気が薄くなり、酸素不足となった。このようにないないずくしの山登りであったが、 でも、やはり日本一高い山であることも事実である。

  帰りの飛行機(羽田から福岡へ)の中で、ふっと思い出したのは安泰寺での5日 間連続座禅の大摂心であった。それこそ、テレビも新聞もなく完全に俗世間と遮 断され、アルコールも菓子もなく、同室者との会話もなく、最後は考えることも 無くなってしまった経験であった。そこにはただただ、ひたすら座禅のみであった。

  富士山も摂心も私にとっては死ぬほど辛い経験であったが、終えるとこれ、また 他のものでは得ることのできないほどの爽快感でもあった。人間は口では大変立 派なことも簡単に言えるものであるが、現実の実行となると大変難しいものである。

  最近、また安泰寺の摂心が恋しくなった。是非、来年は再度、安泰寺の摂心に チャレンジしたいものである。

  2008年10月29日


Switch to English Switch to French Switch to German Switch to Spanish