流転海46号

安泰寺文集・平成21年度


大仙 (安泰寺・二十九歳・眠りの山の坊主)


 安泰寺に来てからもうすぐ二年が経つ。どこにも書いていないことを…ということなので、どこにも誰にも言っていないことを書いてみようと思う。

 今年の五月接心だったか、興方さんというロシア人の兄弟子が接心中にお寺を出て行ったという事件があり、その接心後のティーミーティングで堂頭さんがぼくに

 「大仙さんは、なぜここにいるの?興方さんは思い切って出て行ったのに、なんで君はまだここにいるのか?」

と言われた。ショック!

 その後、ぼくは考えはじめた…。

 なぜ安泰寺にぼくはいるのか…修行のため…でも、坐禅中に眠ってばかりいる…なぜここにぼくはここにいるのか…ここを出て行った方がいいという見方もあるかもしれない…云々。などという考えが発動してしまった。それがきっかけとなって、今年の夏になっても悩んでいた。

 ここにいる意味とは…?ここを出ていくとしたら、何をするか…?などを考えていた。そんな時、ぼくは昔「宮大工」というお寺を建てる大工さんに憧れた時期があり、その思いが急に今頃になって沸き起こってきた。「そうだ、宮大工がいい」などと考えた。しかし、その次に思い浮かぶのは、「もし坊主を辞めて宮大工になったとしても、ぼくはまた途中で投げだすんじゃないだろうか」という不安。

 ぼくは中学生時代から、夢を持っては、諦めて、また次の夢を見つけては、自分には向いてない、と何かしらの理由を見つけては諦めてきた、夢を見つけるのは得意だが、諦めの早い気の弱い男なのだ。

 それで「今度はこの仕事をしたい」というと、周りの人たちから、さんざん「どうせ続かないんじゃない?」みたいなことを言われ続けてきた。それが悔しくてしょうがなかった。なぜなら、本当のことだから。そんな自分が嫌でしょうがない。どうしょうもない奴だと思う。しかし、ぼくは何をやっても続かないことは明らかな事実。それは自分でも分かっている。だから、ここで坊主を辞めて宮大工になったとしても、そういう意志の弱い自分だけは死ぬまで辞めることはできない。だから、悩んだ。

 お寺での生活といえば、毎年そんなに変わらない日常生活。そんな中で、法隆寺のように、長い時間形に残るものを作りたい、という思いを心のどこかで持っているのだと思う。それで、その思いがある日沸き起こり、その思いに捕らわれてしまったのだった。その期間は生気を失っていた。何をするにもやる気が起きなかった。堂頭さんに「目が死んでいる」といわれ、他の雲水には「最近、様子がおかしい」と言われた。

 夏休み中で、時間に余裕もあり、悩みの種を育てるには充分だった。他のメンバーは夏休みをとっていた。ぼくはその時、早く休みをとって、家に帰りたかった。地元の友達と再会したい。漠然と街が恋しかった。今思い返せばただのわがままだけど、その時はそんなことばかり考えていて、自分を見失っていたんだと思う。それで、ぼくはなぜ出家したのか、坊主でいる理由が何なのかさえ、わからなくなっていた。それから、ぼくが輪講で発表する時間に、

 「なぜ道元禅師は、出家をしなさい、というのかがわかりません」

と言った。そうしたら、堂頭さんが、

 「お釈迦さまでさえ、出家をしたんだよね。それくらい欲を離れた生活をすることは難しいということだと思うよ」

 と言われた。そうだった。そのお話を聞き、ぼくは完全に今まで自分の考えで、自らをボケさせていた、と気づいた。それと堂頭さんの提唱の時だったと思うけど、誰かの質問に答えてらっしゃる時に、ぼくに向かって、「だから安心して悩んだらいい」と言っていただいて、うれしかったことを覚えている。それから以後のことはあんまり覚えていない…。安心して悩んでいたら、忘れたのか、五日間接心中にすっかり忘れたんだと思う。結局、「悩みといってもこの頭の中だけの話でしかない」とはよく言われるのですが、ほんとにその通りで、今振り返れば、祭りの後のように、「あの騒ぎはいったい何だったんだろう」という感じです。

 今思い返せば、二年目に入り、気持ち的にも時間的にもある程度余裕ができたからこそあんなに悩めたんだと思う。そういう気持ちと時間の余裕をこれからどう自分の修行に生かせるか、が今の課題かもしれない。


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