流転海46号

安泰寺文集・平成21年度


たもみ (兵庫県・永遠の十七歳・専業主婦)


 雨は夜更け過ぎに雪に変わる。あぁなんて静かな夜。聖なる夜。愛に溢れるこの世界。冷たく張りつめた空気に吐く息が曇り、潤んだ目で街を見渡せば色鮮やかなネオンが霞んで映る。寒さに凍えて小さく震える私の方を愛する彼がぐっと抱く。見つめ合う目と目は凍える空気をも遮り暖かな気持ちにさせる。なんてロマンティック。  

 …なわけない。雪国では天気予報で雪が降ると聞けば、あー寒いし鬱陶しい。雪掻きなんてしたくないと、ロマンスには縁遠い現実が待っている。某が歌にしたような描写は恐らく都会限定であろうと思われる。第一この辺にネオンは勿論、街灯すらない。

 雪が降る前、寒さはピークに達する。雪起こしで山に、ばしばし雷が落ちる。地面がずしずしと揺れる。ごぉーっとうなるような音と共に風が吹き荒れ木の葉が宙に舞う。例には漏れず毎年うちの電柱に雷が落ちてブレーカーが上がる。ひどい時など夜の九時前まで停電したこともある。そういう時はとりあえず布団に入って寝るしかできることもない。雨がやがてミゾレになり、アラレになり雪になる。ふわふわと綿菓子のように可憐に舞う雪ではない。空を見上げれば掃除機にひっついた埃の固まりのようなモノが地面を目指して落下してくる。屋根に積もった空からのゴミはやがて固まりとなり、昼夜構わず、ごごごごごずさーっと屋根から落ちる。夜は落ちる音を聞く度に一体どのくらい降り積もったのか心配になり、朝、悪い夢から覚めてもなかなか障子を開けて外を見ることすらできない。

   そもそも私と雪との出合いが悪かった。雪には無縁の生活だったところから、この山深き雪国に来て早七年が経つ。来た最初の年は、初雪が十一月初めと早かった。まだ都会のノリが消えない若きうららかな乙女は、まぁ雪だわすごいわと小躍りしたくなるような浮き立った気持ちになった。頭の中では思わずサイレンナーイオォーオォーオーホリィーナーイと例のあの歌がグルグルと回った。大好きな彼との冬だわーと祭りだワッショイ状態であった。さすがに寒さが身に染みて鼻が真っ赤になり、薪ストーブをつけるのにも苦心したが、心の熱が寒さをだらりと溶かしていた。その二週間後も降ったらしいが、出かけていたため帰ってきたらもうすでに本堂の裏以外は溶けていた。そして。ロウハツ接心後。忘れもしない十二月八日。足元からきーんと来る寒さに、これはなんか違うなと体が反応した。参禅者は朝食後に急いで山を降り、三人だけここに残った。ま、寒いけどストーブがあるから大丈夫、さて、お昼寝でもしようかなと思ったら、ごごごごぉーっと地面が揺れた。暗い。朝なのに空が濃いグレーである。飛行機でも落ちたのかしら?と思ってると、またごごごごごごぉぉーと地面が揺れる。障子の縁もぶるぶる震える。建物が揺れる。びゅーっと風が吹き出した。ざーざー雨が降り出し、次第に乾いた音に変わると同時に雨は氷の粒になり地面が見る見る白くなっていった。こりゃ積もるわ、と思いながらも眠気には勝てずにまだ温もりの残る布団に寝ころんだ。外では風がびゅーびゅー吹き荒れ、雷が激しくなっていた。知らぬ間に雪に変わり、外では風、雪、雷でパーティー状態だったが瞼を閉じると深い眠りに落ちた。起きるともう三時だった。寒いのでとりあえず目だけ動かして外の様子を探る。さっきとはうってかわって静かだ。少し明るくなった気もするし、きっと一面うっすら白く雪化粧してるのねと体にむち打ち障子を開けると、目の前にざざざさーっと雪が落ちてきた。結露で曇ったガラスを慌てて手でぬぐう。絶句。…。…。…?。一瞬ここどこだっけと一人でとぼけてみる。えぇっと。えっ?あれ?池の石は?紫陽花?ない。ない。ない…?庫裡の周りにある物体は激しく降る雪に埋もれたのだった。ほんの数時間、映画二本分。私の周りの世界はがらりと姿を変えた。何かよく分からないが、とりあえず障子を閉めて見なかったことにしーよう、と台所に食べ物を探しに行った。

 それから二日。空中から舞い降りる白いゴミは一向に止む気配がない。一瞬晴れ間が覗いたと思うと、どこか遠くでどぉーんと雷が落ち、地面が唸る。みるみる空が濁って雪が降り出す。屋根からは常に雪がごごごごーずさぁーっと落ち、軒下は雪で埋もれている。とりあえずどうしたらいいのか分からなかったので見なかったことにして、普通にふるまおうと努力してみる。が、気になるのでしょっちゅう障子を開けては呆然と降り積もる雪を見守る。こ、これ、一体どうしたらいいんだろう。きえーっと雨乞いならぬ、雪止めダンスをしたくなる。止むんだったら雪の中、裸でお乳をぶるぶるふるわせてでも踊ります!という勢いである。自分の力ではどうしようもない、自然の大いなる力にただただ唖然とするばかりであった。結局三日まるまる振り、翌日は見違えるほどの天気になった。青く澄んだ空に雪が反射して眩い光を放つ。お陰様で家の周りは雪で埋もれた。地面は一.五メートル上昇した。一面真っ白である。窓を開けるときーんとした空気が漂い、強い日差しに目を細める。

 相方が言い放った。「アーキョウハイーテンキダカラクトヤマニオリマショウカ。」…一瞬呪文に聞こえた。オリマショウカといいながらも意味としてはオリナケレバナラナイということである。オリロ。ヨウイシロ。サッサトイクゾ。ということで、あらゆるオンナの武器を使い、かわいく拒否してみたものの、笑顔であっさり却下され、雪の世界を知らない私は、そこらへんで拾ったズボンにフリースを羽織りリュックを背負い、カンジキなるものを履いて外に出た。とりあえず玄関でつまづく。体重で足が雪にめり込む。歩く時は軍隊のように膝を腿まで思い切り上げて歩こうとするがバランスが崩れてこける。不幸にも私はその時、妊娠三ヶ月だった。あわわわおしっこもれそうと思いながらも、とりあえず前を行く男子二人に付いていく。道なき道を軍隊式で歩く。ショーグンサマバンザーイと叫びたい衝動に駆られる。崖を近道だといわれて下りる。こ、こわい。当時飼っていた犬二匹は私とは対照的に軽々と雪道を歩いている。いつもの道は雪に埋もれて所々は雪解け水が流れているものの地面すら見えない状態である。長靴に雪が入り冷たさで足が痺れる。我慢しきれず持参したスーパーのレジ袋を足にかぶせたものの、長靴の中がびしょぬれで手遅れ状態であった。ふと、ここで止まって待っとこうかな、良い天気だしね、という名案が浮かんだので、その場でしゃがんで先行く二人の様子を見守った。私はここで待ってるから、気をつけてねーと暖かな眼差しで二人を見つめたせいなのか、さくっと後ろ振り向かれ、同時に二人が立ち止まった。彼らは紅潮した顔で何も言わずじーっと私を見る。ハヤクシロヨ。声なき声が胸に刺さり仕方なく立って再び歩き始めた。どのみち一人で帰ることもできない。崖をどうやって上がればいいというのか。やっぱり断固拒否するべきだったと後悔し、泣きながらもなんとか休み休み歩き続けた。途中からの道はなぜか雪掻きされて軽トラも走っていた。涙目で見知らぬおじさんに乗せてくださいと頼み、荷物を預ける家まで乗せてもらった。荷物を受け取ると、りんご三箱、ミカン二箱、その他諸々郵便物を手にして帰路に向かおうとすると、家のご主人がお昼食べて行きなさいとありがたい言葉を仰られた。上がらせてもらうと、コタツに入れてもらい硬直した足がみるみるじわぁっと暖まった。テレビを見ながら昼をよばれた。キレイに映るテレビを見るのは久々だった。ご主人には昔のこの近辺の話や暮らしぶりなどを話してもらった。連続テレビ小説が終わりに近づいていく十二時五十二分、私の心の中は一体いつ帰ろうと切り出すんだろう、私はもうここの家の子供になります、と思いながらそわそわしだした。案の定、一時のニュースがはじまると「ソレデハワタシタチハココデシツレイシマス。」と再び呪文が聞こえた。捨て犬の目を演じ、相方の顔をちらりと見る。気付いてないのかその振りをしているのか。のろのろしていると相方が「トモミハココノイエノコニナッタラ、ワハハハハ」と私には冗談に聞こえない発言をしたが、仕方なくその家を後にして箱いっぱいの頂き物を担いで帰り道に向かった。しまった、財布を持ってきたらこのままバスで帰れたのに、と思いながらも当時はまだ健気だったので、素直にまっすぐ帰ることにした。下りてきた時は人もぽつぽついたが、青空の下、人影は全くなく、泥で汚れた雪の上を先にぼつぼつ歩こうとした。「オーイ、ドコイクンダー」と呼ばれ、何か良いことあるのかなとスキップしながら戻ると「ウシロムイテ」と言われたので、プレゼントでもくれるのかなと呑気に構えていると後にずしっと体重がかかった。香しい果物の香りがする。相方は容赦なく私のリュックにリンゴとミカンをみっちり詰めた。立ってるだけでもヨロついた。男子二人は背負子に箱ごと背負った。もう一人の日本男児は華奢だったので、彼も酔っぱらいのように千鳥足でふらふらよろけていた。こうしてドイツの山男とよろよろ酔っぱらい日本人二人は、重い足取りで帰路についた。途中、どんな感じだったかは想像に容易いと思う。途中やっぱりおしっこもれるーと思い、清々しい青空の下、雪の上で尻を丸出しにして、こっそり用を足した気がしなくもない。上までやっとのこと登ると部屋は冷え切っており、もうすでに日が山に傾きはじめていた。靴下を脱ぎ、服を着替え慌ててストーブをつけたが、心の氷はなかなか溶けなかった。

 その一週間後、日本人が寺を後にし、私たちと犬二匹、鶏だけが残された。溶けては凍り、圧力で押しつぶされた硬い雪はあまり溶けていなかった。ロウハツ前に提出して、慣れない国際結婚を目の当たりにたじろいだ町役場の職員に保留にされた婚姻届も正式に受領されていないし、なにしろとんでもないところに来てしまったなぁという思いが、硬い雪のように私の心を圧縮させていた。毎日起きて、お腹が空けば何か作って食べて、寝て、と贅沢きわまりない生活ではあるが、都会育ちの私は、それでは飽きたらずに何か心を満たすオモチャを探し続ける毎日であった。妊婦検診のあった十二月二十日に、二トントラックで山を下りてみようということになった。それでもまだ三十センチは雪が残っており、途中、木がばきばき折れて道を遮っていたりして、それでも相方は得意の「ダイジョーブ、ダイジョーブ」をアホの一つ覚えのように繰り返し、結局トラックのフロントガラスにひびを入れた程度で病院まで行き着くことができた。役場に寄って婚姻届を出し、検診を受け、帰りは食べ放題レストランで吐きそうなるまで食物を詰め込み、晴れて夫婦となった二人はひっきりなしにゲップをしながら寺に戻った。

 クリスマスの日、とうとう飽き足りた私は相方に大阪に行く提案を恐る恐るしてみた。あっさり「イイヨ」と言われ、だらだらと準備してバイクに跨った。返品するミキサーと父への土産、一升瓶の日本酒三本を背負い、防寒のために私は薪小屋で拾った合羽、相方はミッキーさんの付いたポンチョを羽織り大阪へ向かった。途中、返品のために寄ったスーパーで痛いほど視線を浴びたのは言うまでもないが、一応クリスマスだからとカーネルおじさんのチキンを頬張り、うきうきしながら大阪に向かった。高速に乗る、という選択肢の無い相方はくねくねの国道を雨の中ぐんぐん進んだ。和田山を越したあたりで雨が雪に変わりだした。篠山あたりでは本格的な吹雪になり、寒さと駆け抜ける風とで息も出来ないくらいだった。カーブを曲るたびに日本酒がぐぐーっと偏り、都合よく割れた私のデカ尻が半分バイクの荷台から落ちる。相方の背中に必死にしがみつきながら耐えた。だって大阪。そして尻を落としながら何とか実家に辿り着き、玄関でずぶぬれのポンチョ姿の私たちを迎えた母は完全に引いていた。引きつる顔であの保守的な母が私たちに「お、おふろ、沸いてるし一緒に入りなさい」と言ったのはかなり衝撃的だった。今でも母は「まさかバイクで帰ってくるか?妊婦がバイク乗って雪の中大阪まで来るか?」と言う。数日して帰るはずだったが、母がムスメに無茶はさせるまいと引きとめ、相方はバイクで再び寺に戻り、私は冬の三ヶ月間実家で過ごさせてもらった。

 散々よ。散々なんです。と言うわけで初雪が待ち遠しい今日この頃、この文章を書いたのと天気不良で情緒不安定になり、続きはまた今度ということにします。もう、周りが私に手をつけられない状態なので。題名は、また今度用ということです。へぇー、あ、そうなんだー。


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