ジェフリー (カナダ・23歳・大学生)
次の英語の単語を定義させて下さい。
re・i・fy
vt. (抽象観念などを)具体化して考える.
re・i・fi・ca・tion
n. (抽象概念の)具体化.
「私は愛国者なのでこのように行動しなければならない。我が国を反対する人は私の敵である。我々の歓喜の障害なので、そのような人を殺しても良い。これは我々の義務である。信じない人は国民でも我々の敵である。」
これはreificationの例証です。
物質の周りに線を描いて抽象概念を具体化して考えることは人間にとって自然なことだけど、固定観念や先入観などは、一人に限るとすれば、問題ない が、多数の人は絶対的に固定観念を信じ始めるとすれば、歴史のケースを見るだけで、危険になるのだ。人間は妄執により自分自身によって作られた地獄に落ち りやすい。
「白人は箸が使えない。あなたは白人だ。それ故にあなたは箸が使えない」という脈絡に触れたことがある。「そうなんですか?」と笑えるが、人種と いう概念を政治的な手段として使用した歴史的なケースを見たら、あまり笑えない。「ユダヤ人は国の資金を盗む。あなたはユダヤ人だ。それ故にあなたは泥棒 で、我が国の国民を守るためにあなたを殺してもいい」という脈絡は前世紀に存在した。今現在でも同じような考え方が存在する。
他方で、美徳も道徳も具体化した抽象概念だと言える。しかし、「善悪」と同じように、「同異」という概念も「reification」の結果なの ではないだろうか。物理学の視点から見たら「私」と「あなた」との区別は原子レベルに見つけることができない。「自己」と「非自己」との線はどこにあるの か?意識はその区別を作る。アイデンティティは柔軟なものだ。母親と赤ちゃんはこういう柔軟な関係を反映するのではないだろうか? それで、「同異」が reificationの結果に過ぎないことを考察してみたら、個人の苦しみはみんなの苦しみになる。世界の社会はそういう風に考え始めれば、戦争や環境 問題がなくなる。苦しみも、reificationだけど、経験上から考えたら、不満な境地と簡単に言える。けれども、苦しみは絶対的なことではない。も しも絶対的なことだったら終わりがない。宇宙に絶対性を見つけることができない。すべての現象は相対的、関係的。また、「reification」の相対 性を理解すれば、「私」と「他人」との関係の相対性も分かる。それから自然に慈悲が生まれる。
残念ながら、多くの近代の学者を含む思想家の一部は自己を除いて宇宙の全ての相対的な真髄を分析していく。「その外の宇宙を分析する観察者である 私は宇宙に存在しても何とか別のものだ」、という考え方は誤謬だらけのことで、とても危ない。相対性の分析に自分自身を除けば、意識に捏造した真っ黒な虚 無に入りやすくなる。「この意識を除いて全く何もない」と考え始めやすい。現代の唯物論はこの考え方を勧めている。「あなたは脳でしかないので、死んだら 全く何もない」という脈絡は虚無主義の種類で、単なる迷信だ。この「何も全くない状況」を簡単に想像できるが、発見できない。「睡眠中に意識を失わないの か?」と聞かれたら、「夢を見ないの?」という。唯物論者が「我々は心がない。感覚は脳の化学的な過程だよ!」と諭しているのは想像した「虚無」(全く何 もない状況)のイメージに基づいた正当化できない迷信だ。非合理的。全く何もないことを発見できた科学者がいない。もしも「何もない」が発見されたら賞金 をあげられない。何もないから。
さて、象牙の塔の外で、慈悲に基づいた道徳は必ずしも絶対的なことではないが、全員が一緒に平和に生きる状態を進めることで、役に立つ相対的な考 え方だと思う。つまり、実際に相対性を理解した人は自己への執着を失って、母親が赤ちゃんを抱くように、他人の苦しみを自分の苦しみだと見なしはじめる。
それは本当の道徳観だ。