進 (山口県・59才・会社員)
今年の夏、7月に富士山を登って来た。
これは私の長年の夢の一つであった。
現実は旅行会社の富士山ツアーでの旅行で、しかも山岳ガイドの引率で登った。
富士山は3,776mの日本一の高さを誇っているわけだが、遠くから眺めると 優美な山が実際に登ると岩だらけの山であり、高度が上がるに連れ潅木もなく、 草もなく、ただ瓦礫の集積のような物になっている。バスの終点である5合目で は元気一杯の私も徐々に疲れ、足取りがだんだんと怪しくなった。途中山腹にあ る山小屋に一泊し、翌日山頂を目指したが、とうとう9合目を過ぎると急に呼吸 困難となり、足が一歩もでなくなった。そこで山岳ガイドに私のリュックを担い でもらい、やっとのことで山頂の鳥居を潜ることができた。まずは成功!
今回の山登りツアーは28名で10歳の子供から70歳を超えるような老人まで の雑多な集団であったが、富士山を登りたいという共通の意思は同じであったろ う。そして登り終えると、またそれぞれの感慨もいろいろあったのであろう。
現実は急斜面をひたすら登るだけであり、下界は雲海の下にあり、あるのは青い 空と白い雲ばかりであった。しかも5合目から上には水は全くなく、水の補給は すべてペットボトルを購入するだけである。山小屋は寝返りも出来ぬほどのス ペースだけであり、食事はすべてレトルトであった。しかも山頂近くになると空 気が薄くなり、酸素不足となった。このようにないないずくしの山登りであったが、 でも、やはり日本一高い山であることも事実である。
帰りの飛行機(羽田から福岡へ)の中で、ふっと思い出したのは安泰寺での5日 間連続座禅の大摂心であった。それこそ、テレビも新聞もなく完全に俗世間と遮 断され、アルコールも菓子もなく、同室者との会話もなく、最後は考えることも 無くなってしまった経験であった。そこにはただただ、ひたすら座禅のみであった。
富士山も摂心も私にとっては死ぬほど辛い経験であったが、終えるとこれ、また 他のものでは得ることのできないほどの爽快感でもあった。人間は口では大変立 派なことも簡単に言えるものであるが、現実の実行となると大変難しいものである。
最近、また安泰寺の摂心が恋しくなった。是非、来年は再度、安泰寺の摂心に チャレンジしたいものである。
2008年10月29日