庸行 (大阪府・66才・無職)
落語の三題話をする積もりはないが、私は 坐禅・第九・河内音頭それに自治会長や十指に余るNPO活動に顔をだしているので、時折 「山内さんは一体何がしたいの?」と呆れ顔で聞かれることがある。昔学校で「幾何」の試験問題を解いているときに、「補助線」がうまく見つかって何かしら喜びを感じたことはないだろうか?ヒトさまには一見無定見に見えるいろいろな活動(実は我ながら自分のダボハゼぶりに呆れることがあるくらいだが)の間に それら全てをつなぐ一つの補助線が私には見える・・・!? 大げさに聞こえるかも知れないが、それは、「人間とは何か?」と人類が、模索し続けてきたその解答の歴史を流れる一筋の線でもある・・・。そこで 他の皆さまにもどの程度この補助線が見えるものなのか、少なくとも私には見える「釈迦 第九 NPO」の"三つのお題"を貫いている補助線なるものの話をさせていただきご批判を仰ぎたいと思った次第である。
今は、まさに源氏物語千年紀。過去千年の間、その時代・その時代の著名な文人が源氏物語をその時代そしてその人の言葉で解き・語ってきたという。源氏の破天荒な恋愛遍歴は、実は 佳人薄命を絵に描いたような悲劇的な最後が印象に残る女性夕霧の死後、その彼女への思いを追った結果だという。TVでこの話を聞いたとき、光源氏にははるかに遠く・遠く及ばないが、また著名な文人の足元に及ばないが「自分の人生における"夕霧"を追って生きているとう意味で、人は全て実はその人生において、源氏物語を生きているのだ」という表現も可能なのではないかとふっと私は思った。誤解を恐れずにその言い方を借りれば、相対かつ有限な個であるように見えながら、人間とは、実は 絶対かつ無限の生命そのものを今・ここ・この体で解き・語っているのだと「釈迦」は悟られたのではないのかと私は思う。釈迦のこの自覚こそが、「人間とは何か?」の問いに対する人類の最初の発見であった(ほぼ同時代にキリストもほぼ同様の発見をされた)。
第二のお題の「第九」とはもちろんベートーヴェンの第九である。その第四楽章では高らかにシラーの詩「歓喜に寄せて」が歌われる。詩の主題はもちろん「喜び」。詩の中にSeid umschlungen, Millionen! という重要な一節がある。これは「抱き合え 幾百万の友よ」と訳されていることが多いが、ドイツ語としては受身形であり、「抱かれてあれ」と翻訳すべきだとも言われている。一体何に「抱かれてあれ」というのか?それは、もちろん「喜び」にであるが、それではその喜びの中身とは一体何なのか?その答えは、歓喜に寄せての詩の中の他の重要な一節Diesen Kuss der ganzen Welt! に隠されている。Kussとはキスのこと、つまりコンビニで買った"りんご"一つにも宿っている宇宙開闢以来連綿と継承され・今ここに生きている天地一杯の命のこと。生きてるということは、このリンゴが受けている天地一杯のキス(命)を、オレが今、ここで実は受けているのだという喜び。そしてその喜びの翼に抱かれてあるとき、Alle Menschen werden Brueder(人は皆友となる!)と詩は歌い上げている。第九の時代は、いわば日本でいえば江戸時代、脱藩してまで自由を歌い上げようとしたシラー。その自由とは、まさにフランス革命前夜、人間とは決して国(王)の所有物ではなく、国王も貴族も平民もみな友なのだという自覚、国から独立した個としての自覚、その底においてカントの「永遠平和のために」の著作に通じているこの自覚こそが「人間とは何か」に対する人類の第二番目の発見であった。
さて、話は突然変わる。第二次大戦。ドイツも日本も共に全体主義国家として自由主義国家と戦った・・・。確かに一見両国は同じ全体主義国家のようにも見える。しかし上の二つの発見から見ると、それが間違いであることがよく分かる。人間が国や支配者から独立した存在であることを認識していたドイツと建国以来そういう認識がほぼゼロであった日本では、同じ全体主義でも実はその中身には雲泥の差があった。それでは人間が国や支配者から独立した存在であることを認識していたそのドイツ(人)が、はたして何故全体主義に陥ったのだろうか?
その答えは、「人間とは何か?」との問いに対する人類第三の発見である「NPO(的生き方)」に深く関連している。日本は、建国以来、個が国から独立できないまま、運命の必然として愛国主義はほぼ例外なく全体主義傾向を帯びてきた。それに対して、国から独立した個を自覚していたドイツ(人)は、少なくともヒットラーとその政党を、民主主義的な手法で選んだ。しかし不幸にして 少なくとも当時は ドイツ(人)には、積極的かつ自発的に国や社会全体の問題に関わろうとする姿勢・態度が、個の側に未成熟であったのではないだろうか?そのためにヒットラーという個人とその政党に全てを委ねてしまった結果が全体主義となってしまった。それを防ぐには、第一の発見で自分が無限の命を生かされ生きていること、そして第二の発見で、自分は、国や社会制度から独立した存在であるとの自覚が生まれた後、人は、今度は改めて、当事者として、自分の問題として、国や社会制度を積極的かつ自主的にその運営に参加していく姿勢・態度が必要ではなかったのだろうか?国や社会制度の運営に、積極的かつ自主的に参加していくといういわばNPO的な(生きる態度・社会に対する)態度こそが、「人間とは何か」に対する人類第三番目の発見であった。
ちなみに、少なくとも日本の仏教界は、第一の発見に留まり、第二・第三の発見を積極的に取り入れようとしていないように私には見える・・・。
中国に「ある人が、夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。果たして自分が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て自分になっているのか。」という話があるという。他の人から見ると、私の補助線の話もそれに似たものなのだろう。しかし 「釈迦・第九・NPO」の3つをつないで見える補助線は、少なくとも私にとっては、自分の生きざまのそして自分の活動のイガミを映し出してくれる最高の鏡だと私は思っている。
エエッ?「ところで 第九と河内音頭の間に 君には、どんな補助線が見えてるの?」ってですか・・・???
ウ―ン 第九はテーマ型演奏で、河内音頭は地縁型演奏だから、その間には、普遍的かつ典型的な個としての社会への関わり方の2つのパターンという補助線が見えてるってとこかなぁ・・・???