流転海07

安泰寺文集・平成19年度


絋揮 (大阪市・五一歳・フローリスト)


 私も五十歳を越え人生の半分生きてきた形になる。今振り返ってみると疑問視が残る。それよりも最近、自分の欠点がやたら見えてきたような気がする。

というのも、自分では、空手道や坐禅によって自分自身、自己改革を行っているつもりでも全然なされていないことにハットするときがある。それは何点かある。

 第一番目に夫婦喧嘩をしているときにやたらキイキイ声で怒鳴っている自分がいる。

 第二番目にいやなお客に出くわしたらもろに顔に出ることがある。

 第三番目にピンチあるいはぺ−スが乱されたときにおろおろし変な言動、行動に出ることがある。

 第四番目にここ一番弱い自分がいる(これは昔からである、直っていない。)

 第五番目に父親の悪いところが似ている。最近、妻や娘におじいちゃんに似てきたねと言われたときにハット我に返るときがある。(もちろん悪い言動、行動したときにである。)

これらの欠点は両親の因縁をひきつずている場合が多分にある。これは修証儀の中に出てくる「障道の因縁」に起因していることが多分にある。それを改善していくことが私のこれからの課題であると思っている。

 人生、坐禅ごっこで終わるのか?これからが正念場である。こころしめて生きていかなければ今の自分がいる。こわばら・こわばら!  

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