流転海07

安泰寺文集・平成19年度


たもみ (安泰寺内・三十歳  引き籠もり専業主婦)


     アムロと私は同級生だ。高校生の頃、アムロはきらびやかなスポットライトにあたって、髪を振り乱し腰を振って歌を唄っていた。同世代の女子はみんな彼女に憧れ、茶髪だ、細眉だ、厚底ブーツだとこぞって彼女の真似をした。ミーハーな私も例に漏れずボンレスハムのような肢体にミニスカート、生足、ブーツとえらくびっぐなアムロに扮装し街を闊歩したものである。別にめちゃくちゃアムロがスキーということもなかった私だが、テレビで彼女が唄っている姿を目にしたとき、ふととある言葉が胸を突いた。彼女は私に向かって「楽しくなけりゃおかしくすればいい」やら「夢なんか見るもんじゃない語るもんじゃない叶えるものだ」と言い放った。テレビの前でだぼだぼのパジャマを着て片手に巨大なマグカップを持った私はふと自分の姿に目をやった。なんだか同じ歳なのに、アムロは分かったような口をきく。でも彼女が言ってる事って的を射てる気がした。

「楽しくなけりゃおかしくすればいい」というフレーズは今も私の胸に刺さっている。そしてそれは逃げるように帰っていく、安泰寺に来る人の背中にも突き刺さっている。こんなところにいても教えがないと平然と曰うお偉い方々がいらっしゃるが、私のアムロがあのフレーズを唄う。目を伏せ、ため息をつきふと思う。自分の器の小ささを人前で表示していることに気付いてもない哀れな人なんじゃないのかと。教えがないのではなく、教えを見つけられない自分がいるんだということ。そしていじけた心の私はふと、自分が安泰寺に残されているんじゃなくて、安泰寺で何かを探そうとしているんじゃないかと、少し前向きな気持ちになる。
 五年経った今でも毎日にうんざりし、悩み、生活のリズムさえつかめない自分がいる。子供も大きくなってきて、時間は待ってくれはしないことに改めて気付かされる。夫におんぶされ子供に抱っこされているが、彼らの胸の中で今日も私のアムロが唄う。

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