流転海07

安泰寺文集・平成19年度


由紀  (千葉県・三十七歳・会社員)


月並みですが月日のたつのは早いもので、はじめて安泰寺に上がったのは一九八九年か九〇年夏であったはずで、現在堂頭さんであられます無方さんが入山された際にお会いした年だったと思いますが、長いようで短い十七年が経ち、はじめて一緒に修行を苦しみ楽しんだ親友も二児の母となり、ほかの学生時代からの友人輩も傍から見ていると皆安定した人生を送っているというのに、私はといえば相変わらず先の見えない精神生活を送っているということに気づくたび、軽やかな絶望感のような不思議な満足感を覚える今日、地下鉄を乗り換えホームを歩きながら、一見幸せな生活を送っている人々というのはよほど自分が欲するものがはっきりしていたのか、親子の縁や男女の縁を含めて運がよかったからなのか、たまに言われるけれども自分は運が悪いのだろうか、などなどくだらないことを考えてしまうのですが、まあひとつはっきりしていることには自分は幸せになろうという気持ちは強くなかったし、もちろん幸せとは何かわからなかったし、今でもわかりはしないし、一般的に幸せとされているものを信じることもできなかったので、かくして現在の状況が必然的にここにあり、望んだとおりになっているんだということに一貫性を感じます。

 つまらないことを覚えている性質なので、一九九六年か九七年ころに安泰寺で無方さんが私に言われたことをまだ覚えており、それはイギリスから帰って実家に居候していた私に対して親に依存しているという批判的なコメントでしたが、その当時は逆批判をする精神的余裕がなく、そのことを思い出すのに数年かかりましたが、親が援助しなくても大学へ行けるシステムの中で育った人にそういうことを言われる筋合いはない、日本の子どもが社会保障システムの整ったヨーロッパの子どもより自立していないと子どもを非難する日本人大人のバカさ加減に思いをはせつつ、異文化間理解の単純な欠如は仏教修行に影響しないのだろうと思ったことや、留学資金を稼ぎ借金し親の反対を押して留学したが結局は親に折れたこともあり日本へ帰ってきてしまったことは、結局親を切れず執着を切れず、中途半端に繋がったしがらみの中で生きることを選択してしまった大きな転換期であったと、今ふりかえると思う時期がありました。

娘を産む前には昼も夜もサングラスをかけ泣き歩いた悲喜劇的な日々があったが、精神を危機にさらすことなしには得られないものがあると盲目的に信じ、有難いことに娘は明るくうるさく育ってあっというまに五歳になり、大した母親でもないのに一番好きだと言ってくれ、一般的な幸せというものの断片を感じることもたまにあるのですが、生きるか死ぬかというくらい理由なくこだわった娘の父親へのこだわりが突如飛んでいくように薄らいだと思った瞬間新たな悩みが発生し、遺伝子に組みこまれた本能なので致し方ないといえばそれまで、さても執着の切れないわが身この世の常、すでにここまで欲望のままとは言わないが好きに生きてきたことは良くも悪くも事実であり、結局の結局最終的には問題は、大した人生でなくとも唯一のこる問題というのは自分ひとりがどう生きるかであると頭のどこかでは考えており、そしてそんなことを普段誰とも話していないのを、安泰寺の文集の時期になると突如思い出すのです。

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