安泰寺の沿革

安泰寺は曹洞宗に属しております。 大正10年丘宗潭老師により宗学研究の学堂として、 京都洛北の玄琢に開創されました。 多くの学匠を輩出し、近代の伝統宗学はこの学堂によって継承発展してきました。

第二時世界大戦中には一時期荒廃していましたが、 昭和24年澤木興道老師と内山興正老師の師弟が、 只管打坐を純粋に行持する寺として再興されました。

坐禅と托鉢に徹した修行道場は、 世に知られるところとなり、 修行者は国内ばかりでなく世界各地から集うようになりました。

修行者の増加と、周囲の宅地化により、 坐禪寺としては不適な環境となったため、 渡部耕法老師は昭和51年に但馬に移転しました。 百丈懷海の一日不作、一日不食を実際に実践する、 坐禪と自給自足を行ずる寺として再出発。

久斗山の安泰寺は兵庫県の日本海側に位置し、 周囲を山々に囲まれた五十ヘクタールの広大な境内地を有します。 昭和62年より宮浦信雄老師はその静かな環境と自給自足の生活を守りながら、 坐禅修行に徹していたが、 平成14年の二月、除雪中の事故で亡くなりました。
その後をドイツ人のネルケ無方が現在受け継ぎ、 活発な叢林を造りなおそうとしています。 新しい安泰寺の一員として、共に安泰寺を創造すべき貴方を待っております。

安泰寺の歴代住職

  • 開山 大潤宗潭 (丘宗潭)
  • 二世 霊嶽瑞麟 (小田垣瑞麟)
  • 三世 眠芳惟安 (岸澤惟安)
  • 四世 不喚即應 (衞藤即應)
  • 五世 祖門興道 (澤木興道)
  • 六世 道融興正 (内山興正)
  • 七世 盡心耕法 (渡部耕法)
  • 八世 無外信雄 (宮浦信雄)
  • 九世 大道無方 (ネルケ無方)