恵光

 この年末年始で鶏が相次いでイタチの被害に遭い、6羽いた鶏は全ていなくなってしまった。1羽は私が留守番をしていた時のことだった。その日は朝からバタバタとして、鶏係に確認しないまま皆を冬休みに送り出し夕方になった。当日は雪もなく放し飼いにしてなかったので、外の戸が閉まっていることを確認したが、中のドアが開いていることに気づかなかった。

翌朝行ってみると1羽だけの烏骨鶏が見当たらない。小屋内を探すと板が立て掛けてあった壁との隙間に首が無い状態で居た。獣に襲われたのだ。昨日、私が内ドアが開いていることに気づかず放置していたからだ。外ドアと内ドアとの間のスペースは外と通じており、獣は容易に行き来できる。しかも冬に向かって獣たちも食べるものを探すのに必死のはず。どうしてドアを開けて確認しなかったのだ!!と後悔の念ばかりが浮かぶ。獣に襲われる烏骨鶏の恐怖を想像すると私の過失は許されるものではない。心底申し訳ないことをした。自分自身が悔しい。せめてお経をあげて埋葬することにした。
この烏骨鶏は安泰寺に来てからすでに5年ほど経っていた。振鈴より少し早い時間に独特の雄叫びをあげて坐禅が始まるのを知らせてくれていた。安泰寺に来た当初は私によく蹴りを入れてきたオスの烏骨鶏。最近はそのような勢いも無くなりいつも群れから離れてマイペースに暮らしていた。ありがとう烏骨鶏くん。安泰寺に来てくれてありがとう。そして怖い思いをさせてごめんなさいと何度も心の中で繰り返した。

他の5羽は無事であったことは何よりの救いになった。しかし、それから約 1か月後、今度は他の5羽の鶏が鶏小屋で死んでいたそうだ。何てことだ!!
鶏は私たちに命を100%委ねている存在だ。にもかかわらず私たちは安易な判断、不注意、ついうっかりなど鶏の命を軽視しているような振る舞いが多すぎる!!最初の私の失態もそのようなことだった。私は出家者として不殺生戒を受けているにも関わらず、鶏を不注意とはいえ殺してしまったのだ。不殺生戒を犯した罪を自覚すべきである。

お釈迦様は、知らない間に虫さえ殺してはいけないと田畑を耕すことさえ禁じられた。このことから言えば、明らかに鶏への不注意は大罪になるのではないだろうか。獣が小屋内に侵入して狭い小屋の中で鶏たちはさぞかし恐怖を感じて命を落としていったと想像すると、ほんとうに申し訳ない気持ちで一杯になる。取返しのつかないことをしたことに心臓が縮こまり、動悸さえ打ってくる。

このように感じたとき正法眼蔵隋聞記に書かれている「学道は須らく人の千万貫の銭を債ひけるが、一文をも持たざるに、乞責らるる時の心の如くすべし、若しこの心あれば、道を得ることやすしといへり」という言葉を思いだす。以前、輪講でここ(5-18)を担当したとき、大借金をして取り立てに来られて出すお金が1円も無かった時を想像しては、どうか、どうかお待ちいただけないかと両手を擦り切れるほどこすりお願いをし、低姿勢でいる情景を思い浮かべていたことがあった。
今回、鶏たちへの罪の意識が隋聞記のこの部分を思い出させてくれた。この事件に出逢った時は決して傲慢な心ではない。罪の意識と謝罪の想いで一杯だ。大慧禅師は謙虚になって、懺悔の気持ちを忘れてはいけないことを言われているのではないだろうか。先ほどの引用に続いて、道元禅師は「揀択の心だに放下しぬれば、直下に承当するなり。揀択を放下すると云ふは、我をはなるるなり」と。我を離れないということは傲慢であるということにも受け取れる。

内山老師は安泰寺へ残すことばの中で、一坐、二行、三心ということばを示されている。二行は懺悔行と誓願行である。人は悪いことをしようとは思っていないにも関わらず、結果として悪いことをしていることが多いものだと思う。全く悪いことをしない人などいないと思う。もっと言えば、人間は生まれながらにして罪人であるのではないかとさえ思ってしまう。ならば取返しのつかないことをしてしまったときの気持ちで、謙虚に生きてゆくことが大切であることは、私にはとても腑に落ちる気づきであった。懺悔した上で、これからは傲慢に気をつけていくぞ!という気持ちで(誓願)暮らしていく、生きていく。懺悔は謙虚さを常に心に留めて生活してゆきなさいという教えとも言えるのではないだろうか。

鶏たちの死から、これまでより深く気づきを得ることができた。せめてこの気づきが彼らの命の引き換えとなり、私の習慣を変えていくことにつなげていきたい。

…とこの様に書いてはいるが文字にすること、意識することすら偽善に思えてならない。しかしこうでもしていなければ、何の学びもなく怠惰な生き方になってしまうというせめぎ合いの中に今日も生きている。                                      合掌