2024年の1月ごろに安泰寺を降り、2月から1年半ほど永平寺に安居していました。安泰寺とは全く勝手が違い非常に面白い経験でしたが、安居している中、「永平寺を降りたらどうするのか」とよく聞かれることがありました。安泰寺に戻る予定ですととりあえず答えていましたが、しかし安泰寺にいるとて死ぬまでいるわけではないし、最終的に自分は何がしたいのか、どう生きたいのか。

安泰寺で自給自足的な生活を送って改めて気がついたことは、現代を生きる私達は自分が所属する共同体を自らの意思で選択しなくてはいけないということです。近代以前の村落共同体でしたら畑や田といった生産手段が各自にあてがわれており、そこで農作等に従事することで共同体を移ることなく一生を送ることが可能でした(それ以外の選択肢はほぼなかったと言うべきかもしれませんが)。しかし現代の資本主義社会においてはもはやそういった伝統的共同体は解体されており、私達は自分が生きる糧を得るため、会社等の特定の共同体を選択、所属して賃労働に従事する必要があります。そのため、「自分が何をしてどのように生きたいか」という問いは「自分がどのような共同体に所属したいか」という問いと不可分となってきます。

共同体に関して仏教の歴史を眺めてみますと、共同体を巡る思想というものが仏教においては存外希薄なことに気が付きます。四衆(比丘比丘尼、優婆塞優婆夷)の内、出家者(比丘比丘尼)に対する法的共同体(サンガ、叢林)に関しては様々な思想がありますが、在家信者(優婆塞優婆夷)に対しては出家者に対する従属的な地位が前提であるような感があり、在家信者の共同体ないし出家者と在家者の共同体というものは主題として探求されることは多くありませんでした。
しかしそれもそのはずでしょう。というのも元来出家者とは何よりもまず家(都市)-を-出て深山幽谷(あるいは叢林)に住まい修行する者の意味である以上、家(都市)-に-在る在家の人々とは居住地の隔離があるため共同体を形成しえないのです。そのため、僧俗交わって実践を志す共同体というものは思想の面でも、また現実においても探求されることはあまりなかったのだと思います。

ところで僧堂に安居した経験がある人は、法的共同体に所属することがどれだけ仏教の実践を容易にするものであるか身にしみて知っているものと思います。朝晩毎日坐ることや摂心、法に則って生活することを一人で実践することは非常に困難でありますが、共に実践する仲間の存在がその実践をどれだけ容易にすることか。しかしこの種の法的共同体、特に実践を志すものが僧侶か否かにかかわらず参加できる法的共同体というものは現在の日本においては中々ありません。専門僧堂は僧侶しか安居が許されませんし、僧侶ですら専門僧堂を出た後は基本的にどこの法的共同体にも所属することなく、日々の行持を実践するためには一人で道を歩む必要に迫られる傾向にあります。これは日本において仏教の実践の支障となっている一つの要因でもあると思います。
しかし別に法的共同体と言っても僧堂のように厳密なものでなくて良いのです。ただ日々の行持、すなわち朝晩毎日の坐禅や朝課、粥座に希望する者誰でもが外からやってきて参加できること、そして定期的に勉強会や法話、摂心の機会があること等、その程度の緩やかなものでいいのです。こういった開かれた法的共同体があることが仏教の実践を志す者にとってどれだけ有意義であることでしょうか。私はそんな共同体を作りたいと思っています。

日本仏教は葬式仏教として揶揄されることが多いですが、しかし街の中にお寺がある程度経済的に安定して存立し、社会的にもその存在が自然な風景として認識されている稀有な仏教でもあります。そんな日本において寺檀制度が崩壊しつつある現代、お寺の存在が意味を持ちうるとしたらそれはやはり法的共同体の中核として存在することを通してだと思います。私は最終的にどこかのお寺に住持するのも自分が取りうる選択肢の一つと思っていますが、それは仏教実践のための開かれた法的共同体を建設するにあたり、寺院の住持職というあり方が適当なあり方の一つであると考えるからです(もちろんそれは先祖供養の祭祀者としての職務を蔑ろにすることを意味しません)。
しかしそれにはやはり自分が己の軸を持って実践していることが第一の前提でしょう。そのためにももう少し安泰寺にて修行していきたいと思います。

色々と書きあぐねた結果なんだか中身もない夢想的な内容になってしまいました。自分がもしこのまま宗門の人間として人生の歩を進めようとした場合、寺院の住持職というものに対する意味づけを一度行う必要があると感じたため書いてみた次第です。文集に書くような内容でなかったかもしれませんが、現時点で考えていることを残しておくためにもここに寄稿させていただきます。